釣り餌
油断して休んでいるところに奇襲をかければ、慌てふためいて逃げるだろう。
これ以上近寄ると気づかれるのであれば、向こうにこちらへ来てもらえばいい。
だから、小さくて子供で、いかにも弱そうな僕が遠くから石を投げる。
当たれば良し、当たらずとも相手を挑発できればそれでいい。
投石はあれでけっこうな威力がある。が、子供の力なら思いっきり投げたとしても、それで行動不能になることは希だ。そうとう当たり所が良くないと倒せない。
だからこそ、ヤツらは怒りを露わに向かってくる。武器を取り、自分たちより弱いくせに楯突いてくる人間に向かって真っ直ぐに殺到してくる。
ゴブリンは絶対に逃げ出したりはしない。僕が姿を見せて石を投げれば、必ずそうなる。
それがシェイアの作戦で、僕はそれを聞いてこう問うた。
「つまり、僕は囮ってこと?」
「違う」
シェイアは首を横に振る。
「釣り餌」
囮の方がまだマシだと思う。
「よし、釣りなら得意だ。それでいこう」
「雑魚ばかりなのが不満だがな」
釣りと聞いてチッカが賛成し、ウェインが悪い笑みで頷く。
冷静に考えてほしい。シェイアは釣り餌に例えたけれど、これは釣りではない。だって相手は魚じゃなくてゴブリンなのだ。
けれどチッカもウェインも乗り気で、すでに視線を巡らして自分が隠れる場所を探している。―――それを見て、この二人はたぶん他の作戦を考えるのが面倒くさいのだろうな、と察してしまって、作戦に反対する気力が萎えてしまった。
釣り餌だなんて、なんて的確な例えだろう。僕は食べられる側。つまり相手より弱い役どころだ。
……それを不満に思う気持ちもなくはなかったけれど、自分が弱いことは分かっているので、ぐっと飲み込む。
そもそも、僕では他に作戦なんて思いつけなかったし。
なによりこれならば、僕だって役に立てるから。
「ぜあっ!」
一匹を斬り伏せた剣を返して、ウェインはかけ声と共に横薙ぎに振るった。さらにもう一匹の腹を深々と裂いた。悲鳴があがり、鮮血が舞う。
「下がってろ、ガキんちょ!」
ウェインはそのまま藪の陰から飛び出て、僕をかばうように前に立つ。―――まったく淀みない動き。瞬く間に二匹を倒し、前衛の位置に陣取った。
残り四匹。
二匹が棍棒を振り上げてウェインに襲いかかる。一つは避けて、一つは剣で受けた。牽制に剣を振ると、ゴブリンは跳び退くように後ろへ避ける。
残りの二匹は、ウェインが隠れていた茂みや木が邪魔でマゴついている。障害物を利用して、四匹を一度には戦えないようにしているのだと直感的に理解した。
すごい、と素直に思う。一撃でゴブリンを倒してしまう剣技も、複数の敵を相手に立ち回る動きも。
けれどもう奇襲は終わった。
ゴブリンが棍棒を振り下ろす。それを避けたウェインは斬りつけようと剣を振ろうとするが、直前で別のゴブリンの攻撃に反応する。
地形を利用して一度に攻撃させないようにしているとはいえ、それでも一対四。
僕は地面に置いてある石と槍とを迷って、石を一個と槍を拾って走った。
ウェインは強い。それは知っていた。前に冒険者の店の裏手で丸焼きにしていた、あのワニを見れば分かる。
でも今の相手は四匹で、しかも僕をかばいながらだ。それでは守りを主体にするしかないのだろう。受けるばかりで、なかなか攻撃できないでいる姿は苛立っているようにも見えた。
……前にウェイン自身が言っていた。相手は倒したけれど自分も大怪我したなんて、負けと同じだって。あれはきっと、安全に攻撃できるタイミングを計っているのだ。
―――その隙は、僕が作る。
槍は左手に。いつでも構えられるように。
石は右手に。思いっきり投げられるよう、しっかりと握る。
ウェインの真後ろからでは石を投げられない。万が一にも背中に当てるようなことをしてはならない。必死に駆けて、横に回った。
「やっ!」
かけ声を上げて、力いっぱい石を投げる。少し焦ったせいで狙いが逸れるけれど、幸運にも後ろのゴブリンの一匹に命中した。ギャアッという悲鳴。よし、と思わず手を握った。
―――そして、そいつが僕を見る。
「おまっ、余計な手ぇ出すな―――」
ウェインが驚きの声を上げる。後ろの二匹のゴブリンが、僕に向かって走ってくる。
「あ……」
横に回ったから、ウェインが壁になってくれない。ゴブリンの体格は僕とそこまで変わらないし、槍の方が長いから一匹ならどうにかと思ったけれど、二匹は無理だ。
錆びた短剣と刃こぼれした斧が僕の方を向いている。しかも両方とも刃の汚れがひどくて、見るだけでおぞましい。あんなので斬られたら痛いだけじゃすまない気がする。
というか、痛いだけですむはずがない。ヤツらは僕を殺す気なのだから。
「…………」
後退ろうとして、実際に一歩後ろに下がって、その一歩に絶望した。
あれは、ムジナ爺さんの仇だ。退るなんてダメだ。絶対にダメだ。
「ああもう! 逃げるヤツ担当だってのに!」
ギャ、と悲鳴が上がった。見ると一匹のゴブリンの肩にナイフが刺さっていた。木に隠れていたチッカが身を現して、新しい投げナイフを構える。
ナイフを受けたゴブリンがチッカを見つけ、肩を押さえて方向を変える。一匹向こうに行く。
錆びた剣を持った一匹だけが、僕に向かって走ってくる。
「逃げなさい! ムジナなら逃げる!」
どこかからシェイアの声が聞こえた。それはたしかにそうだと思った。
さっきは仇相手に後退るなんてダメだと思ったけれど、ムジナ爺さんならこの状況でも、なんのためらいとかなく逃げるだろう。そして、それは正しいのだ。
僕が逃げれば、この一匹は僕を追ってくる。なら、一匹を受け持つのと同じだ。それは僕にできることの中で、一番確実に役に立てる仕事だろう。
ここは逃げるのが正しい。
「……嫌だ」
槍を構える。地面に対して水平に。切っ先をゴブリンに向けて。
ウェインに、チッカに、シェイアに、後で謝ろうと思った。
ムジナ爺さんにも謝らなければならない。危険は避けるものと教えられたのだから。
ゴブリンが剣を振りかぶる。
僕は槍を突き出す。
前に踏み込むのではなく、後ろの足で地面を蹴って前の足に体重を移す。腰を回し、肩を回して、腕を前へ。
槍の穂先へ、力の流れを収束させる。
ガンッ、と手に衝撃が走った。ゴブリンが振り下ろした短剣が、槍を思いっきり叩いたのだ。
前に出していた右手を柄から離してしまって、穂先が地面を叩いて跳ねる。
ゴブリンがもう一度錆びだらけの短剣を振り上げて、左手だけじゃ槍の先を上げられなくて。
短剣が振り下ろされる。避けられなかった。
声も出せないような、初めて経験する激痛が走る。




