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ルウェイン・フアバードンは、『冬』が始まると同時に南に向かった。
オズワルドがいたとしても自分がいればまず負けはしない。フリードに塔の防衛と軍の半分を任せ、自分は残りの半分を率いて荒野を駆ける。
陣に着いたとき、塔の頂上に立っていたのは知っている顔だった。
「げ、殿下……。まあいいわ、負けないわよ」
濃紫の髪を後頭部で一つにまとめたメリンダ・キューイが、ルウェインの姿を見てあからさまに嫌な顔をしつつ、迅速かつ的確に兵を展開していく。
司令官同士チェスをしているみたいな気分だった。ルウェインは相手の堅い守りに僅かな綻びを見つけてはそこに突破口を作り出し、前線を押し上げていった。
「メリンダは本当に頭がいい」と自分の婚約者が話していたのを思い出す。なるほど彼女には軍師の才能がある。
戦場を盤上のように捉えて駒を動かしていたルウェインは、しかし途中で眉を顰めた。
少しずつ戦況が予想と食い違い始めた。メリンダ・キューイの采配がブレているのだ。
まるで――兵が無尽蔵にいるかのような動きだ。
ルウェインは自分の勘を信用している。胸元からクリスタルを取り出して、各所に偵察にやった兵たちに報告を求めた。
目の前で起きた違和感の原因を他の戦場に求めたルウェインは結果的に正しかった。
欲しかった答えが最西に向かわせたある兵から得られたのだ。
その女子生徒――ハンナ・ホートンは通信用のクリスタルを通して興奮気味に声を上げた。
『夏』で十位を獲得した彼女の幻獣はカタカタ震えるうさぎで、周りを怖がりすぎて気配を読むことに長けているという。
『キャラン・ゴウデスの陣からオズワルド・セデンの気配がしてます!』
――――何?
ルウェインはハンナの報告一つで十を察した。
オズワルドの移動が早すぎるが、おそらく彼の軍に割り振られたガッド・メイセンの能力を使ったのだろうと当たりをつける。
オズワルドとキャランは、ルウェインと同じく今年最終学年だ。
泥臭くともなんとしてでも勝利を獲りにいくことを選んだ彼らに、ルウェインは知らず口角を上げた。
だが甘い。
彼らはルウェインの婚約者のことを見くびっている。
二人の目論見通りルウェインがレベッカを助けに行ったりしたら、彼女はきっと笑顔で静かに怒り狂うに違いない。
とどめのセリフは「見損ないました」だろうか。
最悪の想像をあくまで想像に留めるべく、ルウェインは今度フリードに連絡を取った。彼自身を残し他の全ての兵をよこすように伝える。誰も攻めてこないなら守っていても意味がない。
全軍が到着するが早いか、ルウェインはオズワルドの陣を一気に袋叩きにした。
持てる力全てを注ぎ込んで総攻撃を仕掛け、援軍に力を発揮させないまま短期決戦で片をつける。
メリンダ・キューイは最後の一人になっても旗の前に立ちはだかって、ルウェインの攻撃魔法を浴びる直前恨みがましく「ご祝儀半額にしてやる」と呟いて倒れた。
オズワルドの旗を抜き取って懐中時計を見れば、想定していた半分の時間で事は済んだ。
相手を倒すことがレベッカを助けることにも繋がるのだから、やる気も出るというものだ。
ハンナ・ホートンからレベッカの動向の報告を受けながら、ルウェインは塔から出て再び馬に跨った。
『冬』は六百人の命運を背負った真剣勝負。遠慮はいらないし、そんなものしたら失礼だ。
よって、ルウェインが次に向かうのは、二百人と幻獣だけのレベッカの陣である。
「俺が塔を落とす前にレベッカが戻ってくるか、半々だな」
ルウェインは婚約者と剣を交えねばならない事態も見据えて馬を走らせた。
***
オズワルド・セデンが突如剣を取り落として膝をついたのは、ブライアンが大立ち回りを見せた直後だった。
「お兄ちゃん!?」
ジュディスが駆け寄ったとき、オズワルドは既に気を失っていた。間を空けず全セデン軍が攻撃能力を失い失格となる。
殿下が旗を取ったのだ。
焦りに眉を寄せた。想定よりずっと早い。予想は十分だったのに、まだ三分しか経っていない。
ブライアンの強さに腰を抜かしている場合ではない。
私は立ち上がって駆け出した。
「行きましょう!」
「ああ!」
短く声をかければ、ブライアンが大きく頷く。動き出した私たちを見てジュディスが剣を取る。
しかしブライアンの俊足には敵わない。彼はまずジュディスに一太刀浴びせたあと、残るゴウデス兵を次々相手取る。
私はまっすぐに、キャラン・ゴウデスに向かって突っ込んでいった。
騎馬の彼女と違い私は歩兵。キャランは赤い髪を翻し、自らの幻獣の名を呼んだ。
「レティ!」
「がうっ!」
小熊が吠えて能力を発動する。その声を聞いた生き物は数分動けなくなる。
予想していたから耳は塞いだ。それでも手足に痺れが走る。頭が回らなくなって気を失いかける。
「ッ!」
私は強く自分の舌を噛んだ。鉄の味がして、ぼやけた思考が回復する。手足に鞭を打って走り続ける。
キャランはそんな私に怯んだようだった。目を見開き、反射的に下がろうとする。
ここで全力の攻撃魔法を展開しなかったのが彼女の最初で最後のミスだ。
彼女が選んだのは得意の防御魔法の重ね付けだった。
それは私に効かないと、普段の彼女なら気づけただろうに。
口をガッと開いて大量の酸素を吸い込む。体内でバチバチ炎を纏う白い魔力が燃え上がる。
この一発のためずっと魔力を温存していた。クリスティーナにもらったそれを、いつでも万全の形で使えるように備えていた。
――――『秋』で一位をとった、私の研究。
キャランの顔からサッと血の気が引いたときにはもう遅い。
「――ガァッ!」
私の口から発射された『ドラゴン・ブレス』が、キャランの防御魔法に激突した。
目を開けていられないほどの光の塊がキャランのシールドを削り、崩し、パリンパリンパリンと音を立てて次々消滅させていく。
それらは細かい粒子になって、エネルギーがぶつかり合う勢いに流されて飛んでいった。
ついに最後の一枚が破れる直前。
「――敵わないわね」
キャランが小さく呟いた気がした。ほんの少しも逃げることをせず、真正面から攻撃を受けた彼女は、馬の背中から仰向けに地面に落ちた。
だがキャランが動かなくなったのを確認したとき、私も地面に倒れ伏した。
「はぁ……っ!」
両手で首を押さえながら喘ぐ。喉が焼けるようだった。
『秋』で方法を確立したものの、一日に何度も撃つのは無理だと実感する。
でもまだ『冬』は終わっていない。
「今すぐエミリアを助けだして。すぐに動ける兵を集めて私の陣に戻るわ」
掠れた声を無理やり絞り出し、私を助け起こそうとしてくれたブライアンに指示を出した。
塔に籠城していたとき、自陣の兵をこちらに動かすという選択肢はなかった。キャランとオズワルドを倒した後のことを考えたからだ。
彼らが今、殿下から猛攻を受けていると連絡してきている。なんとか持ちこたえてくれている間に戻らねばならない。
ブライアンが走っていって間もなく、エミリアが彼の手を借りて穴から這い出てきた。
地面に座り込む私に駆け寄ってくる。
「レベッカ様!」
「エミリア、ごめんなさい、助けてくれてありがとう」
「いいえ、当然のことをしたまでです! お怪我を治しますか?」
「私より、軽症の兵の全快を大至急でお願い。今すぐ自陣に戻らないと――」
しかし最後まで言い切ることは出来なかった。
視界が急激に色を失い、電源が切れたおもちゃみたいに意識が遠のき始めた。エミリアが体を支えてくれたのがわかった。でも声が聞こえない。
――――旗を取られた。
もっと戦っていたかったという底知れない悔しさを最後に、私は意識を失った。




