マグナーンの教え
ガサガサガサと、茂みを掻き分けながら二人で山道を歩いていく。
採取場所への道は一旦頂上付近にまで登ってから、ぐるりと回り込むように山の裏側へと向かう形になっていた。相変わらず邪魔な石や根っこなどでデコボコしたり、枝葉が突き出していたりですごく歩きにくい。けれど目的地が間近になると厳しい坂がなくなるので、少しは楽になる。途中にはなだらかな下り坂まであって、やがて山中にしては珍しい広く平坦な地面に出る―――この山頂近くのほぼ平らな地形は、たしか山の肩と呼ばれるもののはずだ。
「……足跡、まだありますねー」
先を進むユーネが、地面に視線を落としてそう呟く。
たしかに注意して見れば、靴ではない裸足の足跡があった。人の子供くらいのそれには伸び放題の爪の跡も確認できる。……とはいえ昨日と一昨日のわたしたちの足跡に紛れているし、そもそもそこまでハッキリ残っているわけでもない。地面は乾いているしでこぼこで、言われていなければ気づかなくてもおかしくなかった。
そういう点では、真っ先に気づいた彼はすごいのだろう。あれでも一応先輩の冒険者ということだ。
とはいえ―――体躯は子供並みで力も弱く、頭も悪くて魔物の中でも弱いといわれているゴブリンを恐がっているようでは、冒険者として話にならない。そんな調子では店に寄せられる依頼などほとんど請けられないのではないか。
……ああいや、だから主に薬草採取をやっているのか。
「この先にゴブリンがいるってことね。警戒していきましょう」
隊列はわたしが後ろで、比較的装備が厚いユーネが前。本当なら治癒役の彼女は下がるべきだが、二人しかいないため仕方がない。
まあ、ゴブリンが出てきたら彼女は防御に専念してもらって、わたしが魔術で倒せばいい。それが単純だが有効な立ち回りだろう。
「もし彼の言うとおりゴブリンがわたしたちを待ち伏せしているとしたら、とんだ低脳ね。わたしたちがこの足跡に気づく可能性を考えていないってことだもの」
「まあ……そうですねぇ。こちらは警戒をしながら行けますからー」
そう。そうなのだ。
必ず敵がいると知っていれば、警戒していける。なら不意打ちなどくらうはずがない。
やはり彼は臆病すぎる。冒険に危険はつきものなのに、もしかしたら彼はこの仕事に向いていないのではないか。
「でも警戒しながら進むなら、ユーネたちよりキリ君の方が上手いんですよねぇ……」
「いない人のことは口にしないで」
「うぅ……はいぃ……」
名前を聞いて、抑えきれない苛立ちが声に漏れる。それでユーネを怯えさせてしまって、わたしはため息を吐いた。
これは、あまり良いことではない。それは分かっているのだけれど。
ユーネの言葉は、たしかに事実なのだろう。
彼は一見小さくて頼りなく見える。が、常に周りを警戒しつつ進んでいたし、すぐに槍を構えられるようにしていたし、それができるくらい山道に慣れていた。
対するわたしたちといえば……そもそも他の山に入ったことがないくらいにこういう場所は不慣れである。
―――これは認めるべきなのだろう。冒険者の店で最初に会ったあの戦士の男の言うとおり、わたしたちは経験が浅く、先輩である彼よりも劣っているのだと。
「……でも、それは現時点の話よ」
うかつにも思考が声に漏れ出してしまった。視線を上げてユーネの背中を見る。彼女はキョロキョロと周囲を警戒しながら、おっかなびっくり歩いている。―――どうやら聞こえなかったようだ。
ホッとしながら、自分も周囲を見回す。さすがに山だけあって、木々や藪が視界の邪魔をしていて、死角が多い。特にマナ溜まりである目的地に近いこの辺りは、他の場所より植物が繁茂してより鬱蒼としている。
こういう場所だと、ゴブリンは身体が小さいから身を隠し放題に違いない。どこに潜んでいてもおかしくないとすら思う。
「ひぃぃ……これは、思ってたよりもずっと恐いかもですぅ」
「我慢しなさい。相手はしょせんゴブリンだわ」
弱音を吐くユーネを叱咤する。
たしかに気持ちは分かる。こんな死角だらけ、身を隠す場所だらけの場所を、確実に敵がいる方向へと進んでいるのだ。いつ敵が飛び出してきてもおかしくはないという緊張の中で動かす足は遅く、ともすれば震えてしまいそうになる。
でも、それではいけない。こんなことで臆病風に吹かれて立ち止まっているようではダメなのだ。
わたしはもっと上に行きたい。
マグナーンのためにという名目で冒険者になったのは、自由になるためだ。
そして自由になるためには、それができるだけの力を示さなければならない。
海塩ギルドの庇護下に戻さなくとも良い、と。
むしろ自由にさせておいた方がギルドとわたしのためだ、と。
そうマグナーンに思わせるだけの材料を揃えなければ、奇跡のように得た冒険者という名の翼はあっさりと毟られてしまう。
「ふん。彼とは元々縁がなかったのよ」
よくよく考えれば、彼とこの先も一緒にやっていく選択肢はないのだ。ゴブリン程度に逃げ出すようでは話にならないのだし。
臆病な彼がゆっくり慎重に行くのならそうすればいい。わたしは急ぐから、その背を駆け足で抜かしていくだけである。
「まったく……パーティの仲間の意見もろくに聞かないで、あんなふうに命令してくる男とは思わなかったわ」
うっかりとまた彼のことを思い出してしまって、連鎖してさっきのことが頭に浮かんできて、どうしようもなくイライラしてしまう。
わたしは魔術士だ。ユーネは治癒術士だ。たしかに彼に比べて体力はないかもしれないが、それを補って余りある結果を出せる魔術を使える。
なにが、わたしたちはゴブリンよりも弱い、だろう。彼はわたしたちの実力なんて欠片ほども見ていないのに。
「ユーネには、キリ君の気持ちも分かるんですけどねー」
「は?」
両手で長柄のメイスを構えて、ビクビクしながらも必死に警戒を続けながら進んでいるユーネの、こちらを振り返らずに発せられた言葉。それが驚きで、思わず聞き返してしまう。
彼のあの態度に、このおっとりした幼馴染みは腹が立たなかったのだろうか。
「キリ君、朝に言ってたんですよー。危険があると僕じゃ守れないから恐い、って。そりゃあキリ君って弱そうですし自分も恐かったのでしょうけどー、お嬢様とユーネがいたから余計に恐かったんじゃないでしょうかー」
……それは。けれど。
「それこそ侮辱だわ。わたしたちは冒険者で、パーティの仲間なのよ。信用し、信頼し、協力して困難に当たるべきであって、守ってあげようだなんて思われるのは不愉快だわ」
本当に、気に入らない。彼はわたしをどれだけ苛つかせれば気が済むのだろうか。
わたしより小さいくせに、あんなに弱そうで槍も鎧も全然似合ってないくせに、わたしの魔術なんて探査しか見たことないくせに―――
「だからキリ君は、ユーネたちをパーティの仲間として認めてくれてなかったんですよぅ」
ユーネは前を向いたままだった。
「だってそうですよねー? 初めての冒険だからお試しにってついて行かせてもらって、大して役にもたたないくせに足を引っ張って、図々しく他の冒険者さんのことも紹介してもらって、なのにすぐ抜けるからみたいな振る舞いをして。そんなふうに、キリ君を次への踏み台みたいに扱ってたのはこちらですしー」
―――………………っ!
「信頼を得るなら実績を。信用を得るなら誠意を。マグナーンのおじいさまの言うことは大切ですねー」
幼馴染みの口調はいつもの間延びした調子で……けれどその声は明確に、怒っていた。
「ああ、良かった。見てくださいお嬢様、採取場に辿り着きましたよー」
視界が開け、紫の花が咲き乱れる広場に出る……やっと広い場所に出たからか、ユーネの声は弾んでいる。―――けれども彼女は頑なに、こちらを振り返ることはなかった。




