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目を開けたら暖かいベッドの中にいた。視線を天井に彷徨わせて、医務室に寝ているのだと気づく。ベッドに誰かが腰掛けていることも分かった。
声をかけようと息を吸ったら、けほ、と咳が出た。
「レベッカ、目が覚めたか」
「殿下……」
群青の瞳が覗き込んでくる。がばりと抱きしめられ、くぐもった声が不安そうに響いた。
「俺のことが嫌いになったか?」
「まさか!」
思わぬ質問をくすくす笑って否定する。
「むしろ信じてましたよ、私を助けに来ないでオズワルドの塔を攻めてくれるって。おかげでキャランを倒せました」
もし本当に助けに来られていたら普通に落ち込んだし、殿下が最後私の旗を取ったのも当たり前の行動だ。
将軍同士の同盟関係という前代未聞の状況に遭遇したにしては私たちの軍は健闘したと言えるだろう。
起き上がって伸びをする。
『冬』は『春』と同じで生徒全員に予め防御魔法がかかっているし、先程使い切ったのは元々分け与えられた魔力だから私は無傷だ。むしろぐっすりお昼寝した感じだ。
ベッドから出ながら尋ねた。
「舞踏会まであと何時間ですか?」
「五時間だ」
「十分ですね」
称号が授与される舞踏会は、毎年『冬』の後の夜。
今から生徒たちは忙しい。回復した者から舞踏会の準備に入る。
そして私と殿下に限って言えば、サジャッドの断罪という、最後の大仕事が待っている。
舞踏会は王立貴族学園の一年を締め括る催しだ。色とりどりのドレスを着た女子生徒、それをエスコートする男子生徒。
将来国を担う人材をこの目で見ようと国の重鎮も顔を出すから、規模の大きさは相当なものだ。
まず三強と五高が発表され、そこからはダンスと歓談。一年間ライバルとして鎬を削った同級生とも肩を叩き合い笑い合う。
シナリオでは称号の発表の前に主人公がサジャッドの行いを白日の元に晒すのだが、攻略本でそのくだりを読んだとき私は思った。
――――サジャッドは馬鹿なのか、と。
『断罪』はとても証拠能力を持つようなものではなく、隙がいくらでもあった。冷静に一つ一つ知らん顔していけばサジャッドの有罪は認められなかったはずだ。
なのにサジャッドは激昂した。わざわざ本性を剥き出しにして叫んで、主人公の主張に正当性を与えるような真似をした。
そして最後には魔力を暴走させ、色んな人の悪夢を具現化して学園を地獄絵図に変えたのち、反動で夢から醒められなくなって昏睡してしまう。
この矛盾はきっと、本当の『彼』を指し示している。
日が沈み星と月の時間がやってくる。
講堂で舞踏会が開かれるきっかり一時間前、私は一人ぽつんと薄暗い大広間に立っていた。
海のような深い青のドレスに金の華奢なアクセサリーを身につけ、黒髪は編み込んでアップにした。このまま舞踏会に出席できる格好だ。
生徒たちは寮で身支度をしている時間だし、教員は舞踏会の準備に余念がない。必然誰も大広間に用はない。
だから近づいてきたコツンコツンという足音は、私が呼び出した相手のものだ。
「こんばんは、スルタルク公爵令嬢。あなたが私と話したがるのは珍しい」
「こんばんは、マハジャンジガ子爵令息。ご足労いただき感謝いたします」
タキシードを王道に着こなしたサジャッドが作り笑いを浮かべながら暗がりから歩み出てきた。
「私にどんなご用かな?」
時間のない舞踏会当日呼び出されたことに少しの苛立ちも見せない紳士な振る舞い。動作も一つ一つが堂々としている。
私に何を言われても平気な自信があるのだろう。
――それもそのはず、サジャッドは結局私たちになんの証拠も掴ませなかった。
シナリオと同じだ。動かぬ証拠はない。彼はこのままならしらを切り通せる。
「……とある貴族の青年の話を、聞いていただけますか?」
その余裕の笑みを眺めながら、私は話を切り出した。
***
あるところに貴族の青年がいました。彼は成績優秀で見目が良く、さらには人当たりも良かった。
目立った短所といえば平民が嫌いなことくらいでしょうか。『平民は貴族に尽くすもの、同じ人間ですらない』。彼はそう考えていました。
しかしあろうことか、彼が通う学園には平民の少女がいたのです。
一学年下に入ってきた彼女はまさに目の上のたんこぶで、嫌に視界に入りました。
さらには平民の分際で彼と同じ成績優秀者の称号まで手に入れたものだから、青年は不愉快でした。
そんなとき彼は父親にさらに上の称号を手に入れるよう言われました。子爵家は力を失いつつあり、子爵は称号に付随する特権を求めたのです。
青年は自分の実力をよく理解していました。自分の能力ではそれを得ることはできないだろうと。
――でも、正攻法でなければ。
彼の幻獣は他人の精神に干渉することができました。彼はそれを使って、ある三強の女を手中にしようと考えました。けれどすぐに成果は出ませんでした。
しかもその女は例の平民と仲が良かった。その女といると平民の少女は特によく笑います。
気に入らなかった。少女がその女の隣で楽しそうにしているのを見るとき、青年ははらわたが煮えくりかえるような心地でした。
青年はまずその三強の女を揺さぶることにしました。
彼女と平民の少女に共通の友人を使えば両方にダメージを与えられる。そう考えて嫌がらせを始めましたが、階段から突き落とさせてもあまり効果はないように見えました。
青年は手法を変えました。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』。平民の少女を懐柔しようと試みました。
しかしそれにも邪魔が入った。今度は貴族の男性が平民の少女を庇いました。身分を弁えず貴族の男の後ろで守られる少女は、またひどく青年の神経を逆撫でしました。
ならば今度はと、三強の女の婚約者を攻撃しましたが、それもうまくいきませんでした。
――――でも大丈夫。
青年が何かしたという証拠はないのだから。学園を卒業してからでも機会は充分あるのだから。
だから舞踏会の直前、三強の女に全てを知られていることが分かっても、青年はまた虎視眈々と次の機会を狙えばいいのです。
***
私の話を聞き終えたとき、サジャッドは何も言わなかった。
ただ笑っていた。
自分の勝利を心から確信し、証拠を見つけられなかった私を見下し、ひたすらに安堵していた。
仕掛けるならここだった。
「――――と、いうのは嘘です」
サジャッドの顔から表情が抜け落ちる。私は代わりに笑ってあげた。
『断罪』は今からだ。
「そもそも、やり方がまどろっこしすぎるんですよ」
誰もいない大広間に、わざと調子を変えた私の声が響く。
「……どういうことだ」
サジャッドは動揺しているようだった。
長々語られた『私から見たサジャッド』は彼にとって予想の範疇だっただろう。それを「嘘」と一蹴されたのだから無理もない。
化けの皮が剥がれている今こそ、彼を切り崩す絶好のチャンス。
「他人の精神に干渉できるなら、今年三強になる可能性が高い男性を攻撃して自分がその枠を狙うのが一番早いはずです」
殿下やオズワルドはもちろん、ブライアンやガッドがそれに当たるだろう。
「にも関わらず、なぜ青年は女性にこだわったのでしょうか?」
サジャッドに問いかけた。まずは『とある貴族の青年』を通しサジャッドの言葉を引き出す。
彼は再び顔に笑顔を貼り付け、あくまで自分ではなく『青年』の話だからと、口を滑らせる。
「その『三強の女』というのが、男性陣より能力が低く扱いやすそうだったからでは?」
「あら、その割には失敗続きですね」
わざと不思議そうな表情を作って煽れば、サジャッドが不自然に口角を上げた。怒りを表に出さないように耐えている。
「それに、納得できないことが多すぎたんです」
――夏季休暇中の夜会で会ったマハジャンジガ子爵が、到底サジャッドが素直に言うことを聞くとは思えない父親だったこと。
――舞踏会で言うはずのセリフを、『夏』に言ったこと。
――幻獣の能力の発動条件が突然変異で変わったこと。
――シナリオで断罪されたとき、激昂して自分の立場を悪くしたこと。
「何か理由があると思いました。でもこの一年間、あなたの言動には筋が通っていなさすぎた。頭が悪いのかと思ったくらいです」
サジャッドが気色ばんだ。プライドが山のように高い男にはこういう侮辱が有効だ。
「……何が言いたい」
それでもまだ寸でのところで体裁を保っていた。一歩も動かないし声を荒げもしない。
しかし確実に苛立ち余裕をなくしている。
だって、『青年』が『あなた』にすり替わったことに気づく様子がない。
「気づいたんです。もし、筋が通っていないほうが普通だとしたら? あなた自身もままならない感情を持て余しているのだとしたら?」
「は……?」
サジャッドは不可解そうに眉を顰めた。そしてわかりやすく鼻で笑った。
「残念だが勘違いだ。私はあなたのことを愛したことなどない」
「知っています。私に特別な思いを抱いたことなどただの一度もないでしょう。だって、本当は――」
攻略本を持っている私は、サジャッドのことをよくわかっているつもりでいた。
だけど、攻略本にも載っていなかった事実が一つだけあった。
「好きなんでしょう? ――――エミリアのことが、心から」
ここ数日誤字が多くて申し訳ないです…誤字報告をくださるみなさん、本当にありがとうございます!助かっています!
残り4話です〜




