港町
大きい兄ちゃんはキレイなお嫁さんをもらってお家と畑を継いだ。
小さい兄ちゃんは猟師になって山小屋を建てた。
姉ちゃんはもう何年かしたら二つ隣のお家にお嫁に行くそうだ。
僕が大人になったら大きい兄ちゃんが畑を分けてくれるって言ってくれたけど、村の神官さんは畑を分けるのはあんまり良くないって言ってたので、いらないって断った。
畑を分けると、みんながそれまでより貧乏になるんだって。
神官さんは後継ぎにならないかって言ってくれたけど、僕はそれも断った。神官さんの話を聞くのは楽しかったけど、大地母神さまへのお祈りの時間は苦手だった。そもそもお祈りって、どうすればいいのかよく分からないんだよね。
神を疑うのもまた神に仕える者の資質、って言われてもよく分からなかったし。神さまの声が聞こえない神官さんも多い、とも教えてくれたけど。僕が神官をやるのは変な気がしたんだ。
「だからってね、あてもなく町に出ようってのは無謀だよ、キリ」
レーマーおじさんはそう言って溜息を吐いた。荷車を牽くロバをポンポンと叩くと、いつもの合図なのかロバはゆっくり足を緩めて止まり、足を畳んで休憩し始める。
「うん、だからレーマーおじさんがいてくれて助かったよ。おじさんなら、って大きい兄ちゃんも許してくれたしね」
積み荷を崩さないよう急に止まらないんだな、と賢いロバを撫でてあげる。旅に慣れた毛皮は村の家畜たちよりも硬い気がして、ちょっと頼もしく感じた。
「やれやれだ……まったく。知り合いの商家さんに頼んでみるだけだよ。ダメだったら村に送り返すからね」
「うんうん、分かってる」
レーマーおじさんは村へたまに来る行商人だ。
半年に一回くらいかな。藻塩とか鉄の農具や鍋などを売ってくれて、村からは麦や家畜の皮を買ってくれる。あんまりよそから人が来ない村なので、おじさんが来るとみんなお祭りのときみたいに笑顔になる。
神官さんなんか、頼んでいた本は手に入ったか、って真っ先にとんでいくほど。
大きい兄ちゃんのお嫁さんのお腹に赤ちゃんができたので、僕はレーマーおじさんに頼み込んで町に連れて行ってもらうことにした。本当は一人でも行くつもりだったけど、ちょうど行商に来てくれたのですごく運が良かった。
もちろん、みんなにはせめて元服まで待てと引きとめられた。九歳で外に出るのはまだ早いって。
僕も赤ちゃんが生まれるのを見たかったし、姉ちゃんの結婚式も見たかった。でも家にあんまり余裕がないことは知ってたから、町では僕くらいの歳でも商家の丁稚とか職人の弟子とか、よその家に住み込みでがんばって働いている子がけっこういるらしいよって説得したんだ。子供のうちから働いた方が重宝されることもあるんだって、と聞きかじりの知識も披露した。
そうして、僕は町までの道を歩いている。
「村から出たの、初めてだ」
来た道を振り返って、風に呟く。
ちょっと不安はあったけれど、それ以上にワクワクしていた。
「ヒリエンカの町には何があるの?」
「港町だからね。海があって、大きな船があるよ」
「海って見たことないや。すっごく大きいんでしょ?」
「そうさ。向こう側が見えないくらい大きいぞ」
「船も大きいの?」
「ああ、大きいヤツは見上げるほど大きい。大きな海を相手にしなければならないからね」
二回目の野宿は大きな岩陰ですることになった。
乾いた木の枝をたくさん集めて、火打ち石で火をつけて、地面に毛皮を敷いた。レーマーおじさんは自分用の毛皮があったけど、僕には特別に売り物用を貸してくれた。
「町には面白いものたくさんあるんでしょ?」
「ああ。楽しい踊りやしみじみする詩、おいしいお酒……は、キリには早いか。珍しい玩具とかもあるぞ。この前行ったときは芝居をやっていた」
「芝居! 勇者さまのやつ?」
「さて、そのときは急いでたので演目までは見なかったが……でも、剣を持った格好良い若者がバッタバッタ敵を倒していたから、もしかしたら勇者様の話だったかもしれないね」
レーマーおじさんは焚き火に新しい木の枝をくべながら、僕の質問に丁寧に答えてくれる。赤くて丸い鼻が炎に照らされて、余計に赤く見えたのが面白かった。
野宿の時は、焚き火は絶対に消しちゃいけないんだそうだ。獣除けになるってレーマーおじさんは言っていた。火が嫌いな魔物……スライムとかも近寄ってこなくなるって。
「剣で敵を倒してたってだけなら、勇者さまとはかぎらないんじゃないかな?」
「そうなのかい?」
「うん、英雄さんとか、冒険者のお芝居かも」
「うーん、英雄さんはともかく、冒険者かぁ……。あれはあんまり芝居になるような人たちじゃないけどなぁ」
「そうなの?」
「何度か依頼したこともあるけど、勇者や英雄みたいなすごい人たちと言うよりは、便利な人たちって感じかな。……でも、冒険者から英雄になるような人もいるから、もしかしたら冒険者の芝居もあるかもしれないね」
なんと。レーマーおじさんは冒険者に依頼を出したことがあるらしい。すごいことだ。
僕が物心つく前に村でゴブリン退治を依頼したことがあったらしいけど、当然ながら僕にはなんの記憶もない。小さい兄ちゃんがすっごいかっこ良かったって何度も話してくれたけど、実際に冒険者さんに会ったことは一度も無かった。
「そんなキラキラした目で見ない。ほら、しょうもない冒険者の話は明日してやるから、今日はもう寝なさい。明日は日の出前に出発するよ。でなきゃ、三度目の野宿も覚悟しないといけなくなるからね」
そんなふうに言われても、なかなか寝付けなかった。
「まずは手紙の配達かな」
木が少なくなって、踏み固められたちゃんとした道を歩く。
レーマーおじさんは昨日の約束を覚えていて、歩きながら冒険者の話をしてくれた。
「人に頼まれて、町からちょっと離れた村にね。本当はおじさんが運ぶつもりだったんだけど、そのときはどうしても断れない仕事が入ってしまって、しかたないから冒険者に頼んだんだ」
「手紙の配達かぁ」
なんだか拍子抜けだ。冒険者といえば魔物退治とか迷宮とかのイメージなんだけど。
「それと、護衛。商売で向かわなきゃいけないところがあったけど、途中にゴブリンが出るって噂があってね。そのときは二人ほど雇ったよ」
「ゴブリン!」
「そうそう。結局出くわさなかったけどね」
「出なかったのかぁ」
おじさんが無事だったのだからいいことだけど、ちょっと残念だ。
「あとは人捜しとかもお願いしたことがあるかな。いい職人仕事をするけど偏屈なドワーフが、仕事をほったらかしてどこかに行っちゃってね。まあ、そのときは三日くらいで自分で帰ってきたんだけど」
おじさんの話を聞くと、どうも抱いていたイメージと実際の冒険者は違う。だって冒険してない。
すごい人たちというより便利な人たちっておじさんは言っていたけど、たしかにそんな感じだ。畑仕事とか、狩りとか、決まったことをこなすのではなく、いろんなコトをやってくれる便利屋さん。
「冒険者かぁ……おじさんが紹介してくれるお店がダメだったら、冒険者になろうかな?」
いろんなことをやるのなら、僕でもできる仕事があるかもしれない。そう思ったけれど、現実は無情だった。
「キリにはまだ無理だなぁ。九歳だろう? だいたいのギルドへの登録は十二歳からだったはずだからね。たしか、冒険者ギルドも変わらないはずだよ」
早く大人になりたい。
「まあ、まずはこれから行く商店でちゃんと修行を積むことだね。なあに、キリは素直だし良い子だから、きっと雇ってくれるよ。それより疲れてないかい? そろそろ休憩しようか?」
「ううん、大丈夫。まだまだ行けるよ」
僕の足に合わせて進んでくれているせいか、いつもよりちょっと遅れているらしい。いつもなら順調にいけば、町には三日目の昼前には着くそうだ。
なんとか暗くなるころには着けるだろう、とおじさんは言っていたけど、僕のせいで遅れてるのは、やっぱり少し申し訳ない。
早く大人になりたい。せめて、もう少し早く歩けるくらいには。
「そういえば、その商店ってなにを売ってるところなの?」
「ん? ああ、そうだな……」
ふと気になって聞いてみたら、レーマーおじさんは少し考えるようにアゴに手を当てて、空を見た。
「そうだね、キリはなんだと思う? 当ててみてごらんよ」
「む、そうだね……」
クイズにされて、僕は考える。
商店はレーマーおじさんの知り合いなのだから、おじさんが村に売りに来てくれるものを売っているところじゃないだろうか。でも鍋や農具は商店より鍛冶屋さんってイメージだから……。
「わかった、お塩だ。お塩のお店でしょっ?」
「おお、すごいな。正解だよキリ」
僕が答えを言うとレーマーおじさんはニコニコと笑って頷いてくれる。やっぱりそうだった。問題を当てられて嬉しくて、僕はお塩のお店に行くんだ、と胸にぐっと来た。
ふわ、と妙な匂いがした。嗅いだことのない匂いだ。
鼻をヒクヒクさせてみる。生ぬるい風に乗って、さっきの匂いが届く。あまり嫌なにおいではないけれど、いい匂いでもない。
「潮の香りだね。海が近いんだ」
レーマーおじさんが教えてくれて、ワクワクした。
「海! 見たい!」
「うん、町に行く途中で見えるようになるからね、すぐだよ」
「行こうおじさん。はやくはやく!」
「ああもう、ほんとにまだ疲れてなさそうだね……」
海はすごく大きくて、水平線はすごく真っ平らで、僕はしばらく目が離せなかった。おじさんがなにか言っていたけれど、僕はずっと海を見ていて、歩いてる最中だって海ばかり見ていた。
言葉が出てこないくらい驚いたんだと思う。
気づけば町に入っていて、レーマーおじさんがはぐれないように手を繋いでいてくれて、空は朱に染まっていた。
夕暮れの港町は見たこともないほど人が多かった。そして大きな声が飛び交っていた。もう店じまいをする時間だから、最後にちょっと値段を下げてでも売れ残りを減らそうとしているんだって、レーマーおじさんが言っているのをどこか呆とした心持ちで聞いた。
海はすごかった。けど、町もすごいと思った。……そして、怖いと思った。
「そっか……町って」
人がたくさんいた。とてもたくさんいた。
でもみんな、知らない顔ばかりだった。
村のみんなが心配していた理由が、初めて分かった気がした。いや、分かっていたつもりだったけれど、やっと実感できた。
村には知らない人なんていなかった。顔も名前もどこの家の人かも知っていた。
会えば挨拶するのが当然で、挨拶しても返ってこない偏屈な人もいたけど、だいたいは返ってきた。
こんなに人がいるのに、誰も知らない。そんなことは初めてで、それがひどく怖く寂しく感じた。
レーマーおじさんの手をギュッと握る。ロバの毛並みを撫でると、耳をピコピコさせて優しい目で見返してくれた。
心細い。昔、森で迷子になったときのように。あのときは誰もいなくて泣いたけれど、今は周りに人がたくさんいるのに泣きたい気分だ。
けれど僕は村を出てきた。反対する家族を説得して、引き留めてくれる神官さんの好意を断って、村のみんなに見送られて来た。
だから弱音を吐くのはダメだと思う。
僕はここでお仕事をもらって、生きていく。そのつもりで来たんだから。
「さあキリ、着いたよ。ここが君の働く場所になるところだ」
そう声をかけられて、僕はいつのまにか地面しか見ていなかったことに気づいた。
珍しいものがたくさんあったはずなのに、石畳しか見てない。石畳も村になかったから珍しいけれど。
顔を上げる。村長さんの家の何倍もある大きな建物が、僕を待ち構えるように建っていた。
「じゃあ行こうか。おじさんがお店の人と話している間、ちゃんと大人しくしていられるかい?」
おじさんが微笑んで、やさしく手を引いてくる。僕の視線は一点に吸い寄せられていた。
建物の大きさに反して、すごく小さい看板。人目を避けているようにすら見えるそれには、たしかにこう書かれている。
『ゼルマ奴隷商い』
―――そういえば、その商店ってなにを売ってるところなの?
―――ん? ああ、そうだな……。
ぞわり、と背筋に怖気が走った。あのときすぐに答えてくれなかったのが、今更だけどすごく不自然に感じた。
大きくて硬いレーマーおじさんの手がひどく怖ろしいモノに感じて、必死で振りほどいた。違う。塩のお店じゃなかった。違うよ。これは絶対違う。奴隷ってなんだ。
「ん、どうした?」
後ろっ跳びに離れた僕に、おじさんが目を丸くして驚いたようだった。それはやっぱりいつものレーマーおじさんで、けれど初めて見る得体の知れないなにかに見えた。
「なんだ? なにか怖い物でもあったのかい?」
少し不思議そうにこちらを見たその人は、やがて僕が見ているモノに気づいたみたいで、首をかしげながら自分の後ろを振り向く。小さな看板を。
そして。
「お前、文字が……!」
僕は駆けだした。
知っている人が誰もいない、知らない町を闇雲に、おじさんから逃げるために。




