レーマーの逃亡
レーマーおじさんの逃亡。それを知らせてくれたのは村長の息子さんだった。
話によると、見張り役のオルヌ兄ちゃんと、交代のために居合わせたヌザール兄ちゃんが倒れていて、倉庫の扉が開け放たれているのを近所の女の人が発見したらしい。その彼女が村長の家へ報告に来て、村長の息子さんが僕たちを捜しに来たようだ。
「ガキにぶん殴られて、もう逃げるしかねぇってなったんじゃねぇの?」
「嘘吐いて助かろうとしたのを見破られたんだ。もうろくなことにはならないと思ったんだろうな」
ニグとヒルティースの話し声が聞こえてくる。
村長の息子さんの話を聞いたときには背筋が凍るような心地になったけれど、僕らが来た時にはオルヌ兄ちゃんとヌザール兄ちゃんはもう気が付いていて、今は神官さんとユーネがそれぞれ治癒魔術をかけている。
傍目から見て、どうやら兄ちゃんたちは大した怪我はしていないらしい。だから呑気にこんな話ができるんだけれど、もしニグとヒルティースの推理が当たっていたなら気まずいなんてものじゃない。だって完全に僕のせいじゃないか。
……でも、やだな。当たってそう。
よくよく思い返してみれば、レーマーおじさんには町に連れて行く話なんかしていない。あの再会で伝わったのは、僕がすごく怒ったことだけだ。まさかレーマーおじさんが殺されないように助けに来たとか思わないだろう。
うん。話しても分かり合えないことってあるけれど、話さないと重要なことって伝わらないんだな。かっとなって暴力振るったら誤解しか残らなくてこうなったとか、叱られて当然の結果かもしれない。
「それにしても妙ね」
リルエッタが魔術の明かりで現場を照らし、不可解そうに呟く。
「手を縛られていた囚人が、何らかの方法で倉庫を脱出したあげく二人も気絶させて逃げたってことかしら? 町の外に出るから戦いの心得がある行商人はいるけど、あのレーマーって男はそんなふうには見えなかったし……にわかには信じられないわね」
彼女の言うとおり、その状況は妙だった。
もしかしたら手の縄は解けるかもしれない。倉庫からの脱出は、もしかしたら食事を運ぶためとかで扉を開けたときの隙をついたのかもしれない。
けれど、レーマーおじさんが兄ちゃんたち二人を気絶させられるか……というのはちょっと難しい気がする。
居合わせたヌザール兄ちゃんは狩人だから、けっこう腕っ節も強いと思うし。
「よー、キリ。お帰り」
そのヌザール兄ちゃんは治癒が終わると、手をフリフリしながらこっちへやってくる。負傷して倒れてた人とは思えない気の抜けた再会の挨拶は、ちょっとだけホッとさせてくれた。
兄ちゃんはニグとヒルティースと同じ十五歳。だけど、二人よりも頭一つ分近く背が低い。昔から村の同年代と比べても一番小さくて、狩人だから小さいと隠れやすくて便利だと言いつつ、ちょっと気にしているところがある。
そして、この村ではけっこうなヤンチャ者だ。
「ただいま兄ちゃん。大丈夫?」
「おー大丈夫だいじょーぶ。ちょっと待ってろ。弓持ってあの中年オヤジ狩ってくるから」
「落ち着いて兄ちゃん」
元気なのは分かった。あと、レーマーおじさんを殺そうって最初に言い始めたのは兄ちゃんなんだろうな、ってのも分かった。
安心だけど安心できない。もしここに愛用の弓があったら、この直情的な次兄はすぐにでも走り出しているだろう。
「オルヌ、ヌザール。何があったか教えてもらえますか?」
どうやらオルヌ兄ちゃんの治療も終わったようで、神官さんは立ち上がった二人に事情を聴く。
「いきなり強面の男が三人やってきて、ここにレーマーがいるだろうと聞いてきたんだ」
「強面の男が三人?」
オルヌ兄ちゃんの言葉に耳を疑う。そんな人がいるなんて知らない。
「ああ。鎧を着て、剣や斧で武装した男たちだ。不審に思って……というか夜中によそ者がやってきた時点で十分不審なんだが……とりあえず用件を聞いたら、問答無用で殴られた」
「ちょうどそこに出くわしたんで飛びだしたら、兄ぃと同じ目に遭った。……まさかレーマーの野郎に仲間がいるとはな」
たしかにそういうことなら、レーマーおじさんの逃亡は可能だ。
倉庫は牢屋じゃないんだから、専用の鍵なんて無い。二人を無力化した後で普通に閂を外して扉を開けてしまえばいい。
ただ……むしろ、僕にはこっちの方が謎だった。
「逃亡の手引きですか。レーマーに仲間……考えにくいのですが」
どうやら神官さんもまったく予想できていない状況だったようで、口元を隠すように手を当てて考え込んでいる。
僕が知っている限り、レーマーおじさんはいつも一人で行商に来ていた。連れているのはロバだけで、他の人と一緒にこの村へ来たことはない。
そしてレーマーおじさんはこの村で拘束されてから、ずっと囚われの身だった。村の外に出るどころか、連絡することもできなかったのではないか。
それなのに、仲間が助けに来た? なんで?
僕が考え込んでいると、神官さんが何かに気づいたのか、はっ、と顔を上げる。
「もしや……冒険者の店の者でしょうか? あの時、わたくしの話を聞いていた誰かが、レーマーの知り合いで……」
「ないよ」「ないわ」「ないですねー」「ねえだろ」「以下略」
以下略するほど音数多くないと思う。
「神官さん、冒険者は仕事でもないのにそんな面倒なことしないよ」
「冒険者って基本は薄情だもの。たとえ友人でも見捨てるでしょ、あんなやつ」
「そもそも我々が依頼達成すれば死刑は免れそうですしー」
「オレならそんなん絶対やらねー」
「来たとしてもせいぜい、変わり者が一人だ。三人も動くはずがない」
「清々しいご意見ありがとうございます。本職の言葉は信用できますね」
神官さんは咳払いして、目を逸らす。完全否定されて恥ずかしいのかもしれない。
まあ実際、考えられる可能性と言ったらそれくらいかもしれない。鎧を着て剣や斧で武装してるってのも冒険者っぽくはある。
でも、本当にないと思うんだ。だって僕が知っている顔ぶれはきっと、今日も店でお酒を飲んで暴れてる気しかしないし。
「まあ考えても分からないわよ。事実として、行商人を三人組が連れ去った、ということだけが確か。それで、どうするの?」
「当然、追って狩る」
リルエッタの問いかけに、答えたのはヌザール兄ちゃんだった。
「任せろ。素手じゃさすがに三人相手だと勝てなかったが、山で弓持ってりゃあんなヤツら―――」
「ヌザール。あなたは直情的すぎます」
ギャアギャアとわめき始めるヌザール兄ちゃんを、神官さんがたしなめる。
「もう夜です。レーマーとその男たちが村の外に出ていた場合、視界は効かず追跡は困難ですし、魔物も活発になる。それにあなたたちが見たのは三人という話ですが、それで全員であると決まったわけでもない。今のあなたには、ここまで危険な捜索に行かせることはできません」
山に入ったら何日も帰ってこない狩人の兄ちゃんでも……いや、そんな狩人だからこそ、夜の山の危険さは身に染みているのだろう。ぐ、と黙る。
狩人だって夜に動いたりはしない。山中にいくつかある山小屋を使うか、せいぜい木の枝や葉っぱで一人が寝転べるだけの場所をつくって隠れるくらい。
夜は人間の時間じゃないのだ。
「だ……だがよ神官さん。だからってレーマーの野郎をこのまま逃がすわけにはいかないだろ」
それでもヌザール兄ちゃんは食い下がる。
「百歩譲って、神官さんが町に連れて行くってのはいい。キリも生きてたんだし、それで正しく裁かれるってんなら、不満だがまあ納得できる。だが逃がすのはダメだ。絶対ダメだ。だってそうだろ、逃がすために生かしていたわけじゃないんだから。そんな結末のために、兄ぃもルキもしんどい思いしてたわけじゃない」
……それは、そう。
レーマーおじさんのために苦労したのは、主に僕の兄姉だ。
姉はもしかしたら僕がもう死んでるかもしれないって心配しながら、倒れるまで働いた。オルヌ兄ちゃんだって顔を見れば疲れているって分かるし、だからヌザール兄ちゃんの言うことはすごく分かる。
けれど相手は少なくとも三人、武装している男がいる。
「兄ちゃん」
気づけば声を出していた。
そして言った後で、もっともこの兄を納得させられそうな言葉を探す。狩人で、直情的で、そして家族想いの次兄。
できれば心にもないことを言いたくはない。大切な家族に嘘はつきたくない。だから言葉は、あくまで自分の内から。
ああ、そうだ。……神官さんの説教を受けて一つ、僕の中で分かったことがあった。
なんであの南西の門から出た景色を懐かしく思わなかったのか。レーマーおじさんに会うと決まった当初、不思議となんの感慨も湧かなかったのはなぜか。
この村に来て、兄姉たちが苦労していたのを知って、どうしてあれだけ怒りが湧いたか。
「あれ、僕の獲物だから」
―――僕はきっと、あの人を軽蔑している。
「神官さん。みんな。どうせ夜にそんな遠くまでは行けないだろうし、朝になったら捜しに行こうと思うんだけど、いいかな?」
時間は与えてしまうけれど、それでいい。もちろん侮っているのは分かっているが、夜に出発するなんて危険を犯すわけにはいかない。
大丈夫。追える。だって僕が村を出てから今まで会った人たちの中で、あの人よりも小者なんかいなかったのだから。
神官さんがあの人を小者だと言い切った時、ああなるほどと心の底から納得したのだから。
僕の提案にリルエッタは意地が悪そうに笑って、ユーネが眉尻を下げて困った顔をする。ニグとヒルティースは揃って肩をすくめた。
神官さんはため息を吐く。
「追跡はするべきでしょう。オルヌ、ヌザール。そういうことですので、レーマーはわたくしたちが捜索します」
兄ちゃんたちに呆気にとられた視線を向けられて、僕は笑う。そうして、思った。
できれば、危なげなくしっかりとこなしたい。冒険者としてちゃんとやっているのだと、知ってもらうために。




