厩
返品のヒシク草を入れた上着カゴを手に店を出ると、もう日は完全に落ちていた。夜だ。だけれど大通りには篝火が焚かれているところがあって、まだ人が歩いているのが不思議だった。お祭りでもなさそうなのに。
僕は建物を回り込む。さすがに篝火はなかったけれど、月が明るくて困らない。それに建物の中から壁越しに笑い声が聞こえたから、暗がりも怖がらずに歩けた。
厩は聞いていたとおり、店の裏手にあった。横に藁が積んである倉庫があって、作業に使う鋤やフォークが置いてあったのですぐに分かった。
「おじゃましまーす……」
遠慮がちに中へ入る。少し古い木造の厩は全部の木窓が開いていたけれど、差し込む月明かりだけだと中は見通せない。
ただ、思っていたよりも獣臭くないな、と思った。
僕は一旦、目を閉じた。暗い場所で周囲が見えないときは一度目を閉じるといい。気のせいかもしれないけれど、目が慣れるのが少しだけ早くなる気がする。
そのまましばらく待って、目を開ける。ほんの少しだけど中の様子が分かるようになった。
厩の中は真ん中に通路があって、僕の背丈くらいの木壁でいくつかの馬房に区切られていた。どうやらここに一頭ずつ入れて世話をするらしい。……一頭一部屋なんて贅沢だと思った。村の牛とはすごい違いだ。
通路側からは、きっと馬の様子を確認しやすいように木壁ではなくて柵で囲ってあって、馬房の中がよく見えた。なにもいない。寝藁も敷いていない。剥き出しの土しかなかった。
そろそろと中に入ってみれば、二つ目の馬房も同じでなにもいなかった。……そういえば、空いている場所なら使っていいって言われたっけ。だから空いている馬房があるのは当然だ。空いていなければさすがに意地悪だろう。
……でも、もう行き止まりの壁が見えるのだけれど。
どうも馬房の数は四つだけのようだ。なんだか拍子抜けして、僕はさらに進む。
そして、次の馬房に……いた。
「うわ、大きい」
横になって寝ていても大きいことは分かった。それにずんぐりしてなくて、もっと筋肉質で厳つい感じ。暗くてよく分からないけど、たぶん芦毛だと思う。
こんな馬は見たことない。きっと、畑を耕したり荷車を引いたりする馬じゃないのではないか。強そうだし、物語に出てくる英雄が乗ってる馬みたいに見える。
ただ……。
「動かない……」
僕がいることには気づいていると思うのだけれど、全然動かない。こちらを見ようともせず、頭を壁に向けたまま眠っている。
もしかしたら死んでいるのかも。そんな考えがよぎってしまって怖くなった。この馬房はもしかしたらもう使われていなくて、亡骸が放置されているのかも……と背筋がぞくりとした。
……でもよく目をこらして見たら胸の辺りが上下していたし、静かだから分かったけれど寝息も聞こえてきた。ただの図太い馬だった。
なんとなく起こすのも申し訳なく思えて、音を立てないよう次の馬房を見に行く。カラだった。この厩、一頭しかいない。
「……遠慮なく使わせてもらおう」
これだけ空いてるんだからいいだろう。許可もとってあるけれど、なんだか気も楽になった。ちょっと寂しいのが玉に瑕だけど。
少し考えて、僕は一番奥の馬房を使わせてもらうことにした。
区切り越しに寝息が聞こえるのがなんだか安心できたし、あの強そうな馬の奥だったら、恐いなにかが入って来ても大丈夫な気がしたからだ。
僕は木の柵でできた馬房のかんぬきを抜いた。馬房扉は意外としっかりしていて、重い。両手で力を入れて引かないと動かない。馬は力があるから、これくらいしっかりしてないと壊してしまうのだろう。
中にヒシク草の入った上着カゴを一旦置いて、表に出る。少し躊躇したけれど、扉の無い倉庫から藁を拝借して運んだ。……さすがに、土の上に直接寝るのは嫌だった。
何度か藁を運んで自分の寝る分だけの場所を確保したら、やっと座り込む。馬房区切りの横のここが、一番隣の馬の寝息が聞こえて嬉しい場所だ。藁はふかふかにするのまでは遠慮して薄く敷いただけだけれど、土より全然良くて、寝床が確保できたのがすごく嬉しい。
早速手足を広げて横になって、ふうー、と大きく息を吐く。そうするとすごく疲れていたみたいで、一気に力が抜けてしまった。
そのまま寝てしまおうと思ったけれど、なんだか寝付けない。窓を見上げると、ちょうど半分くらい欠けた月が見えた。
僕は今日、冒険者になった。
お店で登録してもらって、町の外に出て、薬草を摘んだ。失敗もしてしまったけれど、お金をもらってそれでパンを食べた。
思い返してみると、胸の奥からなんだかフワフワした。
悪い気分じゃなかったけれど、頬傷の恐い人のこととか、ウェインのこととか、綺麗なお姉さんのこととか、二階建ての家のこととか、門の兵士さんのこととか、次から次へと今日のことが頭に浮かんでくる。すごくすごく疲れてるはずなのに、全然眠れる気がしない。
困ったことに僕ももう少しだけ、このまま起きていたいと思って。
「そうだ。ヒシク草」
もそもそと身を起こして、上着カゴを引き寄せる。今夜は寒くないから上着の必要はないけれど、明日もカゴとして使うならヒシク草はどうにかしなければならない。
……たしか、神官さんは日陰に吊して乾かしていた。ああすれば保存が利くはずだ。
怪我にも効くし、煎じて飲んでも良いし、苦いけどお茶にもなる良い薬草だ。これからどうするにしても、あって困ることはないだろう。
僕は床に敷いた藁から何本か抜き取り、二本ずつ束ねたものを端を縛って繋げていく。細くて歪だけれど、ちょっとしたロープになった……いや紐だねこれ。
少しのことでちぎれそうな気もしたけれど、まあ薬草を吊すだけなら大丈夫だろう。僕は同じ紐をあと二つ作った。
ヒシク草はたくさんあったので、三本ずつくらいを纏めて縛っていく。神官さんはちゃんと一本ずつやってたけれど、それだと紐の長さと数がたりない。とはいえこれ以上紐を作ると今度は寝床が寂しくなるし、また新しい藁を持ってくるほどの元気は残ってない。
だからこれで悪くなるようならまた考えようと思って、そこは妥協した。
窓から入り込む月明かりの下、フワフワした気分で時間をかけて作業して、ヒシク草を全部縛ったころにはすっかり眠くなってしまった。
しょぼしょぼする目で、通路側の木の柵の一番上に吊す。あまり動きたくなかったので、寝床に近い場所に三本とも吊した。ちょっと心配だったけれど紐は切れなかったし、下も土についていない。
これでよし。眠い目を擦りつつ改めて確認して、そう満足した。力尽きるように藁の寝床へ横になる。
そしてそのまますぐ、深い眠りに落ちていった。
そして翌朝。
モシャモシャという変な音がして目が覚めると、目の前に大きな芦毛の馬の首があった。
びっくりして、身も起こせず固まってしまう。頭は覚醒したけれどなにが起こっているのか分からない。大きな動物は村の牛で慣れてるけど、寝起きでこんな近くにいることはなかった。
視線だけ動かしてみる。どうやら隣の馬房から区切りを越えて首を伸ばしているらしかった。よく手入れされた芦毛の太い首を辿ると顎の裏側が見えて、口が動いているのが分かった。なんだろう、と思って、僕は頭も動かしてさらにその先を見る。
「あ、それダメ!」
昨日の夜に吊していたヒシク草の紐がもう二つ無くなっていて、ちょうど三つ目へと口を開けたところで。
とっさに声を上げたけれど、昨夜僕が来てもずっと寝ていた図太い馬はまったく気にせず、美味しそうにモシャリと食べてしまったのだった。




