チッカ
「お、来た来た。こっちこっちー」
翌朝、言われたとおりにチッカの宿まで行くと、彼女はもう外で待ってくれていた。こちらに気づくと元気に手を振って、居場所を教えてくれる。
「おはようチッカ。……それなに?」
「見て分かるでしょ? 荷車さ」
彼女の言葉通り、チッカが寄りかかっていたのはまさしく荷車だった。大きな車輪が二つ付いた木製のそれには、暴れケルピーの尾びれ亭と同じ馬と魚が合体したような絵が描いてある。多分お店のやつなのだろう。こういうのってバルクに言えば貸してもらえるのだろうか。
しかし……どうして荷車なのだろうか。依頼があると言われたし報酬も食事もくれると言われたから二つ返事で来たのだけれど、間抜けなことにそういえば仕事内容はなにも聞かされていなかった。
まあ荷車だ。荷車である。荷車なのだから、きっとなにかを運ぶのだろう。
首を傾げる僕を見て、ふふん、と腕を組んだチッカが今日の予定の宣言を行う。ハーフリングの彼女は見た目には僕より小さい女の子にしか見えないから、ちょっと微笑ましい。
「今日は、あたしの部屋の掃除をする」
…………冒険者ってなんだっけ。
「実はだね、あたしの部屋が汚すぎるって、大家さんがカンカンなんだよ。このままだとそのうち追い出されそうでさー」
あんまりな仕事内容に思わず沈痛な顔になってしまったけれど、チッカにとってはそれはわりと切実な問題のようだった。お金をちゃんと払ってても宿を追い出されることってあるんだ……。
一昨日のことを思い出す。たしかに扉の隙間からちらりと見えたあの惨状では、宿を貸している方は怒りたくなるかもしれない。
それに―――そういえば冒険者の店に貼ってあった依頼書には、単なる力仕事や手紙の配達みたいなものもあった。レーマーおじさんも言っていたけれど、冒険者はやっぱりなんでも屋なのだろう。それを考えれば仕事内容が部屋の掃除だからといって、驚くことはないのかもしれない。
……というか、もしかしてこれは悪くないお仕事なのではないか。
掃除くらいなら僕でもできるし、報酬も食事もくれるって言うし、危険もない。あの惨状の部屋を片付けるのは骨が折れるだろうけれども、お仕事というのは大変なものだ。
うん、悪くない。むしろいい。だって掃除はがんばれば綺麗になるのだから。一日目の薬草採取みたいに、必死で歩き回っても成果が上げられないなんてことはない。
―――ちょっとだけ、森で昨日見つけられなかった薬草を探したいという気持ちはあった。ムジナお爺さんが採っていたやつ。
けれどチッカは、明日には下水道の探索に戻るという。つまり彼女が空いているのは今日だけ。僕の薬草採取はいつでもできるのだから、そこは我慢。
今日はこっち。薬草はまた明日やればいい。
「とりあえずあたしの部屋に行こうか。どんな状態か知らないでしょ? 自分でも言うのもなんだけど、ビックリすると思うよ」
それは知ってる。
宿の中に入ると、前もいた細くて背がピンと伸びたおばさんが戸口の前に立っていた。僕をちらりと見ると、軽く会釈される。僕も頭を下げた。
「チッカさん、やっと部屋を片付けてくれる気になっていただけたのですか?」
話を聞いていたのか、それとも荷車から推測したのか、おばさんは開口一番そう聞いた。
言い方は固いのだけれど、ちょっと声が明るい気がする。
「ああ、今日は手伝いも呼んだから徹底的にやるつもり。ちょっとドタバタするけど許してよ」
「分かりました。……床が抜ける心配がなくなるくらいには、綺麗にしてくださいね」
「はーい」
どうやらそんな心配をさせるほどらしい。床って抜けるんだ……。
そういえばチッカの部屋は二階だった。もしも床が抜けたら大変だ。きっと酷いことになるだろう。下の階に人がいれば潰れてしまうのではないか。そんな想像をしてしまって、さっと血の気が引いてしまう。
―――この依頼、がんばらないといけない。ただの掃除なのに、なんだかそんな使命感がふつふつと湧いてきた。
意気込みを新たにして、チッカと一緒に手すりのある階段を上がる。一番奥の部屋まで進んで、チッカが魔法のように鍵を取り出した。まったくそんな素振りはしなかったのに、さっきまでなにも持ってなかったはずの手にいつの間にか鍵が握られていて、どこから出したのかホントに見えなかった。
……けれど、僕がどうやってその鍵を取り出したか聞く前に、その驚きは新たな驚きで上書きされてしまった。
チッカが扉を開くと、中は僕の想像以上に酷い有様だったのだ。
なんでこんなことになるのだろうか。なにが悪かったのだろうか。
脚が三本も折れた椅子があった。錆びだらけの外套掛けがあった。チッカには絶対に使えなさそうな大きさの分厚い鉄盾があった。ぱっと見ではガラクタにしか見えないそれらがうず高く天井近くまで積み上げられていた。空き瓶や空の食器が無造作に転がっていた。履きつぶして大穴の空いた靴が木窓の枠のところにさもインテリアですよという感じで置かれている。テーブルらしきものの上には大量の服が投げ出すように積まれていて、そのテーブルの下には妙に貴重そうな台座に固定された球体の夜空を模してるっぽい何かが無造作に置かれている。チェストの引き出しは全て開け放たれ、見るからに許容量以上の物品が盛られていた。一角に大量の釣り竿が立てかけてあって、なんだか藁干しの光景を思い出した。
足の踏み場もなかった。というか壁の半分より上しか見えなかった。シーツがくしゃくしゃになった寝台の上にだけかろうじて空いているスペースがあって、きっとそこでチッカは寝ているのだろうと分かる程度。
「なにか邪神の呪いでも受けてるの?」
「そんな心当たりはないねー」
そうかー。いっそそういうのであってほしかったんだけどな。教会に行けば治るかもしれないから。
「というわけで、今日はここを綺麗にするよ」
「がんばろー……」
「どうしたチビ? 元気がないぞー」
「よっしゃい、まっさらにしてやんよー」
村で一番元気だった子のマネをしてみたけれど、やっぱり元気は出なかった。出るわけないと思ってた。
……というかこの際、元気はどうでもいい。とにかくやらなきゃ終わらないのだ。これをすっかり綺麗にしてしまうなら、あの荷車で運ぶにしても何往復かしなければならないのではないか。こんなの今日一日で終わるかどうか。驚き呆けている時間ももったいない。
「よし、やろう。チッカ、なにからやればいい?」
「お、やる気だねチビ。じゃあとりあえずその辺にある小物のゴミをこれに入れて、荷車まで運んでくれる?」
「分かった」
腕まくりして尋ねると、チッカはそう言って取っ手のある木のバケツを渡してくれた。僕はそれを受け取って、床に散乱した見るからにゴミっぽい物を入れていく。
最初に大物を運んだ方が作業できる場所が広くなるのではないか、という考えは普通なら正解だけれど、今回は間違いだと僕は瞬時に理解していた。まずは床に足の踏み場を作るのだ。大きくて重い物を運んでいる時に踏んづけたりしたらすごく危ない。転んでガラクタの山に突っ込んだら大惨事になる。……ところでこのバケツ、なんだかかすかに生臭いのだけど、もしかして釣り用なんじゃないだろうか。
「あ、そうだチビ」
「なに? チッカ」
なにかを思いついたような声音で呼ばれて、振り向くとチッカはにひひと笑っていた。
それがなんだか、すごく意地の悪い笑みに見えた。―――こう、まるで物語に出てくる小悪魔のような。
「下着とかあっても盗むなよ?」
「盗らないよ!」
思わず想像しちゃって、顔が熱くなったじゃないか。




