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人の失敗を酒の肴にするヤツっているよね

 その背中が扉の向こうへ消えてしまって、わたしは浮かせかけた腰を落とした。

 胸はぽっかりと穴が空いたように空虚な気分が支配して、一歩たりとも追えなかった。そしてその穴は、やがて絶望で浸されていく。

 お金を置いて、それじゃ、と言って。もう怒りもせずに彼は行ってしまった。


 どうして、あそこまであっさりと行ってしまえるのだろう。わたしたちに言いたいことの一つや二つ、あってしかるべきではないか。―――それを聞きたくなくて、行ってしまったことに心のどこかで安堵してしまって、それで追わなかった自分に愕然としていた。

 親切にしてくれたのに酷い扱いをしてきたのに。ずいぶんと失礼なことを言ってしまったのに。助けてもらってもお礼も言えなかったのに。

 なのに、謝ることすら……まだできていないのに。


「なんで……」


 機会がなかったわけでは、なかった。助けてもらってすぐでも、町への道すがらでも、いくらでも話すことはできた。

 ただ……面と向かうのが恐かった。


「なんで、こうなるのよ……」


 両手で目を覆う。今のわたしには泣くことすらおこがましい気がした。

 自分勝手で、傍若無人で、謝罪すらまともに言えない愚か者。そんな自分に、涙を流して哀れを装う権利などあるはずがない。


 正しいと、思っていたのだ。

 ゴブリンは危険な魔物だ。人を襲うし、作物や家畜を略奪するし、大きな群ならば村や町を滅ぼすことだってある。放っておいていいことは何一つない。

 だから見かけたら倒すべきだ。


 そう行動した結果、わたしとユーネは死にかけた。

 そして……それを助けに来てくれた彼が、代わりに死ぬかもしれなかった。


 こうして無事に戻ってきた今でも震えてしまう。

 ゴブリンが彼に剣を振り下ろしたときの、あの血の気が引く感覚。彼が倒れたときの、あの絶望。

 ユーネの治癒で彼が意識を取り戻すまでの間、生きた心地などまったくしなかった。



「死人が出るところだった。全滅してもおかしくなかった。……わたしのせいで」



 認めたくなかった。そんな重大な責を背負えるほど、わたしは強くなかった。

 お礼なんて言えやしなかった。責任から逃れるのに必死で、誰かに押しつけたくて、なんにも悪くない彼に当たってしまって。

 なのに、なんであれだけで行ってしまうのか。


「ゴブリンを倒したお金を置いていったということはー……これで、関係は清算ということでしょうかねぇ……」


 ユーネがぽそりと呟く。彼女もずいぶんとまいっているようだ。

 清算。わたしたちは彼に助けられはしたけれど、ユーネは治癒魔術で彼を治している。その分を考えて、後腐れないようにお金を置いていった。……そういうことだろうか。

 だとしたら、もう終わりだ。縁は完全に切れた。そもそもパーティを解散させたのはわたしで、彼との繋がりはもう一切なくなってしまった。


「恐かったですねー……冒険」


 隣の幼馴染みが、ぶるり、と身体を震わせる。

 その言葉には、わたしはすぐには頷けなかった。……冒険に恐怖を感じなかったわけではない。どちらのことか分からなかったからだ。

 果たして、ユーネが恐かったのはゴブリンだろうか。それとも彼の方だろうか。


 槍がゴブリンごと振り回され、生々しい音と血潮を撒き散らす様を見た。敵の顔面を元の形が分からなくなるほど何度も殴打して、惨たらしく息の根を止める光景を見た。倒したと思っていた敵が起き上がり、背後から襲いかかってくる恐怖を体感した。

 敵を殺す、という行為を目の当たりにした。

 死ぬまでやる、という凄惨な覚悟を宿したあの目に、足がすくんだ。


 わたしは間違っていた。

 初めてあのマナ溜まりの採取場へ足を踏み入れたとき、あの美しい景色を見て、胸に湧き上がる高揚感と共にこれが冒険なのだと感じた。

 けれど、今なら分かる。ユーネもきっと身に染みて理解したのだろう。―――冒険の本質に近いのは、あの瞳の奥にこそあるのだと。


 彼は冒険というものを、すでに知っていたのだ。


 怒ってほしかった。責めてほしかった。これからは言うことを聞けと言ってくれてもよかったし、もう顔を見せるなと突き放してくれてもよかった。

 どうすれば償えるか、教えてほしかったのに。



「いよう、辛気くせぇテーブルだな。葬式かよ?」

「ただの青春。お酒の肴にちょうどいい」



 聞き覚えのある声がして、顔を上げる。……そこには知った顔があって、彼らはお酒がなみなみと入った木のコップをテーブルに置いて、こちらに断りもせず対面の椅子を引く。


「ずいぶんとオモシロ……落ち込んでるじゃねーか、お二人さん。よければ先輩冒険者の俺たちが相談にのってやるぜ?」


 あの無礼な戦士の男と、


「キリと今一番親しいのは、私たち」


 シェイアという美貌の魔術士。


 彼に一度紹介してもらった『あの下水道の冒険者たち』のうちの二人が、わたしとユーネの前に座ったのだ。


「あ、貴方たち、なんで……」

「なんでもなにも。ガキんちょの槍折れてたし鉢金傷ついてたしで、なんか大変そうな目にあったぽいしで、しかもお前らが見るからにヘコんでる。気になるのは当然だろ?」

「今は後輩の面倒を見る気分」


 つまり、気まぐれか。こちらが真剣に落ち込んでいるのに、お酒なんか持っていい気なものだ。


「ま、とりあえずなにがあったのか話してみろよ。相談するだけならタダだぜ?」


 ―――普段であれば、怒鳴りつけていたかもしれない。この二人はこの冒険者の店で最も気に入らない相手だ。

 だけれどたしかに彼と親しそうな様子はあって、そして他にそういった冒険者のアテはなくて。

 これから自分がどうすればいいのか、分からなくて。


「実は……―――」






「ぶはっ、わはははははははははははははははは!」



 相談なんてするんじゃなかった。気の迷いだった。この場で魔力弾くらい撃っても許されるのではないか。


「良い。とても良いお酒の肴」


 シェイアはもう三杯目だ。注文しているのはたしかにお酒だったのに、顔色がまったく変わらない。

 人の失敗談を肴にしてこんなにお酒が進むなんて、どれだけ性格が悪いのだろう。


「ゆ……油断したのは認めるわ。それで奇襲を受けて、ゴブリン相手に危機的状況に陥ってしまったのも……」

「いや、そこじゃねぇ。笑えるのはそこじゃねぇんだけど、まずそこも間違いだ。お前らじゃ奇襲を受けなくても危なかった」


 むっとした。けれど、続く言葉には下唇を噛むしかなかった。


「あー、笑った笑った……。ったく、とはいえお前ら、よく無事だったもんだぜ。ゴブリンに殺される冒険者なんか珍しくねぇよ。この店だってついこの前も一人死んでる。待ち構えられてると予想できる場所にノコノコ出向いた時点で、お前らナメすぎだろ」

「剣で斬られれば人は死ぬ」

「全身鎧でも着てりゃ別だけどな。俺だってその状況ならわざわざ真正面から行ったりしねぇ」


 どんな相手でも、人を殺傷できる能力を持っている限り甘く見るべきではない……ということだろう。グゥの音も出ない教訓だ。

 この二人ですら慎重にならざるをえない状況で、わたしはゴブリンを弱い魔物だと侮った行動をしてしまった。

 つまりわたしは、最初の判断から完全に間違っていたのだ。


「……最初に彼が来なかったのも当然ね。彼がどれだけ強くても、不利な状況にあえて飛び込むのは間違ってる。それが、今なら分かるわ」

「それも間違い」


 お酒をクピリと飲んで、シェイアはわたしの言葉を否定した。


「彼はそんなに強くない」


 それは……まあ、弱そうに見えるけれど。でも実際に彼はゴブリンを三匹倒しているし、わたしはそれをこの目で見ている。

 ああいや、ゴブリン三匹くらいなら倒せる冒険者はたくさんいるだろうから、そういう意味でならたしかに彼は強くはないんだろうけれど。


「たぶん、ゴブリン一匹と互角?」

「いやいや、ちょいとガキんちょの方が分がいい。槍の長さと鎧があるし、なんてったって最近は俺が稽古つけてやってるからな。ま、それにしたって五回やったら三回は勝ちを拾えるだろうってくらいのもんだが」

「え……」


 ユーネが驚きの声を上げる。わたしも同じ気持ちだった。


「でも……でもー、キリ君はユーネたちを助けてくれたとき、ゴブリンを三匹も倒してるんですよぅ? その評価はいくらなんでもおかしくないですかー?」

「ああ、そりゃあアレだ」


 戦士の男はグビリと酒を飲んでから、木のコップを持った手で順番に、わたしとユーネを指し示す。


「お前らがいたからだよ」


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