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わずかな間

 氷剣だった。自分が使ったものと同じ、腕を凍らせた氷の剣。

 ただし自分のものよりだいぶん小さかったし、左の一本だけしかない。それもそのはずで、氷属性はただのまがい物でしかなかったし、その体躯には右腕がなかった。

 いや、右腕どころか。


「―――サノの名を所持していた者として、首が離れてなお、縁は未だ繋がっていたようで」


 ケタケタと、歯を打ち鳴らすような嘲笑が聞こえた。ただし、黄虎族の女王の腕を斬り飛ばした姿とは別の場所からだ。

 当然だ。首から上がないのだからしゃべるハズがない。声を発するのは口でなければならない。


「おお……英雄サノの再来よ、我が王よ。この不肖の身、貴方様の魔力をいただき、忠実なしもべとして蘇りました。どうか、どうか、この魂が擦り切れるまでお使い下さい」


 地面に転がったままの生首が、狂気を宿した死相が、顔中をベトベトに濡らしながら悪夢のようにゲタゲタと笑う。首と右腕のない兎獣人の死骸は軽やかに着地すると、踊るようにクルリと回って一礼する。

 まるで趣味の悪い冗談だ。ふざけるなと声にならない悪態を吐く。生前そんなじゃなかったろお前。いや生前も邪魔ばかりしてくれてたがいい加減にしろ。なんで死んだ後まで余計なことばかりするんだ。

 こんな最悪のタイミングで蘇るな前里長。大人しく死んでろ。


「不死族化! こんな短時間でっ?」

「かつてのサノは首刈り兎を暴走させて獣人種と戦わせた―――クソ、伝承が悪さをしたか!」


 カラトア神官の驚愕の声。次いで、斬り落とされた腕を抑えながら黄虎族の女王が叫ぶ。

 ずいぶん詳しい。さすが滅ぼされたはずの虎獣人種。その生き残りならば、兎獣人のことを調べ上げていても不思議ではない。自分たちの知らないことまで知っていそうだ。


 ただ、きっと伝承だけではない。なんとなく分かる。彼は前里長でサノの名を持っていたし、自分とは血縁者でもある。自分と縁が太かったのが原因なのだ。……そうでなければ少なくともあの氷剣は発現しないし、あんなに軽快に動く不死族にもなっていないはず。不死族化してもせいぜい低級のゾンビやゴーストの辺りだろう。

 あれは間違いなく高位不死族。首がないならデュラハンの亜種のようなものではないか。



「おお、王よ、王よ、我らが王よ。さあ首を狩りましょう。敵の首級を掲げましょう。敵ではない者の頸椎を千切りましょう。数多のされこうべで道を敷き踏み汚しましょう。ええ、これからですとも―――」

「地に還りなさい!」



 コルクブリズ神官の神聖魔術が放たれた。術の名は知らないが、太陽のように眩い聖なる光。問答無用の聖属性。

 その光が、前里長の亡骸を首も身体も強制的に塵にする。

 さすが高位冒険者。そして不死族に対して無類の強さを発揮する神聖魔術。空気を読まずに出てきた前里長をあっさりと退場させたそれは、予想外の事態に即応して放たれた最善手。前里長は断末魔すらなく消え去った。

 けれど、そのわずかな間に―――手遅れになってしまう。


 ボコリ、と欠けた脇腹が水疱のように歪んで膨らむ。自身の意識が霞む。身体のそこかしこが凍り付き始める。

 そんな中で、自分は悪寒とともに湧き上がる力がなにかを、やっと理解した。


 それはここではないどこか。神々が創造せし世界とは違う場所から漏れ出る異物。

 隙間ができれば溢れ出てくる、この世のものではないナニか。


「殺せ」


 懇願する。そしてすぐ後悔する。……自分は、逃げろ、と言うべきだった。

 願いが聞き届けられ、黄虎族の女王が残った片腕を振り下ろす。

 黒く歪んだ氷雪の華が、盾のように爪を防ぐ。


「殺せ」


 禍々しい黒の氷剣が両腕に形成される。刃は鎌のように歪曲し、首を刈り取る形をしていた。もはや月明かりすら反射することはなかった。


「殺せ」


 ああなるほど。こんなものに斬られたのであれば、不死族にもなるだろう。生も死もこちらのルールである以上、これに触れれば歪むのは当然だ。

 この身は世界に空いた穴。存在する無にして、あり得ることなき有。

 浸食し、塗り潰すもの。


「殺せ!」


 言葉と共に殺意が噴き出る。怒りに気が狂いそうになる。自分が違うものになっていく恐怖を振り払うように黒氷の刃を振るう。

 テテニーが虎獣人の女王を蹴り飛ばした。カラトア神官がコルクブリズを地面に叩きつける。それを視界の端でかろうじて見る。

 大地が、石畳が、遺跡が、森の木々が、長大な剣に刈り取られる。


 景色が斜めにずれる。大げさな音を立てて崩れる。自分のたった一振りで簡単に地形が変わる。

 それを目にした感想は、二つだった。


 なんということだ、遅きに失した。人族としての自分がそう絶望して。

 なんだ、簡単なことだったのではないか。魔物としての自分がそう希望を抱く。


「―――殺せ」


 ああそうだ。

 我ら兎人族を脅かす者すべて殺し尽くせば、もはや恐れるものはないのではないか。新天地など求めなくてもこの力を振りまいて楽園をつくればいいのではないか。

 霞がかかった頭でそう理解して、悪寒に震える手を上げる。縁のせいか、自然と黄虎族の女王へと剣先が向いた。


 身体をしならせる。あり得ないほど捻れる。バネのように解き放つ。

 怪我と疲労で限界だったのだろう、虎獣人は反応できていなかった。テテニーも、カラトア神官も、コルクブリズ神官も間に合わない。

 黒氷の曲剣が、女王の首を捕らえる。



「―――ダメ!」



 その刹那、小さな兎獣人が立ちはだかる。


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