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一番ショックなのは私ではなく、やはり本人だろう。
自分と同じ見た目の人間が現れたことに大きな衝撃を受けたランスロットは――いや少なくともそう見えるよう振舞っている彼は――何を思ったか弾かれるように飛び出した。
「自分の偽物とは思ったより気分が悪いものですね」
そう言った彼の全身は雨に濡れていた。弓につがえた矢がギリギリと引き絞られる音が、全てが濡れた森でよく聞こえた。
それを見た二人目のランスロットはひどく驚いたような顔をして――いやもしかしたら本気で驚いて――同じように矢をつがえた。
「見た目に反して喧嘩っ早いんだよなあ、あいつ」
私の隣でハルが髪をかきあげた。それを横目で見てからランスロットに視線を戻した。
ため息をつく。
―――何をやっているんだか。
二人のランスロットが一際強く力を込め、ついに2本の矢が空を切り裂いて飛び出した瞬間。私もまた短剣を抜いて飛び出した。
すぐ近くでこちらに背を向けているランスロット――つまりさっきまで一緒にいたランスロット――の首根っこをつかみ、下に向かって思いきり引く。後ろ向きにバランスが崩れて、矢が方向を変えて飛んで行った。
そしてもう一人のランスロット――つまり今現れたほうのランスロット――が射た矢を短剣で叩き折る。
「どちらが本物か知りませんが…落ち着いてください。防御魔法がかかっているとはいえ万一のことがありますから。今から二人とも拘束して一緒にゴールに向かってもらいます。それで問題ないですよね」
すると、私の一連の行動にぽかんとしていた二人のランスロットが、二人同時に不服そうな顔をした。
片方は教師のはずなのだが。こういう風に言う生徒は毎年いるのだろう。両者これといった動揺は見られず、この揺さぶりは失敗だ。
ならこれはどうだろう。ごく自然に、淡く微笑んで口を開く。
「すみませんが我慢してくださいね、ランスロット様」
片方は、「ああ、わかったよ」と言った。
片方は、「何で、僕の名前を」と言った。
緊張が走る。ふ、と空気が緩んで、しまったというように表情を崩し苦笑いしたのは、先程現れたランスロットだった。
「偽物、見つけた!」
思わず満面の笑みになった私を偽物のランスロットが手招きする。近づくと木製の小箱を渡された。
「おめでとうお嬢さん。これは偽物を見破った褒美だ、どうぞ」
なんの変哲も無い小箱。しかしこの中にはある強力な魔法が一回分だけ閉じ込められている。この国では一般的な『使い切り式魔法具』だ。
小箱を大事にスカートにしまって、笑顔のまま教師にお礼を言おうとした。頭にぽんと誰かの手がのせられたのはそのときだった。
「おーナイス、ベス嬢」
ハルだった。
ビクリと体が震えた。突如体が強張って、急に気温が何度も下がったかのような寒気に襲われたからだ。
頭に手を乗せられたまま、体が指一本動かなかった。雨が強くなり始めた。木々が雫を浴びる音が急に大きく聞こえ、頭上で大きな鳥が旋回しているのを見た。自分が濡れた森に飲み込まれるような恐怖さえ感じたが、悪寒はそのせいじゃなかった。
ゆっくり首を動かす。ハルを見る。
いや、『ハル』を。
隣に立つ『それ』が突然ひどく異質に見えるのは、なんでだ?
私の頭にのった手も、鳶色の髪も、綺麗なその顔も。
―――どこも雨に、濡れていない。
「――ッ!?」
本能的に手を払いのけ距離を取る。『ハル』はへらへらと両手をあげた。先ほどまでと何も変わらない態度が逆にひどく不気味だった。
「おい、どうした?何かいたのか?」
声の主を見る。驚いた。本物のランスロットだけじゃない、教師であるはずの偽物の方も不思議そうな顔をしていた。
見えていなかったんだ!最初から、私にしか!
こいつは誰だ。もしかして、こいつは。
「一番『面白そう』なやつに会いに来たんだ。治癒魔法使いと迷ったけど、お前にしてよかったと今は思ってるぜ」
何故だろう。『ハル』の声が耳に入ってくればくるほど薬を流し込まれているみたいにグラグラしてくる。どうしてこんなに背筋が粟立つ?自分が保てなくなってきた。『ハル』がゆっくり近づいてくるのに対応できない。雨で顔に張り付いた自分の髪が気持ち悪い。
雨は激しさを増して、肌を打つ雫が痛いくらいなのに、それよりも頭上の鳥の声が、妙に気になる。
「気分悪いか?そりゃ魔力が弱い人間が大きすぎる魔力に当てられたとき出る拒否反応だ。…大小というより、純粋に相性が悪そうだけどな」
『ハル』が何を言っているのか、だんだんわからなくなってきた。きもちわるい。めがかすむ。あめが、つよくて。とりが。あれ、とりって、あれは…なんてやつだっけ?えっと、そう、たしか…
――――鷲?
「レベッカ!こっちだ!」
伸ばされた『ハル』の腕が私を掴み損ねるのと、どこかから聞こえた大きな声が私の意識を呼び起こしたのは、ほとんど同時だった。
暗い空と鬱蒼とした草木でわかりにくいが、すぐ左手は3.4メートルはありそうな崖だった。
その下に一人の青年が立っていた。
レベッカ。
雨にその髪を濡らし、両腕を私に向かって大きく広げながら、彼の唇はもう一度その形に動いた。
「あーあ残念、もうちょっとだったのに」
ちっとも残念じゃなさそうな『ハル』の声が聞こえた気がした。しかしさっきまでの恐怖は嘘みたいになくなっていた。
青年に、なぜ私の名前を、とは思わない。
深い深い群青の瞳。ただ真っ直ぐに私を見つめるそれを信じないという選択肢を思いつきもしなかったのだから、私は安心してその腕に飛び込むことができたのだ。