死闘の裏で
「イイイイイイイ、イルゼさん! 大変です! 大変なんです!」
「あら、どうしたのレイミィ。大きな声出して」
転げるように冒険者の店へ入って来た女性に、ちょっとだけビックリしてしまう。
つい先日ここで会ったばかりの彼女はそうとう慌ててしまっているようで、眼鏡がズレているのにも気づかないくらいに取り乱していた。
「そ、その! キリネ君が、キリネ君が!」
どうやら大変なのはキリネ君のことらしい。あの少年冒険者は西へ遠出中でいないけれど、もしかしたら帰って来たのだろうか。今回は長丁場になりそうだとは聞いていたが、彼らが出発してからそれなりに日数はたっている。そろそろ帰って来ても良い頃合いだ。
でも、ただ帰って来ただけでレイミィがこれほど取り乱すとは思えない。ということは、事件なのか。
……ああ、まさか。
「落ち着いてくれ、バディピーター殿。妻の腹にいる子に障る」
騒ぎを聞きつけて、書類仕事をしていたバルクがやって来る。……顔が険しいのはお腹の子を案じただけではなく、たぶん同じことを考えたからだろう。
ゾクリとする不安に身を震わす。違っていてほしい、と毎回願うこの悪い予感は、この店でもう何度も当たっていた。
もしや、だけれど……キリネ君は、死体で帰って来たのではないか。
それならレイミィがここまで取り乱すのも分かる。彼女はキリネ君と仲が良かった。冒険者ギルドの監査官なのに少し特別扱いしすぎなのではないか、と思うくらい。
「あ、そ、そうですよね。落ち着かなければですね。すみませんバルクさん」
バルクにたしなめられてこっちが身重であることを思い出したのか、深呼吸して息を整えるレイミィ。
落ち着くための時間だけれど、それが恐ろしくじれったい。キリネ君がいったいどう大変なのか、なまじ最悪を想像してしまったために心がかき乱される。こっちが取り乱したくなるほどだった。
二回の深呼吸を経て、レイミィが落ち着きを取り戻す。……そうして改めて、真剣で悲壮感に溢れる表情でこちらを見た。
ああ、この顔はダメだ。本当に最悪なことが起きてしまった顔だ。―――そう、諦めて。
「キリネ君に、戸籍があったんです」
うん? と、眉をひそめた。
ノルントラシア王国が抱える課題の一つに、国民の戸籍管理がある。税の徴収などにも関係してくる重要なものだが、大きな都市でさえ未だ完成の道のりは遠い状態だ。
貴族。聖職者。町の有力者。その有力者が運営する各種ギルドの所属員と、その家族。―――それくらいだろうか。
とにかく数が多く、そして出生、婚姻、死亡などで変更があるたびに棚にずらっと並んだ中からお目当てを引っ張り出してこなければならず、紙もインクも人員も膨大な量が必要になり、そして絶対に厳重に管理しなければならない仕事である。大手ギルドに属さない者は後回しにされているし、スラム街の住人や流れ者はもう諦められているのが現状だ。
田舎の村々などはもっと酷い。領主のやる気によっても変わってくるが、大体何人いるのかくらいしか分からない、なんてことはザラである。村長の名前が記録にあればマシで、戸籍管理なんてされてる方がおかしい。
だから田舎生まれキリネ君の戸籍があるなんて、バルクは思いもしなかっただろう。
「その……先日イルゼさんには話しましたが、この町の領主様がキリネ君のパーティをCランクに推薦されたのです」
店のカウンター前に野次馬がたかり始めたので、とりあえず奥の部屋に引っ込んだ。
レイミィはやわらかなソファに腰を落ち着けて一息ついてから話し始める。
「それは店にも話が来ているから知っている。気が早すぎる話だな。それがすぐ通るとは思っていないだろうが、とりあえず布石を置いておくノグランズらしい。イチイチ対応しなきゃならんこちらの迷惑を考えないことも含めてな」
茶を持って来てくれたバルクが口の端を歪める。お腹に子供ができてから、この強面の夫はずいぶん細かく気を利かせてくれる。
バルクはあの口髭の領主様と子供の頃からの付き合いらしい。キリネ君とエルノ君みたいな関係……ではないだろうけれど、お互いによく知った仲なのだろう。
「ええ、彼らはDランクになったばかりですから本当に気が早いんですよ。それでも貴族からの推薦なら無視するわけにはいきませんから、一応Cランクの査定をしてしっかり書類をつくって、無理ですよ、と言うつもりだったんです」
それは前に会ったときにも聞いた話だった。というか、彼女が王都からわざわざこの町に来た主目的がそれだったはずだ。
おそらく領主様は何度か推薦を重ねるつもりだろう。彼は相手が根負けするまでネチネチしつこくやるタイプだと思う。
「……でも、Dランクまでならギルドの規定も緩いですから、仕事の評価だけで昇格審査もできたんですけれど、Cランクともなると簡単な身辺調査もしなければならなくて」
以前ウェイン君がBランク昇格査定を受けたときは、南の大陸の冒険者ギルドに調査依頼まで出したのだったか。
あの件はマナ溜まりに陣取ったブリザードウォレスの話が衝撃的だけれど、調査の方もいろいろと情報が錯綜していたみたいで大変だったらしい。
Cランクの身辺調査なら、そこまではしない。もっと簡単なものになるはずだ。だけど……。
「それで、とりあえず戸籍を調べてみたら、キリネ君のがあって」
とりあえずで引っかかったかー。
「キリネ君は両親を早くに亡くしたようで、幼少期はカラトア・メヌアという神官が面倒を見ていたようです」
「あの真面目そうな神官戦士さんね。お姉さんも会ったことがあるわ」
以前お店に来た、キリネ君と関係の深い女性神官を思い出す。彼女はたしか辺境巡回神官という肩書きだったはずだ。
「戸籍はまず貴族と聖職者を登録していきましたから、もちろん教会関係者なら誰でも持っているのはご存じかと思いますが……それは、教会が運営する孤児院の子たちも含まれるんです。なので孤児院の子と同じようにキリネ君の戸籍登録手続きをしたのだろうと思います」
「ああ、そういうこと……」
話の流れに逆らわず頷いたし、重要なのはキリネ君の戸籍があった事なので過程はそんなに問題ではないのだけれど、今の話はちょっと違和感があった。
誰も戸籍など持っていないだろう田舎で、彼だけを登録するような特別扱いをするだろうか。あの真面目そうな辺境巡回神官なら、ニビトイ村の他の住人についても戸籍登録手続きを行っている可能性がある気がする。
あるいは本当にキリネ君だけを登録していたのなら、たとえばいずれは聖職者にするつもりだったとか、別の意図があったのかもしれないが。
まあその辺りは全部推測になってしまうか。とにかく、カラトア神官がキリネ君の戸籍登録をしていたと、そういうことだ。
つまり。
「それで、詳しい出生日は分からなかったみたいで秋産まれとしか書いていなかったんですが……キリネ君はたとえ今年の誕生日を迎えていてもまだ十一歳なのが、そこにバッチリ記載されていたんです!」




