不機嫌
「どういうことって……」
キリが座ったまま、わたしを見上げて首を傾げた。
その手には分厚い本。やはり題名は初級魔術書。
「あの探査の魔術、便利そうだったから教わろうと思って」
こともなげに言う彼の顔にはなんの他意もなさそうだ。悪気もなければ申し訳なさそうでもない。
それがなおさら納得できなかった。
「そ……そんなの、わたしがいればいいでしょうが!」
わたしがテーブルを叩くと、キリはまた首を傾げる。
「え……でも、リルエッタとユーネとは一時的なパーティなんだから、すぐいなくなっちゃうでしょ?」
それは……たしかにそうなのだ。
彼と組んだのはあくまでなりゆきで、そこの無礼な戦士のせいで、最初の少しの間だけの臨時パーティだ。それは双方ともに了解済みである。
だから、わたしたちはすぐに彼のパーティを抜ける。彼が探査の魔術を必要としているのであれば、自分で使えるようになろうという考えは正しい。
けれど。それは。あまりにも。
「ま……魔術を使うには深い知識と長い修練が必要なのよ。そんなにすぐには使えないわ。いいえ、どれだけ訓練しても使えない人だっているのよ」
「え、そうなんだ?」
頑張っても使えないかもしれないのは知らなかったのか、キリが困った顔をする。
―――……困った顔。崇高で深遠なる魔術を修得できない可能性を教えてあげたのに、彼の表情はただ、ちょっと便利そうな道具が手に入らないかもしれないという程度の動揺しかなかった。
魔術をなんだと思っているのだろうかと、こちらが驚くほどだ。
「才能がなければ魔術は使えない」
静かで、なのに不思議と耳に入ってくるような、シェイアの声。
「でも、魔術を使える者は魔術を学んだ者だけ」
それは当然だ。だからって引き下がれなかった。
だって魔術なのだ。マグナーンのわたしですら、学ばせてもらうこと自体に苦労したものだ。
それを一般人の、なにも持ってない彼が使いたいだなんて……
「魔術の行使には危険が伴うでしょう!」
「私が監督する」
「お金だってかかるわ。その魔術書だって高価なものではないのっ?」
「私のお古。書物は必要とする者のためにある」
「彼に崇高なる魔術を学ぶ資格があると……!」
「魔術士のたわごとに興味はない」
自分も魔術士のくせに、魔術士の全てを敵に回すような言い草をしたその女は……改めて見ると、息を飲むほど整った顔をしていた。―――そんなことに、今更気づいた。
なぜ今までそんなことに気づかなかったのか。そう驚くくらいに美しい顔が厳しい怒気を孕み、今日初めてわたしの方を向く。
「あなたは、うるさい」
ゾワ、と背筋に悪寒が走った。
怖ろしいほどの圧を感じる。思わず二歩も後退るほどの、濃密で明確にこちらに向けられた圧。
視線や声が恐いのではない。この程度で圧倒されたりはしない。
怖ろしいのは、わたしが魔術士だからだ。相手が椅子に座ったまま、凄まじい量の魔力を練ってこちらに向けていることに気づいたからだ。
その純粋な魔力の大きさ、洗練の度合い、循環速度。明らかに自分より遙か上の存在だと、肌で感じただけで分かるそれに身体が硬直し、声も出なかった。
「シェイア、やめな」
チッカが面倒くさそうに魔術士を窘める。ハーフリングは魔力量は少ないが、感覚が鋭くマナの異変にも敏感だと聞いたことがある。
その言葉で魔力の圧は嘘のように引っ込み、美しい魔術士は視線を伏せた。……今の圧力が、その程度で収めてしまえる程度の怒りで生み出されたものだったなんて。
「えっと……魔術を教えてもらうのって、そんなに大変なことなの?」
今なにが起こったのか分かっていない様子のキリが、おずおずと質問する。
それに答えるのにシェイアは、むぅ、と難しい顔をした。
「その通りであり、そうではない」
少し考えるような表情をして、数拍の時間をおいてまた口を開く。
「修得は大変。それ以外のことは気にしなくていい」
冒険者になるのが夢だった。冒険者になれば、いろんなところに行けると思っていた。
まだ見たことのない綺麗な景色がたくさん見られると、胸を高鳴らせた。
魔術が使えれば冒険者になれると思って、わたしは魔術を学ぼうと考えた。
魔術とは崇高なものだと教えられた。そう、魔術の先生に教えてもらった。選ばれた者のみが学ぶことを許され、特別な者のみが使用できると。
わたしは選ばれた者で、特別な者だった。マグナーンの人脈と資産によって教師を用意することができ、魔術を行使できるだけの才能もあったからだ。
マグナーンであるわたしが冒険者になれたのは奇跡だろう。下水道の新区画を発見した冒険者のおかげだ。
彼らの反応を見るに、冒険者にとってはつまらないものだったのかもしれない。けれどそれは、町に住む者にとってはどんな金銀財宝よりも価値がある宝だった。
もちろんマグナーンにとってもそうで、わたしはその糸口をもって反対する周囲を説得し、無理筋を通して冒険者になった。
計画してきた。努力してきた。運があった。
そこまでしてきたのに。
マナ溜まりという、マナが濃い場所を探すために探査の魔術を使って見せた。それがキリにはとても便利そうに見えたのだろう。
それはいい。魔術は崇高であり万能だ。たかが探査であそこまで喜ばれるとは思わなかったが、彼はとても純朴な人のようだったし、きっととても素晴らしいものに見えたのだ。
―――けれど、彼が初級魔術の書を受け取っているのを見て……魔術を教わろうとしているのを知って、わたしは察してしまったのだ。
彼が欲しいのは魔術だけで、わたしは必要とされていないのだ……と。
「つまり、お嬢様はキリ君に引き留めてほしかったんですねー」
二人にウェインたちを紹介した翌朝、リルエッタの機嫌はとても悪かった。挨拶も返してくれなかったほどだ。なんなら目も合わせてくれない。
声をかけることすら遠慮したくなるほどでどうしようか困っていると、見かねたユーネが出発前に僕を呼び出してそう教えてくれたのだ。なにそれ。
「えっと……でも、二人はそのうち別のパーティに行くつもりなんだよね?」
「はい。けれどそれはそれとして、行かないでって言ってほしいものなんですよー」
冒険者の店の隣にある武具店を覗きたいのでちょっとついてきてほしい。そんなふうに言われて、言われたとおり来てみたらこれだ。彼女はもう棚なんて見ていなくて、ひそひそ話で理不尽な話をする。
「そりゃあ、ユーネたちはあまり役に立ててないですし? どちらかといえば足を引っ張っている感じですけれどー。さっさとパーティを抜けてくれないかなー、なんて思われながら抜けるより、ずっと一緒に冒険したいーって思われながら抜ける方が気分がよいものなんですよねー」
「その考え方はちょっとどうかと思うよ?」
あまりの身勝手さにちょっと引いてしまう。どっちにしろ抜けるんじゃないか。
……まあでも、そういうものかも。僕だって逆の立場ならそう思うかもしれない。
「べつに、二人に早く抜けてもらいたいとかは思ってないよ」
そこは本当だったので、一応言っておく。
「危険があると僕じゃ守れないから恐いと思ってるけれど、二人と一緒だと楽しいし」
最初は厄介だと思っていた。実際、靴のせいで引き返したときはどうしようかと思った。
けれど二人とも、意外なほど真面目だったと思う。動きやすい靴を買うべきと言えばそうしてくれるし、水筒が必要だと分かれば用意してきた。
あのマナ溜まりを見つけられたのはリルエッタのおかげだし、一緒に飲んだ果汁は美味しかった。
なにより……なにより、リルエッタとユーネはこの町で初めての、歳の近い友達だから。
「……不覚です。今の、ちょっとドキッとしちゃいましたよ」
なんだかユーネが胸を押さえて視線を逸らしたけれど、心臓が痛いのだろうか。身体の不調なら今日はあまり無理させない方がいいかもしれない。
「ま……まあユーネとしては、キリ君とお嬢様さえよければ、しばらく一緒に冒険していたいなって思ってるんですけれどねー」
「そうなんだ?」
「そうなんですよー」
それは意外だった。僕と一緒にいるより、他のもっと強い冒険者とパーティを組んだ方がよほど有利だと思う。
だからこそ、彼女たちが別のパーティ行くのであれば、それを引き留めてはいけないとも考えていたのだ。
「実はマグナーンのおじいさまから与えられたユーネの役目は、お嬢様をお守りすることなのです。ですので、なるべく危険の少ない冒険を無理なくやっていきたいなー、と。そんなふうに考えているわけでしてー」
―――なるほど。たしかに彼女がそういう立場なら、僕のパーティは抜けない方がいいだろう。
そういえばリルエッタに比べてユーネはあまり自分の意見を言わないけれど、一番最初、ウェインとリルエッタが言い争っていた時、ウェインの言葉に賛同して僕について行こうと言ったのは彼女だった。ユーネにしてみれば、あの話は渡りに船だったのだ。
「なのでユーネとしても、キリ君にはできればお嬢様を引き留めてほしいという所存なのです。……ユーネが言っても聞いてくれませんので」
最後にちょっと情けない言葉があって、彼女が言っても無理なら僕が言っても無理ではないかとも思ったけれど、そういうことなら説得してもいいかもしれない。
そもそも昨日の話では、リルエッタの目的は信用できる腕利きの冒険者と知り合いになることのはずだ。それならば必ずしも彼女たちが危険な冒険へ行く必要はないはずで、なんならウェインとシェイアとチッカを僕が紹介した時点で目的達成しているのではないかとすら思う。
仮に引き留めが成功して、しばらく僕のパーティにいたとしても……うん、なんにも問題はないのだろう。
ただ……懸念材料はあった。
「分かったよ。やるだけやってみる……やるだけね」
僕がそう言うと、ユーネの顔がパッと明るくなる。どうやら彼女は本当に僕のパーティにいたいらしい。
ただ……僕にもあまりリルエッタを説得できる自信はなかった。
何も買わずに武具屋を出て冒険者の店に戻る短い間、僕は腕を組んで困り果てる。
実際問題、薬草採取に三人も必要ない。しかも希少な魔術士と治癒術士がいるとか、他の冒険者から見たらもったいないとしか思わないだろう。
僕も探査の魔術を使えたらいいなって思って勉強し始めたから、分からないことがあったらリルエッタが側にいてくれると気軽に質問できて嬉しい。けれど彼女はそもそも、僕が魔術を習うことには反対のようだった。
今はマナ溜まりの高価な薬草のおかげで稼げているが、普段の薬草採取はそんなに稼げない。お金のことを考えたら、彼女たちは他のパーティに行って能力を活かした方がいい。リルエッタはお金持ちの家の子みたいだからそこまで報酬に拘らないかもしれないけれど、どうせなら稼げた方がいいに決まっている。
なんというか……改めてこう考えて見ると引き留める理由の材料がない。正直困ってしまうほどだ。
そしてさらに重要な問題として……彼女は今日、とても不機嫌だった。そう―――
「ふざけるんじゃないわよ! 二度と話しかけるなこの無礼者!」
―――冒険者の店の扉を開けた途端、こんな怒声が聞こえてくるくらいに。




