奥義
「つまり、自分の武器をわざと落としてやるんだ」
なに言ってるんだろうこの人。―――それが、その話を聞いた最初の感想だった。
鉢金ぶっ叩き訓練で初めて目を開けていられた夜。僕が今使えることを教えてくれと頼んで、ウェインは奥義を教えてやると言った。
のだけど……その内容がこれだった。
「そんな顔するんじゃねぇ。いいかガキんちょ、ここで言う奥義ってのは一撃でどんな怪物でも倒すようなスゲぇ技のことじゃねぇんだ。最後の最後に出す奥の手、いざって時に縋り付くやぶれかぶれ、普通に勝てる相手には使う必要がないクソ技だ」
「クソ技って……」
説明を聞いて、僕はますますそんな顔になってしまう。教えられる方の身にもなってほしい。
「だが、自分より強い相手に勝つ技でもある」
ウェインは手に持った小枝を指で回す。明るい月が照らし出すその姿はどこか、いつもの彼とは少し違って見えた。
「ガキんちょは弱いからな、もし敵と戦うことがあればだいたい向こうの方が強いはずだ。だったら、こういうのも一個くらい覚えておいて損はねぇ。そうだろ?」
うんうん、と今度は腕を組んで、自分の言葉を自分で肯定するようにうなずくウェイン。
なんだろう。とっさに口走ったことに対して、後付けで理由を足しているようなこの感じ。やっぱりいつものウェインかもしれない。
「まあ騙されたと思ってちょっと考えてみろ。自分が武器を落としたら相手はどうすると思う? あるいは、相手が武器を落としたとしたら、自分ならどうすると思う?」
「僕が槍を落としたら……。相手が武器を落としたら?」
ふむむ、と考えてみる。まあ教えてもらえるというのだから、とりあえず教えてもらおう。そのうえで使うかどうかを判断すればいい。たぶん使わないけど。
「……僕ならその武器が拾われないように、足で遠くまで蹴っ飛ばすかな?」
「お、いい答えだな。正解だ」
正解したらしい。まあ普通の行動だと思うけれど、間違えなかったのは嬉しい。
「他には武器を拾わせないよう牽制するとか、自分でその武器を拾って使っちまう、とかかな。ああ、もちろんこれ幸いと普通に殴ってくることも多いな」
……正解はたくさんあったらしい。なんか納得いかない。
「つまり、だ。お、相手が武器を落としたな。危ないから防御しよう、なんてヤツはいねぇ」
月が薄い雲で隠れる。とっくに暗さに慣れた目でも、相手の表情が見えないほどの光量しか届かなくなる。
なのにウェインが笑ってることは分かった。……それも、凄惨に。
「その瞬間だけ、敵は隙だらけだ」
ゾクリとした。背筋が凍るような気がした。無茶苦茶だこれ。
それはほんの一瞬の隙を作るためだけに、自分の武器をかなぐり捨てて、敵の動きを意図的に操るための技。……いや、こんなの技ですらない。武器をわざと落とすだけなのだから、今聞いたばかりの僕でもできる。
これに必要なのは、技術なんかじゃない。
「でも……でも、武器がなければ敵を倒せないよ」
「サブの武器があればそれで攻撃できるだろ?」
「いや、持ってないし……」
はぁー、と肩をすくめ、わざとらしくため息を吐くウェイン。まるで僕の考えを見透かしているようなその仕草。
「サブの武器が無かったら拳で殴りかかってもいいし、蹴っ飛ばしてもいい。なんなら掴んで引きずり倒してやってもいいさ。やり方なんて気にするな。一撃で首を折ろうが刃物で滅多刺しにしようが、最終的には同じなんだ。結果は大して変わらねぇから、どんな方法だって構わねぇんだよ。……いいかガキんちょ、これは覚えておけ。だいたいの相手ってのはな―――」
薄い雲が流れ、月がまた顔を出す。ウェインは得意気に笑っていた。
そして得意気に、あまりにも当たり前のことを口にする。
「―――殺せば死ぬもんなのさ」
ウェインはあれを、すごい技ではないと言った。最後の最後に出す奥の手、いざって時に縋り付くやぶれかぶれ、普通に勝てる相手には使う必要がないクソ技。……そう、表現した。
聞いてみて分かった。たしかにすごい技ではない。
けれど同時に、自分より強い相手に勝つための技という意味も、理解できた。
あれは、死を覚悟してから出す技なのだ。
絶対使わないと思った。そんなの絶対に使いたくないと思った。
けれど槍が折れ、ゴブリンは嗤い、短剣は大きく振りかぶられた。
―――その瞬間、敵は隙だらけだ。
その言葉が頭をよぎり、もうこの一瞬だけなのだと直感で悟った。
わざと武器を落としたわけではない。槍が壊れただけ。教えられた奥義と状況はほぼ一緒だが、意図的にやったわけではないから僕の体勢は崩れている。ゴブリンの攻撃を避けるような余裕はない。
だから踏み込んだ。
ぶち殺してやる、と胸を暴れ回る怒りを燃やす。その感情で身体を動かす。
いざって時に縋り付くやぶれかぶれに、今縋り付いた。
振り下ろされる短剣の軌道へ跳び込むように、身体を前へ。足は踏ん張り、首に力を入れて、歯を食いしばって。
目を見開く。―――攻撃されても目を閉じないようにする練習。それをやるためにウェインにもらって、実際に何度も何度も何度も叩かれた、頭を守る防具。
鉄板を布に縫い付けた、鉢金という装備。
上からも、横からも、もちろん後ろからの攻撃も守れない。顔も剥き出しで本当に額しか覆わない、防具というにはあまりにも頼りないそれで受けるために―――目を開き、短剣の軌道に自分の額を合わせる。
衝撃が走った。音なんか聞こえなかった。首の骨を伝って背中まで痛みが走る。目がチカチカして、額の感覚がなくて、頭がクラクラして、涙が出て。
「――――――っ!」
声にならない叫びを上げて、獣のように跳びかかる。
感覚のない額で短剣を押し返し、ぎょっとするゴブリンの目を隠すように顔を掴んで、体当たりのように地面へ突き倒す。後頭部を強かに打った敵がギャッと声を上げて、一緒に倒れ込んだ僕はその胸の上に乗っかった。
壊れて半分ほどの長さになってしまった槍の柄を、両手で持って振りかぶる。
「ああああああああああああああああああああああっ!」
折れてささくれ立った端部を、顔面へ突き立てるように殴打する。
鼻骨がひしゃげた。頬骨が割れた。頬肉が破れた。折れた前歯が喉奥に刺さった。額がヘコんだ。顎が砕けた。
何度も、何度も、何度も殴打する。力の限りに。
幾度となく繰り返す殴打で腕が痺れてくる。振りかぶって振り下ろす動作の時に動く頭が痛みを訴える。槍を伝わってくる嫌な手応えに心の奥が悲鳴を上げる。それでもやめない。やめるわけにはいかない。
相手が死ぬまで。
やり方は関係ない。槍の穂先がなくなってもやることは変わらない。同じ結果さえあればいい。教えてもらったから知っている。
殺せば死ぬ。
グチ、と槍の柄が動かなくなる。ゴブリンの砕けた眼窩に突き刺さって填まってしまい、抜けなくなってしまったのだ……と理解するのに、クラクラする頭では少しの時間が必要だった。
槍の柄を抜くのを諦め、確認する。ゴブリンの顔は元の造形が分からないほどに崩れ、もうピクリとも動く気配はない。さすがに死んだだろう。
はぁ、と息を吐いた。呼吸が苦しくて、そのまま空気を求めて肩で息をする。―――走ってきて、そのまま戦ったのだ。息ぐらい上がる。
口を開けて荒い呼吸をしながら立つ。そしたら、ヒィッ、という小さな悲鳴が聞こえた。視線だけ向けてみると、ユーネが怯えた顔でこちらを見ていた。
そうか、と思う。今の自分はそりゃあ、女の子から見たら恐いのだろう。というか僕が彼女の立場でも恐がる。
ゴブリンに馬乗りになって、顔面をグチャグチャにするほど殴って殺したのだ。見てる方は恐怖を感じる光景だったに違いない。
立つと頭がクラクラして、ぼーっとした。どんな方法でやろうが結果は変わらないってウェインは言ったけど、あれは嘘だったみたいだ。ちゃんと見た人の心証が変わる。
まあどうでもいい。
周囲を見回して、近くに落ちていた槍の穂先の方を拾った。やっと激しい痛みを訴えだした額を左手で押さえると、鉢金の上部に切れ込みのような傷跡が入っているのが分かって、その鉢金の布部分からどろりと血が垂れてくる。どうやら完全には受けられなかったらしい。やっぱり鉢金はあんまりいい防具じゃないんだな、と思いながら流れてきた血が入った左目を閉じる。
怯えるユーネに背を向けて、歩く。じれったいほどゆっくりとしか動けなかった。
「な……なによ」
向かう先にはリルエッタがいた。
血の気が引いた青い顔。怯えて震える身体。けれど、ゴブリンの血で汚れた顔だけは気丈に、僕を睨んでいた。
「それみたことか、とでも言いに来たの? わたしたちより自分の方が強いんだって自慢したいのかしら? それとも助けてやったのだからお礼を言えとでも?」
口を開くたびに、彼女の顔が泣きそうになっていく。まるで言葉のナイフで自分を刺しているかのよう。
そんなふうになるなら言わなきゃいいのに。
「あ……あんな敵なんて、べつに貴方が来なくたって―――」
ああもう、うるさいなぁ。
なにを言われているかいまいち頭に入ってこなくて、ただうるさいとしか感じなくって、僕は右手に持った槍の穂先を突き出した。




