河原と薬草と魔物と
「よいしょ、っと」
なんにも入っていない上着カゴを置いて、両手で太い枝を掴んだ。幹にある瘤に右足をかけ、左足で地面を蹴る。グッと腕に力を入れて、右足を伸ばして、勢いをつけて身体を持ち上げる。左足を両手と同じ枝にかけた。
木登りは得意。村の子供たちの中でも、たぶん一番か二番かくらいに得意だったと思う。かけっこも力比べも弱い方だったけれど、なぜかこれは上手だった。
コツは掴む枝をちゃんと選んでから登ることと、なるべく木に身体をくっつけること。
ちなみに、高いところが恐い子はそもそも登らなくていいと思う。
スルスルと上の方まで登って、枝が細くなってきたあたりで止まって、バランスをとりながら手を伸ばす。
楕円形の赤い木の実を、親指と人差し指と中指で摘まんだ。プツリと穫る。
ニルナの実。食べられるけど鳥も食べ残す、と言われる木の実だ。
実は大きめだけれど種も大きくて、ほとんど果肉がないのがそう言われる理由。小さな鳥だと口に入らないか喉に詰まってしまうかだし、大きな鳥でも種の部分は消化できないからそんなに栄養にできない。この木にもたくさんなっているけれど、全然鳥に食べられてないように見えた。
ただ時期が早いから、実のほとんどはまだ青い。食べられるくらいに熟しているのはちょっとだけだ。
穫ったニルナの実の果皮を歯でこそいで食べる。皮のツルリとした食感と、にじむくらいだけれど少し甘みがある果汁。
あんまり味がしなくて美味しくはないけれど、まずくもない。つまり食べ物だ。食べごたえないのが寂しいけれど。
一個を食べて、種を捨てて、手を伸ばしてさらに赤い実をいくつか採る。果皮を味わいながら、周囲を見回した。
木が多くて視界は悪いけれど、高いところから見るとやはり違う。遠くまで見れる。
「あ」
森の中に木の途切れている場所を見つけ、目をこらすとチラチラと光が反射した。
「水場だ」
ニルナの実を口に入れて、木から降りる。
朝から喉はカラカラだ。飲める水ならすごく嬉しい。
―――じゃーな、ガキんちょ。あんま町から離れるんじゃねーぞ。
―――気をつけてな。あまり遠くへは行くんじゃないぞ。
そんな、忠告を受けた気がする。
けれど僕はそのことを、すっかり忘れていた。
「川だ」
見つけた水場は河川のそれで、その周りだけ森が途切れたかのように木々が無くなっていた。なだらかだけれど地面が削れたように低くなっていて、白くて角のない形の石が敷いたかのように落ちているのが不思議だった。
村の近くにも川はあったけれど、こんな景色は見たことがない。
石につまずかないよう水へ近づく。……正直、あんまり綺麗な川ではないように見えた。濁ってはいないけれど、川底が見えるほど澄んではいない。けれど膝をついて掬ってみれば、手のひらの器にゴミが浮くほどではなかった。
上の方の澄んだ水を飲む。あんまり川の水を飲むとお腹を壊すって聞いたけど、喉が渇いて我慢できない。二度、三度と掬って飲んで、やっと一息つく。……そして、顔を上げた。
改めて周囲を見回す。あんまり大きな川じゃなかった。対岸までそこまでの距離はない。流れも急じゃなさそうだ。
けれど底が見えないくらいだから深そうで、渡るなら泳ぐ必要があるだろう。そこまでする理由はないから、ここより向こうへは行かなくても大丈夫。
……けれど、少しだけ気になった。
海、たくさんの人通り。二階建て、壁、切り株。他にもいろいろ。思えば、こっちに来てから知らない景色ばかり見てきた。
この先には何があるのだろう。まだ僕の知らない景色が待っているのだろうか。
「あれ?」
さらに視線を巡らせて、気づく。水ばかりに気を取られていて気づかなかった。
「ここら辺の草、ちょっと他と違う……」
バッと立ち上がった。慌てる必要なんてないけれど、気持ちが逸ってしまって駆け寄る。
河原にたくさんある角のない石たちの、隙間から遠慮するように顔を出した草。それに、見覚えがあった。
「薬草だ……!」
それを見つけたという事実を噛み締めるように、口に出して言った。肉厚で長細く伸びた葉と、痛そうなトゲのある茎。それはたしかに依頼の薬草だった。
たぶん、一番上に描いてあった安いやつ。だけども今日初めての収穫で、河原を見回せばたくさんあった。取り放題だ。
ナイフを取り出す。鞘から抜いて、記憶の通りに葉だけを採取する。けっこう固くてしっかりしてるので、ナイフがあって助かった。
トゲのある茎は残す。そうしておけと書いてあった。なんでか分からないけど、要らないのなら採らなくていい。上着カゴは底が浅くてあんまり入らないから、余計なものを入れる余裕なんてないのだ。
一つ採り終わって、近くにあった次の薬草へ。それも採り終わって、さらに次へ。上着カゴにどんどん溜まっていくのが嬉しくて、夢中になって採る。
採った葉っぱを上着カゴに入れて、次を探すとちょっと遠いところにあって、小走りに駆け寄った。片膝だけついて左手で薬草を摘まみ、ナイフで……――
「あ、痛ぅ……」
ちょっと急ぎすぎて、左手の人差し指に茎のトゲが刺さってしまった。慌てて手を放すとトゲは抜けたけれど、ポツリと血が浮いてくる。ジクリと痛くて、指を舐めると血の味がした。
……落ち着こう。薬草は逃げない。僕は刃物も持ってる。河原は石だらけだから転ぶと危ない。
気をつけないと。
改めて薬草に向き合い、トゲに気をつけて摘まむ。ナイフをしっかり持ち、葉っぱを切―――
―――そこで。ガサリと、近くの藪から音がした。
ビクリと身体を震わす。手が滑って、ナイフは葉っぱに掠りもせず空を切った。丸砂利の河原に尻餅をつく。あまりに驚きすぎて逆に声も出せなかった。
ガサリ、と藪がまた動く。その光景に目を見開く。気のせいじゃない。なにかいる。
ここは森の中。町から離れ、危険な野生動物や魔物がいてもおかしくない、人里の外の世界。
今までなにも出遭わなかったから、油断していた。
尻餅をついたまま後退る。音がした方向を凝視する。背の低い木の枝葉が動く。
そして―――そいつはヌルリと姿を見せる。
「……スライム!」
知っていた。見たことはないけれど、そいつのことはよく聞いていた。ゼリー状で丸っこくて透明な、一発で分かる見た目。
魔物だ。
ガサリと藪を出て、一段低くなっている河原へぼとりと落ちて、スライムはノロノロとこっちへ寄ってくる。……目も鼻も見当たらないけれど、僕が見えているのだろうか。
まだ少し距離は離れている。あまり刺激しないよう、地面に手を突いてゆっくりと尻を浮かす。中腰になって、薬草の葉っぱが入った上着カゴを引き寄せた。
ジリ、と音を立てないよう注意して、スライムの進行方向から横にズレてみる。もしかしたら、川を目指しているだけかもしれないと思ったからだ。あのゼリーみたいな身体はいかにも水分をたくさん含んでいそうで、水がたくさん必要なんじゃないかなって気がした。
けれど僕が動くと、スライムはノロノロとした動きでこちらへ進路を変えた。……僕のことが見えているし、こっちへ向かっている。
スライムから目を離すことができず、右手のナイフの柄を親指でなぞって確かめて、ギュッと握り直す。小さな刃はたしかにそこにあった。
―――たしか村の大人の話だと、スライムは木の棒で殴れば倒せるらしい。斧で切っても倒せるし、火を嫌うし、思いっきり踏みつけても倒せる。
普段は虫とかネズミとかの小さな獲物や動物の死骸なんかを溶かして食べてる魔物で、よっぽど大きなやつかたくさんの群でもないかぎり、人間が襲われてもやられることはないとか。
だから、そんなに強くはないはずだ。
ノロノロとスライムが寄ってくる。
ジリジリと後ろに下がる。
川の水を飲んだのに喉はカラカラに渇いて、うまく呼吸できなくて、縋るように薬草の入った上着カゴを抱えて。
そして。
バッと身を翻して、走って逃げ出した。




