それでこそ獣人
虎獣人出てきちゃった……。
思わず手で顔を覆いたくなる。さっさと戻りたかったのに、向こうもこちらの動向を見ていただけで出てくる気はなかっただろうに、どうして見つけてしまうのか。
「黄虎族のワプナン殿、ですね。自分は兎人族の里長でサノと申します。貴国に我らが盟友のキリネ殿が囚われているはずですが、知っていますか?」
できれば膝をついて嘆きたいところだが、この邂逅はこの中の誰に任せることもできない。前里長は論外として、冒険者は全員が大雑把な性格をしていそうだし、カラトア神官は現状だとただただ恐い。
自分がやるしかない。
「サノ? あの昔の兎獣人の名か?」
そんなことはどうでもいい。
「ええ。兎獣人の自由の象徴として、自分たちの里では最も強い戦士がサノの名と里長の座を継ぐことになっています。……あなた方には、あまり良い響きではないでしょうが」
……どうでもいいが、虎獣人には重要な名だ。なにせ自分たちを滅ぼしたきっかけの兎獣人である。
この名が恨めしい。できることなら、サノになる前の名を名乗り直したいくらいだ。
しかしそれは許されない。兎人族の者たちが、この名をおざなりに扱うことを許しはしないだろうから。
「アンタの想像する理由とは違うだろうが、たしかにあんまり気分のいい名じゃねぇな。……まあいい。さっきの質問の答えだが、キリネのことなら知っている。大事な客人だ」
「客人?」
カラトア神官の声。
「死罪だと言われて連れ去られたと聞きました。無事なのは先ほど確認しましたが、罪人から賓客扱いとは、どういう経緯があったのでしょうか?」
「ああ、そういうことか。マシェリの女王さまらしいな」
自分が伝えた言葉に得心したように、虎獣人のワプナンは頷く。
おかしいな、詳細を聞かされていないのか。それなのに集落の全員が避難しているのは、統率力が高い証左だろう。
「心配しなくて良いぜ。どうせマシェリ女王にアイツは殺せない」
「どうしてですか?」
「うちの女王様は優しいからな」
じゃあ悪人でもない元気な子供なんか殺されないじゃないか。自分たちはなんのために来たんだ。
まあ……徒労どころか今のところ悪いことしか起きていない現状に頭痛がしそうだが、とにかく少し安心材料が出ただけでも良しとしよう。
とにかく―――今はこの状況を利用する。もう絶対にどうにかする。
「なるほど。では、彼は無事に帰していただけると?」
「それはあんたらが帰った後に話し合うことだな。ちなみに今すぐ引き上げてくれるのがオススメだぞ」
「残念ですが、それで納得できるほど自分たちは素直でも純心でもないのですよ」
本っ当に残念だ。もっと素直で純粋だったら良かったのに。
「その通りだ。虎獣人の言うことをおいそれと信じることはできん」
ギリ、と弓を引く音が聞こえた。それも複数だ。
ああ……イラつく。胸の奥で暗い炎がジリジリと、心の臓を焦がす音がする。
なんでお前らはそんなに愚かなのか。
「あーあ、歴代の女王が牙無しに武器を持たせなかった理由がよく分かるな。ぜんっぜん顔つきが違うわ」
ワプナンが馬鹿にするように肩をすくめる。これだけの弓に狙われているのにのんきだな。
牙無し、というのが彼らが共存している別種族だろうか。つまり牙がないのだろう。肉食の獣人ではなさそうだ。その種族が本当に奴隷にされていたら嫌だ。自分が老人衆を止められそうにないという意味で。
「お前らがそういうふうだから、アイツは遺跡に逃げろとか言ったんだろうな」
そうか。まあ分かりきっていたことだが、彼らを避難させたのはキリネ君らしい。
おそらく我々が救助に来るのが今日だと推測して、兎人族と黄虎族が真っ向から顔を合わせるのを避けた。なかなかいい判断だ。だってまだ血の海ができていない。
「ふむ。もっともだね。少し冷静になりたまえ」
トン、と。金属製の鎧を着けているとは思えないほど軽い足取りで、兎人族の前に立ちはだかる姿があった。
海猫の旋風団リーダー、ペリドット。
いつものようにニコリと笑う彼は相手のワプナンではなく、前里長へと槍の穂先を向ける。
「キリネ君のことは心配だけれどね。ここに彼はいないのだし、このワプナン君にここで弓を向けてなんになるんだい?」
まったくその通りだ。こんなことをしていったいどうなるというのか。ここでワプナンを殺してなにが好転するというのか。
ペリドットに続き、他の冒険者たちも前に出る。肉壁にでもなるつもりか。もし彼らを傷つけてしまったら最悪だ。なにもかも、すべてが水の泡。二度と人間は兎獣人を信用しまい。
ああもう、本当に、本当に、本当に……!
「弓を下ろせ!」
その天を衝く怒声が、自分の喉から出たものだと理解するのには時間がかかった。
よくも兎獣人の衝動が発動しないものだと思う。もっとも、自分は一度として憤怒の衝動に身を任せたことはないのだが。そんなものが己の内にあるのかどうかすら知らない。兎獣人でも変わり者の自分には縁が無かった。
だからこそ、それを誇りに思う老人衆は自分の言うことなど聞きはしない。
強制的に聞かせてやる。
「兎人族のサノが黄虎族の戦士ワプナン殿に勝負を挑む! これは獣人同士の神聖なる決闘である! 弓を下ろせ! 手出ししようとする不届き者、いと尊き神々への背信者がいるならば前に出よ! この自分が手ずからに殺してくれる!」
老人衆へ槍の穂先を向ける。これで弓を下ろさなければ本当に殺す。もう、その方が手っ取り早くていい。
誰もが呆気にとられていた。なんなら、ワプナンもポカンと口を開けていた。
グズどもに際限なくイライラとしながら、前里長へと槍を向けてやる。そうするとやっと弓を下ろす。他の老人衆も、一緒に弓を構えていた若い者たちも、それに倣う。
そうしてやっと、自分はワプナンに向き合った。恐くてカラトア神官の方は見なかった。
「戦士同士の決闘です。自分が負けたら、潔く引き上げましょう。受けますか?」
「戦士同士の決闘か。なら自分が負けたら、すぐにでもキリネをそちらに戻させよう」
よし、申し出受けたな。それでこそ戦士、それでこそ獣人だ。素直で純心で愚か者。本当に助かる。
―――さっさと負けて帰ろう。




