二日目の朝
結局、ヒシク草は隣の馬房の馬に全部食べられてしまった。昨日あんなに頑張って採取して、あんなに工夫して吊したのに。
「もう絶対、ヒシク草は隣から届くところには干さない」
涙目でそう固く決意してから、そもそもヒシク草はもう採取しないことに気づいた。だって採取依頼されている薬草ではないのだ。返品されたものをもったいないからと保存しようとしていただけなのだ。さすがにまた間違えて採ってくるなんてバカはしないから、あの失敗で得られた教訓すら無駄である。
はあー、と大きくため息を吐く。悔しいけれど馬に文句言っても仕方がないし、僕は上着カゴを手に、肩を落として冒険者の店に向かうしかなかった。
朝は早かったけれど、冒険者の店はもう開いていた。どうやら冒険者の人も結構いるようだ。
受付には昨日の恐いおじさんがいて、またなにか書き物をしていた。
「おはようございます」
挨拶すると、恐いおじさんは僕を見て変な顔をした。
なんでそんな顔をするんだろうと思って、挨拶が返ってこなかったのでたぶん聞き取れなかったんだろうなと、もう一度挨拶する。
「おはようございます」
「お……おう。おはよう」
こんどはちゃんと返ってきた。やっぱり聞き取れなかったらしい。僕の声はあんまり大きくないから、たまにそういうことがある。
「厩を貸してくれてありがとうございました。今日も薬草採取に行こうと思います」
「あー……ああ、分かった」
よし、お礼も言えたし、依頼もこれで受けることができた。薬草採取は常設ってやつだから、依頼書を持ってくるんじゃなくて受付の人に言えばいいって昨日教えてもらった。
あとは、昨日の教訓をいかそう―――僕はそのまま外に出たりはせず、一度壁に貼ってある依頼書のところに向かう。探すのはあの薬草採取の依頼だ。
それは昨日と同じ場所に貼ってあって、僕はその前に陣取った。
もう一度、上から下まで全部、じっくり読む。
絵は全部覚えて、注意書きは小声で読んでなるべく暗記する。できれば写し書くためのペンと羊皮紙が欲しかったけれど、書くものなんてないから頭に入れる。
全部で九種。絵と、採取方法と、似た植物があったり扱いが特殊だったりする場合は注意書きも。
昨日と同じでお腹が減ってうまく頭が働かない。だけれど、それでも頑張って一つ一つ覚えていく。中には薬草じゃなくて毒草みたいなことが書いてあるやつもあって、ちょっと恐かった。昨日はこれを、うろ覚えみたいな状態で採取しに行ったのだ。
……思えば、昨日の僕は不真面目だった。九つのうち四つだけしか覚えてないのに外に出て、全然違う薬草を間違えて採取してきた。
これは依頼で、お金をもらうための仕事で、パンを食べるためにやるものだ。
お腹いっぱい食べるためには、ちゃんと頑張らなければならない。……当たり前のことだった。当たり前なのに、できていなかった。
「よし」
記憶した。
昨日覚えた四つは復習し、五つを新しく覚えた。その九種の中で実物を見たのは一種だけという不安はあるけれど、でも昨日みたいな失敗はもうないはずだ。
依頼書はよく読め―――恐いおじさんに教えてもらった、たぶん基本中の基本。それを今、僕はやっとできた。
「お、ガキんちょじゃん」
この町で数少ない、聞き覚えのある声がしたのはそのときだった。
振り向いて見上げると、濃い茶色の髪に一房だけ白髪の男の人。今日は酔っ払ってないのか顔は赤くないけれど、すぐに誰だか分かった。使い込まれて傷だらけの金属鎧を着たその冒険者の名前を、僕は知っていた。
「ウェイン」
「んあ? 俺って名乗ったっけ?」
不思議そうに肩眉を上げるウェイン。……そういえば、名乗ってもらってないかもしれない。あの綺麗な女の人が言っていただけだ。
「まあいいや。どうだ調子は? 昨日は薬草けっこう採れたかよ? 今日も行くのか?」
「ええっと……」
名前を知っていることを説明した方がいいのだろうか、と思ったけれど、ウェインは細かいことを気にしたりする人じゃないようだった。特に気を悪くした様子もなく、矢継ぎ早に質問を繰り出してくる。……どれも大したことない世間話。だけどいっぺんに聞いてくるので、軽く混乱してしまう。一個ずつ答えればいいのだろうけれど、パッと言葉にできない。
どうしたものかと答えあぐねていると、口の代わりにお腹が返答してしまった。……ぐぅぅ、と大きな音で空腹を訴えたのだ。
「お、なんだ腹減ってるのか? そうだ奢ってやるよ。昨日は俺もネズミ退治でそこそこ入ったからな、せっかくだし好きなもん喰わせてやるぞ」
恥ずかしくなってしまって赤面する僕に、ウェインは人当たりのいい快活な笑みを見せてそう言ってくれる。
―――それが、すごく魅力的な話だった。
昨日は結局、パンの欠片を食べただけ。あんなので足りるはずもないし、今もお腹は背中とくっつきそうで、だけど朝食を食べるお金はない。
すごくすごく、飛びつきたいくらいのありがたい話だ。
だから、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
「―――……いらない」
僕は後ずさりして首を横に振った。声は震えていた。
「お……お代は、もうもらってるから!」
お腹が減っていて、本当はすごく食べたくて惜しくって、それを振り切るために背中を向ける。
逃げるように店の外へ出て、そのまま町の外へ向かって走った。
「……なんだぁ、ありゃ?」
逃げるように出て行ってしまった子供を見送って、頭をボリボリ掻く。よく分からないが逃げられてしまった。昨日はガラが悪くなってしまったから、反省して少し明るく話しかけたのに。
せっかく昨日の礼でもしようと思ったのだが。
「イジメたの?」
横から声を掛けられる。この怠そうな声はシェイアだ。朝は苦手なハズだが、今日はわりと早くからいるな。珍しい。
「イジメてなんかいねーよ。腹減ってそうだったからメシ奢ってやろうとしただけだ」
「そう」
丁寧に弁解したけれど、返ってきたのは最低限の短い頷きだった。肩をすくめて見れば、とんがり帽子の広いツバの下で、朝に弱い彼女はやっぱり眠そうな顔をしていた。
向こうから話しかけてきたのに、立ったまま寝そうな雰囲気だ。……まあいつものことであるのだが。
気まぐれで怠け者で面倒くさがり。修行をサボるため冒険者の店に登録したこの魔術士は、口を開くのも面倒だから最低限の言葉しか発さないという変人である。
顔はいいし腕も確からしいが、そういう性格が災いしてかパーティを組んでも一、二回で抜けてしまう。おかげで希少な魔術士のクセに、最近はずっとソロのところしか見たことがない。
魔術士のソロはあまり稼げなそうだが……まあ、やる気がないんだろう。べつに食うに困ってる様子もなさそうだし。
「どうせ、今日でさよなら」
「んお?」
いきなり言われてなんのことか分からなくて、変な声で返してしまった。だけれど、それにツッコミを入れるような相手ではない。
「さっきの。バルクが、いいとこの子だって」
どうやら店主がそう言ったらしい。いいトコの子が物語か何かにあてられて来てみたが、冒険者なんて実態を知ったらすぐに幻滅されて、さっさとお家に帰るだろう……ということだろうか。まあ分からんでもないが。
「あれ、そんないいトコのガキかぁ? 服とかボロじゃねぇけど安そうじゃね?」
「むぅ……」
「それに大して品もあるようには見えなかったが……いいトコのガキって感じはしなかったけどな」
「……バルクの見立てだから」
あの髭面のおっさん、イマイチ信用ならねぇんだよな。なんか細々とやらかすというか……ラナとミグルの結婚式の時も、サプライズをミスで先にバラしてしまってシラけさせてたし。あれはリカバリー大変だった。
まあ依頼管理に関しては、大きな失敗はしないからいいけども。
「……そういやあのガキ、お代はもうもらってるって言ってたけどなんのことだろうな?」
「さあ」
腕を組んで首を傾げて考えてみるが、分からない。少なくともこうして考えていて分かることではないだろうという結論に達して、まあいいや、と頭を掻いた。とりあえず食事処の方のカウンターへ向かう。
今日もまたネズミ狩りだ。難易度の低いしょぼい仕事だが、それでも冒険の前にはしっかり腹ごしらえをしなければ……と。
足音がついてきたのでチラリと振り返ると、シェイアが後ろを歩いていた。
「どうした?」
「ご飯。考えるの面倒」
眠そうな声で言ってくる。……メニューを合わせる気か。
たしかに注文時、同じので、って言うのが一番短いし簡単だ。自分で考える必要もない。だけどメシって自分が食べたいものを選ぶのも楽しみではないのか。
食とは人生の彩りだ。好きなものを食べて舌鼓を打つ幸福を疎かにするのはどうかと思う。というか自分の苦手なものだったらどうするつもりなのか。
こればかりは正直、理解できない。やはり変人だ。
「いいけどよ……そうだ、せっかくだし今日のネズミ狩り一緒に行くか? 暇だろ?」
「嫌」
まあ、下水道には行きたがらないだろうなと思ったけどさ。




