引っ越しのご相談
「大地の下には霊脈という、規格外に濃厚なマナの流れる河があるの。とても強い、それこそ人間がその中に落ちたら無事ではすまないような、世界の血脈とも呼ばれる魔素の奔流ね」
夕暮れの石畳を歩きながら、魔術士の少女は人差し指を立てて、世界というとても規模の大きな言葉を使って説明してくれた。薬草採取の話題でそんな単語が出てくるとは思わなかった。
「その霊脈から溢れ出る魔力が地上まで届くと、通常よりマナが濃い特別な土地になるわ。普通とは違う植物が生えたり、珍しい生物が住み着いたり、特殊な地形になったりね。―――そういう土地の中でも、特にマナが溢れる場所を霊穴と呼ぶわけ」
むぅ、と彼女の隣を歩きながら僕は呻る。
地面の下に河が流れているって、下水道みたいなものだろうか。そこからなにかが溢れ出て、地上にまで影響している……つまり臭いとか?
「わたしは最初、マナ溜まりってそういう場所なんだと思ってた。……けれど、ちょっと違うみたい」
そう言って悔しそうに下唇を噛む、チェリーレッドの髪の女の子。出発の時より少し気落ちした様子の彼女は、心なしか歩くのも遅い。
リルエッタが苦い顔をするのも無理はない。今日の冒険はまあ、失敗に終わったと言ってしまっていいだろうから。
「ユーネも、あの場所は霊脈だと思ってたんですけれどねー」
むー、とリルエッタの向こう側で歩きながら難しそうな顔をしているのは、歩くたびにふわふわの栗色髪が揺れる治癒術士の少女だ。
ゆったりとした服に身を包んだ彼女は腕を組んで眉根を寄せているが、滲み出る温和な雰囲気のせいでイマイチ真剣味を感じない。本当に分かっているのかと疑ってしまうくらい。
まあ、この中で一番分かっていないのは間違いなく僕だろうけれど。
「マナ溜まりは霊脈じゃないってこと?」
「多分そうね。霊脈ってそう簡単に動いたり無くなったりしないはずだもの」
霊脈とか霊穴とかはよく分からないけれど、質問に答えてくれるリルエッタはすっかりいつもの調子なのは分かって、それが今日一番の収穫かな、と僕は苦笑した。
今日の僕らの冒険は失敗に終わった。―――とは言っても、大きな怪我をしたとか、大変な目に遭ったとか、大事な物を失ってしまったとか、そんな失敗じゃない。
単に、大した収穫がなかったという意味だ。
僕らが今日行ったのは、普通の薬草採取。
ゴブリンに襲われたシルズン山に行くのはやめておこう、と三人の意見が一致し、じゃあせっかくだからと新しい場所へ足を伸ばしたのである。
定めた目的地は、あの雨の日に地図を見ながら、ムジナ爺さんから教えてもらったマナ溜まりの場所。
収穫できる時期はもう少し先になるけれど、次の場所をあらかじめ見つけておきたい―――そんな思惑の元、今日は町の門を出てすぐ壁づたいに北上し、初めて見る獣道から森へと分け入った。
「マナが濃い場所なら、探査の魔術で探すことができる。シルズン山のマナ溜まりもそうやって見つけたのだもの、やり方は間違っていないはずよ。……けれど今日は、探査の魔術が全然反応しなかった」
口元に手を当ててブツブツと、リルエッタが独り言をし始める。
シェイアからもらった魔術の本もまだ読んでいない僕には、あまり詳しいことは分からない。……けれど、なんとなく理解はできる。
つまりはこういうことだろう。
今日行った場所の近くには、マナが濃い場所はなかった。
「ある時期にだけ魔力が濃くなる……マナが溜まる土地ってこと? 季節的なもの? もしかしてマナが濃い場所だから特別な薬草が生えるのではなくて、特別な薬草が育つ時期だけ魔力が濃くなる場所とか……? もしそうだとしたら、ごく短い時期だけでも人工的に魔力濃度の高い場所を造れる可能性が……でも栽培方法が分からないし……」
歩きながら、さらにブツブツとリルエッタは呟く。なんだか採取の話とは逸れていっている気がするけれど、妙に真剣だ。ちょっと怖い。ユーネもちょっと引いていた。
やがてある程度考えがまとまったのか彼女はウンウンと頷いてから結論を発表する。
「これは現段階での推測でしかないけれど、マナ溜まりという場所はそこに育つ薬草が採取の時期にならなければ、魔術での探査ができない可能性が高いわ」
事前には探せないってことらしい。やっぱり冒険はそんなに甘くないんだな、と改めて感じてしまう。
それでももし探すのなら、足で歩き回って怪しい場所の目星をつけておくくらいだろうか。……けれどそれをやるより、時期が来たときに探査魔術を使ってもらった方が効率がいい気がする。
「つまり、今日は無駄足だったってことだね。ごめん、僕のせいだ」
「いえいえー。無事で帰って来れただけ良しですよー」
「そうね。今は探査できないって分かっただけでも、無駄ではないのだし」
今日行き先を決めたのは僕だったので謝ると、ユーネが場を和ませるように微笑んでくれて、リルエッタもそれに頷く。
……たしかに何事もなく町まで戻ってこられたのだから、それは良いことだ。そう思えるくらいには、まだこの前の戦闘は記憶に新しい。
「ただ……採取の方はあんまりだったわね」
リルエッタが肩からかけた自分のカゴを見て、小さくため息を吐く。薬草を入れるためのカゴは、今日は半分も埋まっていなかった。
「行ったことのない場所だったし、マナ溜まりを探しながらだったからね。安全そうなルートを覚えて薬草採取に専念すれば、もっと採れると思う」
そう言う僕のカゴも、半分の半分くらいしか薬草で埋まっていなかった。もちろんユーネのも同じくらい。それも安値のものばかりだから、これでは今日の食事代にもならないだろう。
薬草採取の依頼は初心者向けだ。マナ溜まりみたいに高額の薬草が群生している場所へ行くならともかく、普通にやったらなかなか稼げるものではない。
ムジナ爺さんなら初めての場所で片手間に探してもカゴをいっぱいにできそうだけれど、そこまでの経験がない僕では三人分のカゴを満たすなんて無理だった。
むぅ、と顎に手を当てて考え込む。やはり次のマナ溜まりを探すのは時期が来るまで待った方が良さそうだ。明日は森の浅い場所を中心に行ってみようか。
マナ溜まりのような特別な場所じゃなくても、僕が森で見つけた河原のように薬草が群生している場所があればいいのだけれど。
「でも、依頼書にあった薬草ってなかなか生えていないわ。採取に専念したとしても、なかなかカゴを満杯にはできないでしょう?」
「う……まあそうだけど」
僕の考えていることなんてリルエッタにはお見通しのようで、あっさり言い当てられてしまう。なんだか実力不足を見通されたようで、頭を掻くしかない。
……けれど、魔術士の少女はべつに文句を言ったわけではなさそうだった。
リルエッタは歩きながら、肩越しに背後を振り返る。視線は少し上向き。どうやら空を見ているようで、たぶんほとんど落ちた夕陽を見たのだと思う。
「分かった? ユーネ。つまり、やっぱり町に戻ってくるのはいつもこの時間ってことよ」
「そうですねー。たしかに毎日夜道を歩いて家に帰るのは危ないですかー。仕方ありませんねぇ」
「元々そのつもりだったし、遅いくらいだわ」
彼女たちは元々が友人で仲がいいから、二人しか分からない話をすることはよくある。そのときの僕はだいたい蚊帳の外なのだけれど、今回はなんだか、僕にも関係ある話のような気がした。
冒険の終わりはこの時間だから、毎日夜道を歩いて家に帰ることになるので、危ない。
ではどうするか。
「ねえキリ。実はわたしたち、冒険者の店かその近くの宿に住もうと思っているのだけれど、相談に乗ってくれないかしら?」
「嬢ちゃんたちが引っ越しねぇ。先に言っておくが、この店の部屋はやめといたほうがいいぞ」
リルエッタとユーネからの相談は、僕にはちょっと手に余るものだった。
村からこの町に出て来て日が浅い僕には、どんな宿がいいと思うか、なんて質問には応えられない。なんならまだ宿屋に泊まったことすらない。
というわけで、冒険者の店に戻った僕はウェインに相談することにした。……またリルエッタが不機嫌顔になって、それを見たユーネが困り笑い顔になったけれど、僕が気軽に相談できる相手って少ないから仕方ない。
ウェインの先導で、冒険者の店の奥にある階段を上る。
階段はけっこう幅が広くって、分厚い木板でしっかり造られているようだった。店内と同じで古くはあったけれど決してボロではなくて、油皿の灯りで照らされた赤レンガの壁と重厚な木材の階段はかっこよさすら感じ、ちょっとワクワクしてしまった。
……のだけれど、手すりを掴むとなんだか妙にデコボコしていることに気づく。壁側を見ると何かが擦れた跡が汚れになっていたし、階段自体にもよく見ればヘコみがある。
「金属鎧つけたヤツが肩当てとかで擦ると、こうなるんだ」
ウェインが壁の跡を指さして説明してくれる。なるほど。
では階段と手すりの疵はなんなのだろうかと気になったけれど、聞く前に上りきってしまった。
「ここが大部屋だな。俺もここで寝泊まりしてる」
階段を上ってすぐ、そんなおざなりな説明と共に一番手近な部屋の扉にウェインが手をかけ、ノックもせずに開いた。
中は広いだけの部屋で、家具の類はほとんどなかった。端っこの方に小さな机が一つあって、長い時間座ったらお尻が痛くなりそうな椅子がその近くに転がっているだけ。棚なんかはなく、床にはいくつもの毛布やここを使用している冒険者の私物が散乱している。
寝ながら雑談でもしていたのか、部屋の真ん中辺りで頭を寄せ合うようにして毛布にくるまっていた五人ほどの男の人たちが、なんだなんだと僕らの方を見る。……なんだか申し訳ないな。
「おう、悪ぃな。ちょっと部屋を探してる新人を案内してやってるんだ」
ウェインが彼らに軽く手を上げると、うーい、とか、おー、とか適当な返事が返ってくる。ノックしなかったことに怒る様子もないところを見るに、いつもこの調子なのだろう。
さっき彼自身もここで寝泊まりしてるって言っていたし、この部屋の人たちはみんな知った仲に違いない。
「ここはさすがに無いわね……。言いたいことはいろいろあるけれど、まず男部屋でしょう?」
リルエッタは部屋の中を一度見回しただけで、頭痛を堪えるように額を手で押さえた。
まあそうだろう。さすがにお金持ちのお嬢様が泊まる部屋じゃないことくらい、僕でも分かる。
「男しかいないだけで女が泊まれないわけじゃねぇよ。泊まる女もたまにいる。男より男らしい豪傑とか、どうしても金がねぇヤツとかだがな。けど女がいると俺たちの方も気をつかって、毎回気まずい空気になる」
「でしょうねぇー……なんでここに案内したんですかー?」
「見せなかったら見せなかったで気になるだろ?」
まあ、それはそうだろう。僕だって階段を上って一番手前の部屋を飛ばされたら気になってしまう。だからさすがのウェインもリルエッタとユーネがここを選ぶとは思ってなくて、一応見せるだけ見せただけということのようだ。
大部屋はありえない、と。本命は次の小部屋の方だろうか。
さっき確認した限りでは、リルエッタとユーネは二人で一部屋を借りて住むつもりらしい。ちょうどいい広さの部屋があればいいのだけれど。
「―――なによ」
不機嫌そうな声が聞こえた。リルエッタの声。
振り向いてそちらを見ると、彼女は自分の腰に手を当てて目を細めている。……その視線の先には、部屋の中央で毛布にくるまってる人たちがいた。
「なんでもねーよ」
「ああ、なんでもないな」
五人の内の二人が、同じく不機嫌な声で応える。
両方とも歳はたぶん十五歳くらいだろうか、ボサボサの黒髪をしたギョロ目と、灰茶色の髪を後ろで縛った色白。
少女が見ていたのはこの二人で間違いないのだろう。
「お知り合いですかー?」
「さあ? それより他の部屋を見ましょう。―――お邪魔したわ」
ユーネの問いかけにもとぼけて、リルエッタは部屋から出ていく。……ここにはもう、用がないとばかりに。
「すみません、お邪魔しました」
僕は寝ている人たち……特にさっきの二人へ向けて頭を下げて、大部屋を出る。―――ウェインとユーネは首を捻っていたが、僕はあの人たちの顔に覚えがある。
「気まずいなぁ……」
彼らは以前リルエッタをパーティに誘い、大声で怒鳴られていた二人だった。




