少年とバカの出会い
言われたとおり、壁には依頼書がたくさん貼ってあった。木の壁にピンで刺された羊皮紙は並びは乱雑で、重なり合っているところもあればすごく閑散としているところもあって不思議だ。どうしてもっときちんと貼らないのだろう。
ピンの穴だらけな壁が痛々しいなと感じながら、試しに自分の目線のところにある依頼書を読んでみる。
「討伐……退治だよね。えっと、どこかに洞窟の蛇のモンスター? が出たから倒してくれってことかな」
字はなんとか読める……けれど、いまいちピンとこない。蛇がどれくらい大きいのか分からないし、あと地名が分からないからどこの話か分からない。
ただ、ちょっと分かった。依頼書の一番上には大きめの文字で見出しが書いてある。壁を見上げて、見える範囲を読んでみる。
討伐。討伐。護衛。調査。人捜し。採掘。討伐。船の荷下ろし。警備。石材運搬。調査。護衛。配達。
なんかただの力仕事も交じってるけど、どれも冒険者の仕事らしい。やっぱり何でも屋だ。
読めない字に苦労しながら、一つ一つ読んでいく。
討伐、護衛、警備は僕にはできない。僕は同じくらいの歳の子たちと喧嘩して勝ったためしがない。力仕事も無理だと思う。調査ならどうかと思ったけれど、内容を読むと希少な魔物の生態分布……とかなんとかでなんだか難しそうだ。人捜しや配達は、この町の道が全然分からないからダメ。
困った。できる仕事が見当たらない。
そもそも、子供でもできるような仕事を依頼する人なんているのだろうか。そんな不安がよぎりつつも、なにか自分にできそうな仕事がないか探していく。農作業の手伝いとかなら、家でよくしてたのだけれど。
「よぉ、ガキんちょ。新米かぁ? 文字は読めるかよ?」
後ろからいきなりそんなふうに声をかけられて、ビクッとした。
飛び跳ねるようにして振り返ると、そこには男の人がいた。濃い茶色の髪に一房だけ白が交じっているのが印象的な、すらりと背が高い人だ。傷だらけの金属鎧を着て腰に長剣を吊っているから、きっと冒険者だと思う。……のだけれど。
……え、なんだろこの人。
その人の顔を見て、驚いてしまった。
陽は高いけれど多分まだ朝なのに、なんかすごくお酒臭い。顔が赤いのはきっと酔ってるからだし、右手で後頭部を押さえてるのは悪酔いして頭痛がしてるからだと思う。二軒隣のおじさんが少し飲んだだけでああなってた。
けれど、なんで目まで真っ赤に腫れてるんだろう。なんか泣いた後みたいで、それが妙に恐い。
「え、えっと……さっきギルドに入りました。文字は一応読めます」
とりあえず聞かれたことだけ答えると、男の人は頭痛に顔をしかめたままニヤリと笑った。恐い。
「ほぉ、スゲぇな。その歳で字が読めるたあなかなかのもんだ。どれ」
男の人はフラフラした足取りで僕の隣に並ぶと、依頼書の一つを指さす。
「これがなんて書いてあるか言ってみろよ」
指さされたのはトカゲみたいなモンスターの絵が描いてあるやつだった。見出しには調査と書かれている。
……どうやら、本当に文字が読めるのかと疑われているらしい。
「沼の大トカゲの調査……って書いてあります。だいたい何匹くらいいて、どういう場所に巣を作るのか調べて、なにを食べるのか見て、糞をとってきてって。人を襲うこともあるから注意、とも」
ちゃんと読めた。けれどこの仕事は僕には無理。最後の一つが物騒すぎる。
「ほほぅ……じゃあこっちはどうだ?」
「畑の警備です。熊とか猪が出るから守ってほしい、と。二十日間って書いてます」
これは簡単に読めた。けれど熊や猪は僕じゃどうにもならないな。
「長ぇなぁ。じゃあコイツは?」
さらに指で示されたのは、ちょっと難しい。字はなんとか分かるけれど、ちょっと想像できない。
「地面の下の水の道……の、大きなネズミ退治? ちょっと自信ないです……」
「ああ、そいつは下水道のビッグラット退治だな。猫より二回りはでかいネズミだ」
「げすいどう……ってなんですか?」
「あん? 地下にある水路だよ。町の下にあって汚物とかを海に流すんだ」
そんな……そんなのがあるのか。町って凄い。地面の下まで凄いんだ。
「ま、通ってるのは町の中心部だけだけどな。ほれ、それの続きはなんて書いてある?」
「続き……? えっと、常設、って書いてあるのかな。ネズミは切り取った尻尾を討伐の証拠とする。報酬は一匹あたり銅貨で……」
「尻尾だな。ああ、そうだったそうだった。なかなかやるな」
なにかおかしい気がした。だけど、その違和感の正体へ辿り着く前にその男の人は、壁に貼ってあった一枚の依頼書のピンを抜いて僕に押しつける。
「お前はこれだ」
「え……?」
「じゃーな、ガキんちょ。あんま町から離れるんじゃねーぞ」
唖然として受け取ると、男の人はニカッと笑ってから背中を向けて、受付の方へ行ってしまった。右手は肩越しにひらひらと手を振ってくれていて、左手には僕に渡した依頼書とは別の羊皮紙が一枚握られている。
えっと……なんだったんだろう。
「……バカに利用されたね」
「わっ」
すぐ後ろ、ほとんど耳元で声がして、僕はまたビクッとなった。後ろから声を掛けないでほしい。
振り向くと、とんがり帽子の女の人が僕に目線を合わせるようにしゃがんでいた。紺色のローブの裾が床につかないよう、膝の上に引っ張っているのが町の人っぽい。
青みがかった銀色の髪が綺麗な女の人だ。肌が白くて整った顔をしているその人は、宝石のように透き通った蒼い瞳で男の人の背中を追っていた。
「ウェインは字が読めないから」
「そうなの?」
あの男の人はウェインっていう名前らしい。もしかして、と思って壁を見れば、さっきのネズミの依頼書がなくなっていた。
ウェインが受付に持っていったんだ。
「字が読めないなら言えばいいのに……」
言ってくれれば読むくらいしてあげたし、僕だってビクビクしなくてすんだ。
試されてると思って無駄に恐がってしまったじゃないか。
「恥ずかしいの」
「……恥ずかしいの? 字が読めないことが?」
意外な言葉を聞いて、僕は目をパチクリさせる。
村では読み書きができることでバカにされたことまであったのだけれど、町だと違うのだろうか。字の練習より、川に投げた石を三回跳ねさせる方が先だ、なんて言われないのだろうか。
「字は関係ない。仕事を覚えてないことが問題」
ああ、そうだったそうだった。あの男の人……ウェインはそんなふうに頷いていた。
「今まで仲間に面倒を押しつけてきたから」
……なんだかこの女の人、一つ一つの言葉が少ない気がする。もう少し詳しく言ってくれると分かりやすいんだけれど。
でも、よく考えて繋げればなんとなく分かる。
つまりウェインはあの仕事を何回かやってるけれど、内容を覚えてなかったってことらしい。しかも文字が読めないから、あの依頼を受けるなら改めて仕事内容を誰かに聞かなくちゃならなくて、それが恥ずかしかったということなのか。うん、たしかにそれは恥ずかしいかもしれない。
けど……一緒にやっていた仲間、今はいないのだろうか。
「これあげる」
ぽん、と手渡されて、思わず受け取ってしまった。小さいけれどしっかりした重みがある、棒状のもの。
なんだろうと思って見て、ぎょっとした。それは鞘に入ったナイフだった。
刃物。触るのが初めてってわけじゃないけれど、家だと危ないからって遠ざけられていた。
こんなに簡単に渡されるなんて。
「読み代金。その依頼には役立つ」
そう感情少なめな声で言って、女の人は膝に手を突いて立ち上がる。踵を返して僕に背中を向けて、そのまま食事処の方のテーブルに行ってしまった。
ぽつんと一人になって、あ、話が終わったんだ、とやっと分かった。こんなふうに行っちゃうことある?
「ええっと……これを受付に持っていくのかな」
キョロキョロ辺りを見回して、もう後ろに誰もいないことを確認してから、持っていた依頼書に目を通す。絵がたくさん描いてあって分かりやすい。―――そして、なるほどと思った。
これならできるかもしれない。
頬傷のある恐い顔のおじさんのいる受付へ戻る。まだ何かの書類と格闘していて、依頼書をカウンターに置くと眉をひそめて見られた。
書いてある内容は……『薬草採取』。数種類の草の絵が描いてあって、それを採ってくる仕事。
他のと比べて難しくなさそうだし、採れる場所も町の近辺って書いてある。その分、稼げるお金は少なそうだけれど、とにかく今はできそうな仕事があるだけでもありがたい。
「分かった。受理しておく」
恐い顔でため息を吐いて、受付の人は依頼書を摘まみ上げる……そして奥にある棚の上に置くと、また元の書類へと目を通す。
………………えっと。
「あ、あの……その依頼書って持って行けないんですか?」
聞くと、恐い顔が面倒そうにこちらを向いた。
「この依頼は常設だ。いつでも誰でも受けられる類のものだから、依頼書は後で壁に戻す。……面倒だから次は口頭だけでいいぞ」
常設って、ネズミ退治にも書かれてたやつだ。あれ、いつもある依頼ってことなのか……それは壁に戻すよね。
どうしよう。いきなり予定が狂ってしまった。依頼書の絵を見ながら探そうと思ったのに。
「……すみません。もう一度、依頼書の絵を確認させてもらっていいですか?」
恐い顔のおじさんはまたため息を吐いて、もう一度依頼書を見せてくれた。




