崩れゆく未来
兎獣人は信用できない。
それは、一律にそうという意味ではなかった。たとえば、テテニーのことは信用している。彼女もいろいろとアレなところがあるけれど、奔放で固執しない。
ラミルンもいい。彼女は真面目で勤勉だ。サノの冷静で落ち着いた雰囲気は、商売相手として申し分ない。
けれど兎人族の大多数は信用に値しない。彼らは良くも悪くも彼らの歴史や特性に寄りすぎている。
それらは、人間であるわたしたちも尊重すべきものだ。種族や地域、国が変われば文化が違うのは当然で、決して蔑ろにしていいものではない。
でも、それにも限度がある。
彼らは、わたしたちを蔑ろにしようとしていた。
キリの命がかかっている状況で、彼らは自分たちが固執しているものを優先しようとした。きっと今後も、彼らはなにより彼らの事情を優先するだろう。
今はそんなことをしている暇などないだろうに。
兎人族の里は迷宮蟻の件で大打撃を受けている。わたしたち人間の支援を受けなければ、おそらく冬越えで餓死者が出るほどだ。人間と上手く付き合っていく方法を模索していく時期であるのは明白で、だというのに感情に任せた行動を取っているのは先見の明がなさすぎる。
つまりは、憤怒と憎悪だ。
どうやら兎獣人にとってそれは、とても大切なモノらしい。虎獣人とはその対象であり、ひとたびその対象になれば滅ぼすまで収まらないのが彼らの特性で、彼らが誇りにしている衝動というものなのだろう。しかもその憎しみの感情は数世代を経てもなお、熾火のように魂に燻り続けるものらしい。
信用できない。だってこちらがどれだけ信用を積み重ねても、彼らはその壊れた衝動とやらを最優先し、ただ感情のままに振る舞う幼子のように裏切るのだから。
「ワタシもこちらでいいだろうか?」
チッカ、シェイア、ウェイン、ユーネ、そしてわたし。この五人で黄虎族の集落を離れ、逃げたキリと女王を追跡しようと森を進み……いくばくもしないうちに、後ろからラミルンの声がした。
どうやら追って来たらしい。
「……貴女、ニグとヒルティースのパーティに入ったんじゃないの?」
「二人に許可は取ってきた」
砂色の耳をカリカリと掻くラミルン。
あの二人にわざわざ伝えてからきたのか。律儀なことだ。やはり彼女は真面目な性格らしい。
「兎人族の許可は?」
そう聞いたのはシェイアだった。
「必要ない」
答える声は、隠しきれない苛立ちが漏れていた。
「ワタシは彼を助けたい。あちらに居てもそれはできない。なら、こちらで耳を役立てた方が有意義だ。そうだろう?」
「ハッ、そりゃそうだ。まあ俺は野郎をシメるためにこっち来てるんだがな」
ウェインが笑うと、チッカが肩をすくめる。
「じゃ、あんたは最後尾で後方警戒ね」
「よろしくお願いしますねー」
ユーネも異存はないらしい。……もちろん、わたしもだ。
「探査の術で方角は分かるわ。囮だというのなら、たぶんそこまで遠くまでは行かないハズよ。追っ手が諦めないよう、逃げやすい場所に陣取ってこちらを待っているのではないかしら」
「ならすぐに見つかるな。だが逃げられるのは厄介だ。作戦はあるのか?」
「決まってるだろそんなもん。相手は獣人だぞ」
ラミルンに答えるのはウェインだ。……彼女も獣人なのだけれど。
「俺が女王に決闘申し込めばいい。獣人の戦士なら受けるだろ」
崩れていく。
未来が崩れていく。そんな音なき音がする。
物心ついたころ、おまえの両親は里のために死んだのだ、と聞かされたときから変革が必要だとヒシヒシ感じていた。
それを誇りに思えと言われても、自分にはよく分からなかった。それを良いことのように受け入れるのは停滞だと感じた。
ゴブリンの大群襲撃と子供誘拐で、人間にも悪い者と良い者がいるのだと知った。現状をどうにかするために、まずは自らを変えることから着手した。
迷宮蟻の件は、このままではダメなのだと再認識した。けれど、だからこそ好機にしなければならなかった。
ああ、被害は出たとも。けれどやっと。里の者の誰もが変わらなければならないと思ったはずだ。
なにが自由だ。
奴隷にされていた先祖が叛逆したこと自体はいい。だが、いくらなんでもやり過ぎだ。なにも考えていない癇癪となにが違う。せっかく勝てたのだから、勝てている内にやめるべきだったのだ。支配階級のすべてを滅しようとする必要なんかなかった。調子に乗った結果として、バラバラだった獣人族を結束させ武器を持たせ、敗北した兎獣人は国を追われることとなった。
つまり、ここは流刑の地と同じ。なぜ老人衆が歴史に固執するのか、若い者たちが愚かな英雄サノの伝説に胸を躍らせるのか、自分にはまったく分からない。敗北者が逃げた先など墓地と同義だろうに。
ならば変える。変わる。より良くするために。
こんな危険な僻地で隠れ住むような、命がけで生き抜くような、産まれながらに詰んでいるような。
そんな場所から抜け出すために。
カラトア神官を利用し、冒険者たちの協力を仰いで、あれだけの規模の脅威を目の当たりにしながら大きな被害なく女王蟻を倒してのけて実績を作って。
ついに頭の固い老人衆も含めて里の皆が人間を信用する準備ができ、変革を許容する方向に進み出していたのに―――今、兎人族は人間たちからの信用を失おうとしている。
人間は恩人だ。迷宮蟻の件で尽力していただいた皆様方には感謝してもしきれない。
だからこそその恩人の危機に、虎獣人だのその奴隷だのに固執するのは最悪だ。なぜこんな段階で、無意味な確執を増やさねばならないのか。
第一、あのキリネ君が本当に虎獣人に寝返っているのか騙されているのか脅されているのかは分からないが、それはもうとっ捕まえてから事情を聞けばいいではないか。こんなイレギュラーはサッサと終わらせて、あんな山脈を横断する遺跡の通路など埋め立てて通れなくしてしまって、早急に黄虎族の手の届かない場所へ引っ越すわけにはいかないのか。
ああ、本当に、なんて―――
「おお! すごいねこれは」
「わぁ、マジっスかこれ!」
「ほう……」
冒険者たちから感嘆の声が漏れた。テテニーの声がうるさくてイラっとする。
いったいなんだというのか。顔を上げる。
「これは……全部遺跡なのか?」
元は町か、都市か。あるいは国か。
見渡す限りの遺跡群に、全員が足を止めて圧倒されていた。




