転身
トン、トン、トン。槍の石突きで地面を突いて、杖代わりにして丘の坂を登っていく。
杖にしては長くて扱いづらいけれど、これは槍なので仕方がない。でも悪路で補助があるのはちょっと楽だった。余計だと思った昨日の学びが早くも役に立っているのは、ちょっと納得いかないけれど。
……とはいえ、それでも疲れるものは疲れる。村にいた頃から歩くのは慣れているけれど、慣れているだけで大人より体力があるわけじゃない。今は鎧の重さだってある。
それでもなんとかついて行けているのは、藪を切り拓きながらでその分だけ進むのが遅いからだ……と思っていた。ムジナ爺さんはククリ刀のくの字に曲がったところに邪魔な枝を引っかけて、手慣れた様子で切り落としていくのだけれど、いくら手際が良くてもさすがに歩く速度は落ちるのだと。
けれど、隊列が変わって分かった。ムジナ爺さんは歩きが一番遅い斥候のお姉さんに合わせ、速度を調整している。
「見ろ、あそこに薬草があんぜ」
ムジナ爺さんが立ち止まり、少し遠くを指さす。すると一行も止まってそちらを見る。
目をこらすとたしかに小さく薬草が見えて、よくあんなの見つけるな、と舌を巻いた。あんなの僕には絶対に分からない。
「……どんな眼してるんだよアンタ」
「こんなもん慣れだ。長いことやってっと、視界の端にでも入りゃ気づくようになる」
「採りに行くか?」
「いや、株が少ねぇし遠くて面倒だろ。無視して行くぞ」
戦士さんの呆れまじりの声に、肩をすくめて返すムジナ爺さん。ただの雑談の種でしかなかったようで、そのまま進むことになった。
他にも、
「この蔓は斜めに切ると、ちっとだけだが水が出てくる。喉が渇いた時に覚えとくと役立つぜ」
「あの草の新芽は生でも食えるし美味い。小腹が空いてたらつまめ」
「この木の皮は剥がれやすいが、繊維が丈夫だ。紐やロープがないのにどうしても必要ってなった時は、コイツを使うといい。ま、これで長いロープ作ろうとするとスゲぇ時間かかっけどな」
などと、野外で役立つものを見つけるたびにいちいち止まって、知識を披露してくれたりもした。
最初は興味深く聞いていたけれど、その間に斥候のお姉さんが息を整えているのに気づくと、それがちょっとした休憩になっているのだと分かった。
役立つ知識を教えてくれながら、進む速度も調整しているのだ。そうやって理解すると、彼女を前に行かせたのはたぶん、ムジナ爺さんが様子を見やすいようにだったんだ、ということにも気づいた。
「あれが、パーティのリーダー……」
すごいと思った。悪路を切り拓きながら、視野は広く、さりげなく仲間も気遣う。あんな振る舞い、僕にはできない。
けれど同時に、なんだか不思議にも思う。
ムジナ爺さんはきっと、優しい人ではない。
冒険者の店で言い合う姿を見て、それはなんとなく分かってる。
けれど今朝、三人をけっこう待っていたのに怒らなかった。休もうと言われたときも嫌味一つ言わなかった。
優しさじゃないのだと、思う。けれど、じゃあそれが何なのかが、分からなかった。
だいぶん進んだ。日はもう一番高いところを通り過ぎ、斥候のお姉さんどころか魔法使いのお兄さんも汗だくで息を切らし、戦士さんの口数も露骨に減ってきた。丘のてっぺんもそろそろなのではないか。
僕もかなり汗だくだ。悪路の坂は普通に歩くよりかなり疲れる。町の石畳ってすごいんだなって改めて実感した。歩きやすい道ってそれだけで幸せなんだ。
さすがのムジナ爺さんも貫頭衣の袖で汗を拭っている。なんて体力のある老人なんだって思っていたけれど、やっぱり疲れるには疲れるらしい。なんだか同じ人間なんだって実感できてよかった……でもこの中で一番動いてるのに、ちょっと汗を拭う程度なのか。
はあ、はあ……と乱れてきた息を、深呼吸して整える。整わない。流れてきて目に入りそうになった汗を手の甲で拭って、前に遅れないよう脚を進める。
「…………しゃがめ! 頭下げろ!」
いきなり身を伏せたお爺さんが小さく、けど鋭い声でそう言ったのは、そのときだった。
いきなりのことに、ポカンとなってしまう。他の三人も同じ様子だった。周囲を見回してみるけれど、動くものは風に揺れる枝葉の影くらいしかない。
「なにしてる! しゃがめ! いいからしゃがめ!」
お爺さんの再度の声で、慌てて身を低くする。全員しゃがんだのを確認してから、お爺さんは親指だけで獣道の先を示した。
目をこらす。……けれど、何も見つけられない。もしかしたら魔物とかじゃなくて、もっと小さい毒蛇とかがいるのかもと思ってもう一度見てみても、やっぱり見つけることができない。
「あ……足跡」
ちょっと諦めかけたとき、そう呟くように言ったのは斥候のお姉さんだった。僕はそれを聞いて、改めてムジナ爺さんが指し示した方の地面を見る。
あった。
言われないと分からなかった。けれど、一度見つけると次々と見つかった。
僕と同じくらいの大きさの足跡。それが、けっこうたくさん。たぶん藪の中から獣道へ出てきて、そのまま道の先へ進んでいる。
「ゴブリンだろうな。……っち、ツいてねえ」
ムジナ爺さんが舌打ちした。
ゴブリンは子供くらいの体格の、緑肌のヒト型をした魔物だ。見たことはないけれど、よく神官さんの本に出てきた邪悪な敵。
壁の依頼書で見たことがあるそれは、必ずある単語が見出しにされていた―――討伐、と。
知らず、槍を握りしめる手に力が入っていた。じっとりと手汗を掻いているのを自覚した。
この道の先には、冒険者が倒すべき怪物がいる。
「仕方ねぇ、別の場所へ行く。戻るぞ」
その言葉には、僕ですら耳を疑った。
ムジナ爺さんはすでに道の先から背を向けている。不機嫌そうな表情は、冗談を言っているような顔にも見えなかった。
「な……薬草はこの先にあるんだろ? もうすぐじゃないのかよ!」
戦士さんがその肩を掴む。
丘はもうすぐてっぺんだった。薬草がどこにあるかは聞いていないけれど、ここまで丘を登ってきたのだから、一番上かその近くかにあるのだとは思う。
足場の悪い坂道はすごく大変だった。ここまで来て引き返すのは、あまりにもったいないのではないか。
「でかい声出すな。足跡のヤツらが近くにいたらどうする」
「倒せばいいじゃないか。ゴブリンぐらいなら俺たちだって……」
「うるせえ」
ムジナ爺さんは肩に置かれた手を払った。
「雑魚が見栄張ってるんじゃねえ。オレっちがリーダーだ。方針は変えん。この先を行くことは許さん」
「テメェ……!」
戦士さんの顔が怒りに染まる。腰の剣に手をかけた。僕はあまりの事態に恐くなって、ひっ、と声が出てしまった。
なのに、ムジナ爺さんは何一つ動じなかった。
「見ろ」
彼はもう一度振り返って、道の先……足跡を指さす。
「足跡の形と大きさはおそらくゴブリン。数はたぶん三匹。多くても四匹。ホブなし。通ったのは昨夜だ。ヤツら夜行性だから、そう遠くない場所にいる」
唖然とした。思わず口をポカンと開けて足跡を眺める。
何の足跡かは、さっき聞いた。けれどこんな遠くから見ただけで、数と時間まで分かるのか。
「見ろ」
お爺さんは次に、自分自身を親指でさした。そして魔法使いのお兄さん、斥候のお姉さん、僕と、順番に指さしていく。
老人と、息切れした魔法使い、汗だくでふらふらな斥候。そして武具を装備しただけの子供。
「やれば勝てるかもしれねえな。だが、この中の誰かが死なないとは言い切れねえ。そうでなくても、でかい傷を負って再起不能になるヤツがいるかもしれねえ。行くか退くか、それを決めるのはリーダーの役割だ。―――なあ坊や、オレっちが行くっつって、もしそこの嬢ちゃんや兄ちゃんが死んだらどうする? その時こそ、お前はオレっちを殺すんじゃねえのか?」
ギリ、という音が聞こえた。奥歯が軋む音だと分かった。ここまで聞こえるものなのか。
「…………っち。バカバカしい」
戦士さんが舌打ちして、剣の柄から手を放す。視線も外して、八つ当たりのように近くにあった木の根っこを蹴った。
「アンタの二つ名を思い出したぜ、腰抜けムジナ。お似合いだな」
「おう、褒め言葉として受け取っとくぜ」
ヒヒヒ、と笑ってから、ムジナ爺さんは今度こそ来た道を戻り始める。
三人の冒険者は全員不満顔だったけれど、もう文句を言う者はいなかった。




