22
秋の眠りは心地良い。ぬくぬくのお布団にくるまる冬も素敵だが、この時期の眠りにはそれに勝るものがある。暑くもなく寒くもなく、眠りに適温すぎるのだ。
今朝もそんなお布団の中で目を覚ました私は――なんの躊躇いもなく素早くお布団から出た。
寝室のカーテンを開ける。
「あ!」
外の窓枠に一輪の花とメッセージカードが置かれている。最近はほぼ毎日のことなので慣れた動作で回収した。
実は最近殿下は忙しい。
仕事がなかなか終わらないらしく会う時間が取れないと連絡がきたのも、もう二週間は前のことだ。
その際、思いつきで返信にお菓子を送ることにした。片手間で食べられる一口サイズのタルトのセット。出会ったころに食べた私のクッキーが美味しかったと、以前言ってくれたのを思い出したからだった。
メッセージカードにお仕事お疲れ様です、休憩はとってくださいね、お体にお気をつけてなどと当たり障りのないことを書いて一緒に送った。
すると次の日返信と一輪のお花が届けられていたのだ。
「ありがとう。お陰で仕事が捗った。早くレベッカに会いたい」などと書いてあって顔がカッと熱くなった。
嬉しかったのでまたお菓子を作って返信をし、それ以来自然とやり取りが続いている。
私はメリンダの梟に頼んで殿下の部屋の窓に届けてもらっているのだが、殿下はおそらくグルーに頼んでいるのだろう。
今日のカードには、「パイ美味かった。ありがとう。レベッカからの差し入れがなかったらとっくに書類を全て投げ捨てるか燃やすかしている」と書かれていた。
今日も少し笑ってしまいながら大事に机の中にしまう。五歳の時から婚約しているのに今更手紙のやりとりをしている事実はむず痒いというかなんというか、頰が緩むのを抑えられない。
そうして身支度を整えに洗面所に向かったら、鏡に映った自分が思ったより気持ち悪い顔をしていたので、私は頬が緩むのを全力で抑えることにした。
朝食を食べに女子寮一階の食堂に降りていった私は、その真ん中で首を傾げた。いつもならすぐ見つけられる親友を今日は見つけられない。
すると後ろから制服の袖を引っ張られた。振り返れば、普段の三分の一も目が開いていないエミリアが立っている。
「おはようございまぁす……」
「おはよう、エミリア。今日はメリンダがまだなの」
「え? 珍しいですねぇ」
「ね」
二人で首を傾け合う。横から声をかけてきたのは同じ学年の女子生徒だった。
「メリンダ・キューイ様でしたら、昨日の午後体調不良で早退されましたよ」
「え!」
エミリアと二人、女子生徒にお礼を言い、食堂を飛び出して寮の階段を上っていく。食堂は一階で、メリンダの部屋は私の二つ下の階、四階だ。
扉を強めに叩きながら声をかけた。
「メリンダー? 私よ、レベッカ。具合はまだ悪いの?」
「メリンダさん、大丈夫ですかぁ?」
すると少し間があって、
「ええ、今日も無理そう。ごめんなさい」
そんな言葉が中から聞こえたとき、私とエミリアは顔を見合わせた。
――今のメリンダの声、変だった。
扉の前からさっとどいて場所を空ける。エミリアが当然のようにドアノブに手をかけ、「フンッ!」と鍵を破壊した。さすがゴリ、じゃない、何でもない。
扉から顔を覗かせる。メリンダはすぐ前の廊下に座り込んでいた。ぽかんとした彼女と目が合う。扉を壊されるのは初体験だろうか。私の世界へようこそ。
エミリアはそんなメリンダを気にした様子もなく、ずかずかと入っていってそばに腰を下ろした。
「話してくれないなんて水臭いですね。私たち友だちじゃないですか」
彼女らしいなと思いつつ、私もそれに倣う。勝手に入って近づいて、膝を抱えているメリンダの近くに一緒に座り込む。
「そうよ、メリンダはいつも私のことを助けてくれるのに、こんなときは何もさせてくれないなんて良くないわ」
そう語りかければ、真っ赤な目が私を見上げた。
お願いだから話してほしい。
「メリンダ、どうしてそんなに泣いてるの?」
既に一晩泣き続けたのだろう彼女は、再び顔をぐしゃりと歪ませてその両目に涙を浮かべた。
堰を切ったようにわんわん声を上げて泣き出しながら私とエミリアにがばりと抱きつく。
「う、ぐす、ぶ、ぶりーぼばまびゃ」
「メリンダごめんね、全然わからないわ」
「ゆっくりでいいですよ」
華奢な背中をさする。メリンダはこう見えて涙もろい。去年も子爵邸で飼っていたペットが亡くなったとかでわんわん泣いているのを見た。
「ぶ、ブリードざまがね」
「ああ、フリード・ネヘルね」
「ずっど、恋人なのに、婚約じようっで、言っでぐれないがら」
「そういえばそうですね」
相槌を打ちながら聞く。
メリンダは次の言葉を言うにあたって、これ以上ないくらい泣き腫らしていた顔を、さらに歪めた。
「私がら言っだら、『君ど一緒になる覚悟が、俺にはない』っで」
私とエミリアは無言で立ち上がった。あの黒いローブ男の元へ向かうためだったことは言うまでもない。
突然だが、王立貴族学園の男子寮と女子寮は、校舎群を挟むように対称的に位置している。よって一般的に男子生徒は朝の女子寮に縁がないし、逆もまた然り。
だから私も今日初めて知ったのだが、朝の男子寮というのは女子寮と同じくらい慌ただしい。
支度に異様な時間がかかる女性陣に対し、男性陣は根本的に起きるのが遅い諸君が多いのかもしれない。
そんな混雑した男子寮の中を、ガリガリと両手剣を一本引きずりながら歩いて行った。
エミリアはメリンダを一人にしたくなくて留守を任せた。
会う男子生徒会う男子生徒、みなその場で固まりあんぐり口を開けている。ある者は歯磨きの途中で、ある者はパンを片手に。奇妙なマネキンみたいだ。
食堂に到着した。目的の野郎はそこでのんきに朝食をとっていた。メリンダは食堂に来ることもできないというのに。
おかしな雰囲気にやっと気づいたのか、こちらを振り向いたその男に、わざわざポケットに入れて持ってきたものをぶつけた。
――――手袋だ。
「……は?」
「拾いなさい、フリード・ネヘル。ええそうです、決闘ですよ」
引きずってきた剣を彼の黒いローブの足元に投げてやる。私自身はワンピースの足下から短剣を取り出して構えた。
それを見た途端、沸いたのは周囲だ。
「決闘だ! 決闘だ!」
「ていうか殴り込みだ!」
「三強のレベッカ・スルタルクだ!」
「おい誰か! まだ寝てるやつ起こしてこい!」
どんどん集まってくる男子生徒たちで小さな輪が形成される。
さながら闘技場のリングのごときそれは、貴族の決闘や一騎打ちにおける暗黙の了解である。第三者は手出し無用。どちらも逃げられないよう周りを他の人間で囲む。
騒ぎを聞きつけ寮監もきたが、私の姿を認めると口をつぐんだ。三強の称号のおかげか、公爵家の力か、もしくは両方だ。
フリードは剣の扱いに長けているのを知っている。なのに剣を拾おうとしない。
相変わらず長いローブのせいで顔が見えないが、困惑しているような気がする。
「理由は……」
「あなたに個人的な恨みがあるので」
フリードがますます困惑するのがわかる。親友の名誉のため、「メリンダを振った」などとこの場で言ったりしない。
だが心当たりがあるのだろう彼は、バツが悪そうな顔をする――した気がする。おそらく多分、ローブの下で。
「では参ります」
「っ、待て」
腹が立ったので言うが早いか踏み込んだ。地面を強く蹴る。一瞬で距離が詰まる。流れるように短剣を振るう。フリードはのけぞってかわした。間髪入れず左の拳を顔面めがけてお見舞いする。
彼は後ろ向きに倒れるようにしてそれもかわした。そのまま両手を地面について飛びのき、一度私から距離をとった。
私たちの一挙一動に合わせ周りが歓声を上げる。今朝の男子寮は歴史に残る大盛り上がりだろう。
「待て、レベッカじょ――」
フリードが顔を上げ、すぐに目を剥いた。私の短剣がすぐ眼前に迫っている。ついに彼の手が剣に伸びて、私の剣を真正面で受けた。
刃と刃がぶつかり合う。拮抗してぎぎぎと低く音を出す。
「こっちにも理由が――」
「メリンダは泣いていました」
至近距離で囁けば、思った通り動揺がそのまま彼の剣に現れた。力任せに弾く。フリードがバランスを崩してどかりと尻餅をつく。
後ろ向きに倒れ、肘をついたフリード。ローブのフードがはらりと落ちる。その鼻の先に剣を突きつけて見下ろした。
「ちゃんと目が合ったのは初めてですね。初めまして、私レベッカ・スルタルクと申します」
初めて見た、黒いローブの下の素顔。澄んだ水色の瞳が印象的だった。それが揺れながら私を凝視している。
「メリンダ、が、泣いてる?」
「ええ、それはもう」
やはり知らなかったのか。メリンダのことだから、その場では気丈にも笑ってみせたのだろう。短剣に握る手にさらに力を込めた。
「何故メリンダの申し出を断ったんですか。一年も付き合っておいて、別の方との婚約までの繋ぎだとでも?」
「俺は彼女が大切だ!」
フリードは私の言葉に食ってかかった。目と鼻の先に、真剣を突きつけられているというのに。
「ならどうして」
なのにそう問いかけると何も言わなくなる。唇を引き結ぶのみだ。
「何か事情があるのか、存じ上げませんが―― 『幸せになってもらいたい』などと考えるのはやめてください」
見開かれた目が私を見上げる。
フリードがメリンダを愛していることなど知っている。私が二人を見かけるとき、メリンダはいつも幸せそうに笑っていて、フリードはそれをじっと見ているのだ。
おそらく、愛おしそうに。
一体どんな心情の変化があったのか知らないが、でも、そんなにメリンダを想っているなら。
「勝手に幸せを願うんじゃなく、自分で幸せにしなさい。死ぬ気で幸せにする努力をしなさい。この『すかぽんたん』が!」
フリードは目を剥いた。はあはあと息を荒くし、何も出てくる言葉がないまま視線を彷徨わせ、ばたっと上体を床に投げ出した。
戦意喪失とみなして剣をしまう。
「レベッカ・スルタルクの勝ちだ!」
「すげー! 自分よりデカい男に勝った!」
「ていうか『スカポンタン』ってどこの言葉?」
「さあ? でもいい響きだな」
男子生徒たちがどかんと沸くのを背中で感じながら、私はその場を後にした。
私もエミリアもメリンダも、今日は授業を全て休んだ。もう一人、メリンダの部屋を訪ねてきた身長百九十センチメートルの黒い男も、一時間目をサボることにしたらしい。
フリードと一緒にどこかに消えてから三十分ほどで戻ってきたメリンダは、なんと一足飛びに「近々結婚することになった」というニュースを抱えて戻ってきたので、私とエミリアは度肝を抜かれた。
その後学園で『スカポンタン』という言葉が流行した。
母さまに教えてもらったこの言葉は確か『阿呆』とか『間抜け』という意味だったのだが、『男気のない男性を詰り剣を突きつける際使う言葉』というひどく限定的な意味で定着した。
この言葉を最も意味もなく多用したのはエミリアであり、「スカポンタンスカポンタン」と口癖のように言った彼女のせいで、数人の男子生徒が流れ弾的に心に傷を負った。




