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 その瞬間、サジャッドは息どころか時間も、心臓を動かすことすらも忘れたようだった。

 平民が嫌いなのは本当なのだろう。だから自分が一番気づかなかった。気付こうとしなかった。



 ――――まさか自分が「下賤な平民なんか」に恋をするなんて。



 サジャッドの喉から、かひゅ、と息の音が漏れ出る。彼は土気色の顔を絶望に染めていた。


「……何を、言っている?」

「私や殿下やメリンダ・キューイ子爵令嬢への攻撃は、全て『エミリアに近しい者への嫌がらせ』の一言で説明がつくんです」


 サジャッドは賢いのに、エミリアが関わるといつも感情を抑えられなくなる。

 それは彼女が平民だからだと思っていた。


 でも違う。最初に変だと思ったのは、『夏』で彼が平民の客に愛想よく接しているのを見たときだ。



 エミリアはサジャッドにとって『特別』だった。



 それが特別『嫌い』なのではなく、その逆なのではと考えたとき、色んなことの辻褄が合うと気づいた。


 シナリオで断罪されたとき我を忘れて激怒したのは、攻略対象――つまり男がエミリアに寄り添っていたから。

『夏』に舞踏会で言うはずのセリフをフライングしたのは、エミリアがガッドという男性に庇われていた点で舞踏会に似ていたから。


 幻獣の能力が変わったのは、おそらく私というイレギュラーのせいだ。


 シナリオでのサジャッドはエミリアに近づく大義名分があった。父親からの命令である。

『平民は汚らわしいが、父親の命令なら仕方ない。』

 それを建前に彼はエミリアを手に入れ、気付かぬうちに欲求を満たした。


 でも現実は違った。彼は五高であるエミリアに近づく理由はない。

 なのに近づきたい、視界に入れたい、言葉を交わしたい。同時に平民は汚らわしく、下等で、劣っているとも思っている。


 好意と憎悪。正反対のベクトルにも関わらず二つの感情は同じくらいに激しくて、サジャッドの心はぐちゃぐちゃに捻れた。

 そのストレスがトリガーとなって突然変異が起きたのだろう。


 つまり第二部でのシナリオと現実との乖離は、エミリアが三強にならず私が三強になったことで生じたものだったのだ。



 サジャッドは頭を掻きむしった。「違う」だの「そんな訳ない」だのとぶつぶつ口にしていた。やがて頭を抱えて蹲った。

 五高として多くの生徒の憧れだった彼の姿は今や見る影もない。


 その姿勢のまま、呻くような低い声が私に問いかける。


「誰かに話したか」

「いいえ、今初めて、あなたに話しました」


 瞬間、恨みを込めた目が私を見上げた。



「――――なら、今お前を殺してしまえば」



 そう呟くと同時、彼の絶望を燃料にした強力な魔力が、私どころか大広間を呑み込んだ。

 息が詰まる。私をすり潰して跡形もなくそうとしているのがよく分かる、凄まじい重さと濃度。



 こう来ると思っていた。



 肌がびりびりするほどの威圧感に耐えながら、サジャッドの目を真っ直ぐ見返す。


「今初めて話したとは言いましたが――」


 彼が自分の影から作り出した、人の腕ほどの大きさの魔力の棘が私に向かって伸びた。



 私はそれを避けなかった。



「――他に誰も聞いていないとは言っていません」



 瞬きの間にその場に五人の人間が現れた。


 二人が私を守るようにして立つ。二人がサジャッドの腕を拘束し、首に剣を突きつける。


 そしてもう一人は、私とサジャッドの真ん中に降り立って、その顔に深い悲しみを浮かべた。


「サジャッド・マハジャンジガ」


 名前を呼ばれ、サジャッドが限界まで目を見開く。唇を戦慄かせて、その男を凝視する。


「学園長……」


 王立貴族学園学園長は、私の無理をきいて最初からこの大広間にいた。つまり全てを聞いていた。


「レベッカに危害を加えようとしたな! 万死に値する!」


 サジャッドに剣をつきつけているのは、炎の立髪をもつ馬に乗った太陽の如き男。


「暴れないでね。私も人の腕とか折りたくないし」


 腕を拘束しているのは、チーターに跨った女傑。


「ヴァンダレイ様、結婚式の前に怪我をなさらないでくださいね」


 そして私を守って立っている二人のうち一人は、無数の蝶を引き連れた才媛。


 ヴァンダレイ・スルタルク、オリヴィエ・マーク、セクティアラ・ゾフという三強の卒業生たちが、今この場に集結した。


 そして最後に、私を守って立つ二人のうちのもう一人、サジャッドの攻撃を目にも止まらぬ速さで切り刻んだ金髪の男――――。


「レベッカ、怪我はないな」


 ルウェイン・フアバードン。


 彼は振り返って私の無事を確認すると、またサジャッドに集中した。


 この一連の流れは私と殿下の共謀だ。


 今までのサジャッドの悪行を証明できないなら、今から起こさせればいい。学園長の前で現行犯なら証拠はいらない。

 心強い卒業生の三強三人がいれば、サジャッドには暴走する暇も与えられない。したがって彼が昏睡することもない。


 舞踏会での断罪を避けたいと言い出したのは私だった。サジャッドの恋心を衆人環視の中暴露するのは気が引けた。

 何より第一部で『レベッカ』がされて嫌だったことを人にする気にはなれなかった。


 何はともあれ、これで一件落着――――。



「――ああ、終わりだ」



 その声を上げたのは私でも殿下でもなかった。


 サジャッドだった。


 彼は拘束されたまま俯いて、吹っ切れたような、全てを諦めたような声を上げた。


 その様子に嫌に胸がざわついた。


「……たしかにあなたの企みは『終わり』ですが、人生という意味なら、更生して――」

「分かってないな。私のグエンの能力はもう変わらない」


 サジャッドが、今はこの場にいない自身の幻獣の名前を呼ぶ。


「危険すぎると判断されたら――処分だ」


 息を呑んだ。彼の眦に、声に、吐息に、幻獣を大切に思う気持ちが溢れていたからだった。

 周りをことごとく敵視しているみたいなサジャッドが何かを愛おしそうにしているのを初めて見た。


 きっと殿下も、学園長も同じだった。



 ――――だから止められなかった。



 サジャッドは血走った目を私に向けた。



「それなら賭けようか。()()()()()()()()()チャンスに」



 そのとき、突如サジャッドの目の前にビー玉ほどの黒い()が生まれた。


 それは出現するが早いか、渦を巻いて空気や塵を引き摺り込み始めた。


 兄さまとオリヴィエがたまらず離脱する。それを見た全員がただならぬ危機感を抱いた。

 あの黒い球体は、戦闘能力に一家言ある二人が本能的に『逃げ』を選択するような何かだということを意味していた。


 空気が逆巻く音がする。とてつもない力で体が引っ張られている。ずるっと足が動いて浮きかけた私の体を、殿下が抱きしめて食い止めた。


「殿下、何ですかあれ!」

「時魔法だ! 時の流れを歪めて時間を巻き戻すつもりだ! 巻き込まれれば死ぬ!」


 髪やドレスが引っ張られて靡く。足が地面についていてくれなくて、心臓が早鐘を打った。

 殿下は私が持って行かれないよう後ろからお腹と肩に強く腕を回した。そのままじりじりと後退する。


 何とか顔を上げて周りに視線をやれば、兄さまやオリヴィエ、セクティアラ様も大広間の出入り口に向かっている。


 一人違ったのは学園長だ。


「やめなさい! それは禁忌だ! 未だかつて成功した人間などいない!」


 学園長は普段の穏やかな姿からは想像もつかないほど必死に叫んでいた。自分の危険を顧みず、生徒の暴挙を止めようとしていた。


「失敗すれば時の奔流に呑み込まれる! 死ねたら幸運だ! 遠い時間軸に飛ばされるか、永遠に彷徨い続けることになるか、肉体が砕け散っても死ねずに苦しむかもしれん!」

「知ってるさ!」


 しかしサジャッドには届かない。彼は醜く笑って叫び返すと、黒い穴――時の歪みの種に自分の魔力を注ぎ始めた。


「成功か失敗か――。スルタルク公爵令嬢、エミリア(あの女)を早く連れてくるんだな」


 何故今その名前が出たのか、考える暇はなかった。


 サジャッドの手元で球体が細胞分裂を起こすかのように激しく蠢き、肥大化していく。


 拳大まで成長した瞬間ついに魔法は発動した。


 引き込む風がそれまでと比べ物にならないほど激しさを増して暴風になる。

 サジャッドの体が蜃気楼のようにぐにゃりと歪んで穴の中に引きずり込まれた瞬間、私は声にならない声で叫んだ。


「失敗だッ!」


 オリヴィエが怒鳴るように言うのが聞こえる。


 発動した人間がいなくなったにも関わらず魔法が止まらない。

 殿下が魔法で床に木の根を張った。地面に足を縫い付けることでなんとか吹き飛ばされず耐えている。しかしもう一歩も動けない。


「止める方法は!?」


 もはや目を開けることもままならない中、半分悲鳴のように叫んだ。


 答えを知っていたのは学園長だった。


「治癒魔法使いがあの中に飛び込んで事なきを得た記録が一度だけあるッ! 歪みは時の『傷』だからだ! だが今なお消息不明だ!」 

「そんな――」


 絶望に沈んだときだった。


 視界の端に銀髪を捉えた。



「『治癒魔法使い』……?」



 茫然と呟いたのは、驚愕に目を見開いた私の親友(治癒魔法使い)だった。

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