21
二学期が始まった。
ぼちぼち『秋』のため準備をしないといけないが、そんなことはどうでもいい。
『秋』は一次選考に通過しないと発表の権利を得られないので気張らないといけないのだが、そんなこともどうでもいい。
サジャッドは『夏』の場外乱闘のあと教師に見つからず逃げおおせたらしいが、それもどうだっていい。
何故って、私たちの間には今、空前絶後今までで最大級の事案が持ち上がっているからである。
エミリアに春が来たのだ!
というわけで私たちは女子寮のエミリアの部屋に集まり彼女の話に耳を傾けている。夜が更けてきたが明日は休日だ。
「そしたら、力が抜けてしまった私をガッドが支えてくれて……」
「きゃー! すごいわ! すごい!」
「ええ、恋愛小説のヒーローみたい!」
お相手はもちろんガッド・メイセン。
第一部から彼の片想いを傍観していた私としても感慨深い。
エミリアがクッションを抱きかかえ、もじもじしながら先日の『夏』の出来事を語っている。メリンダは大興奮だ。
私は実際見たことなのだが、エミリアの口から語られているとまた違った面白さがある。
何より、銀髪から覗く耳を真っ赤にさせているエミリアが可愛い。
「えっどうする告白する!? だってガッド・メイセンって絶対エミリアのこと好きでしょ!」
「間違いないわね」
メリンダが座ったまま上下に飛び跳ねて言う。
私も頷いたが、エミリアはもはやアルマジロみたいに丸まりながら消え入りそうな声を出した。
「告白とかは……あっちからがいいなぁ……」
「可愛い!」
「可愛い!」
メリンダと二人でエミリアを撫でこする。恋する乙女がこんなにも愛らしいとは。
エミリアは小型犬のように愛でられても抵抗する余裕がないらしい。
「じゃあデートに誘うべきだわ! そしたらあっちから察して告白してくれるでしょ!」
「や、やってみます……!」
メリンダは握り拳を作り、エミリアががばっと立ち上がる。
そうと決まればどう誘うか、何に誘うか、いつ誘うか、何を着ていくか。決めることはたくさんある。
結局私たちが倒れ込むようにして眠ったのは、その日の明け方だった。
一週間後の朝、エミリアが学園にある噴水の前でガッドを待っている。緊張からか膝を擦り合わせている彼女。
女の子らしいワンピースとチェーンのハンドバッグが、華奢な体によく似合っている。
うん、ばっちり。文句なしに可愛い。
私はといえば、殿下と二人、そんな彼女を少し離れた場所から見ていた。
「メイセン様、来ませんね……」
まだ待ち合わせの十五分前だからいいけれど、今日も日差しが強い。でも雨や風はなくてよかった。
「レベッカ、来たみたいだ」
殿下は今日も今日とて当たり前のように私の腰に手を回している。
サラッとしたシャツと細身のパンツというシンプルな格好を、持ち前のスタイルで完璧に着こなしている彼は、正直眩しすぎてさっきから直視できない。
エミリアに視線を戻すと、走り寄るガッドが遠目に見えた。本来話なら聞こえるような距離ではない。
殿下は今日、自分の集音の魔法を使えばいいと言ってついてきてくれていた。これまた高等魔法である。
そもそも何故私がエミリアにストーカーまがいのことをしているかといえば、エミリア本人に頼まれたからだ。
勇気を出してガッドを王都デートに誘った日、エミリアが「頼むからついてきてくれ」と言うものだから、私とメリンダは腰を抜かした。
普通逆だ。「ついてこないでよ」だ。
一気にボルテージが上がったメリンダだが、デートの日にちを聞いて天を仰いだ。フリード・ネヘルとの先約だそうだ。
というわけで今日は私と殿下の二人。これならむしろ都合がいい。
何故なら今日は攻略本を持ってきたからだ。『ガッドルート』の『デート&告白イベント』を参考にするためだ。
殿下の集音魔法のおかげで、二人の会話がまるですぐそばのことのように聞こえる。
『ごめん、待たせちゃったね』
ガッドがエミリアに言い、
『いいえ、私が早く着きすぎてしまったんです。楽しみで!』
エミリアが答えた。攻略本を確認する。
私は思わず拳を握りしめた。大正解である。まさに攻略本に書いてある通り会話がスタートした。
じゃあ行こうか、とガッドが言い、二人が歩き出した。隣で殿下が首を傾げる。
「今のが正解なのか?」
「ええ、模範解答です! 私たちも行きましょう!」
デートコースはエミリアが事前に教えてくれている。まずは観劇の予定だが、時間があるのでお茶屋さんに寄るようだ。
私たちは二人から離れたところに座った。再び会話に耳をそばだてる。
『ケーキたくさんあるね。エミリアさん、チョコレートとチーズとフルーツならどれが好き?』
殿下と一緒に攻略本を確認すれば、これも好感度の上げ下げを伴う会話だった。
『チョコレートも、チーズも、フルーツも好きですが……チーズが一番好きですっ』
「よし……!」
「よく当てたな」
「多分三つを全て口に出してみて、メイセン様の反応で察したんでしょう」
「末恐ろしいな」
殿下の言葉に頷く。さすがは真のヒロインだ。申告では初恋なのに駆け引きが上級者のそれだ。
順調な展開を見せる二人のデートに胸をなでおろしていたら、殿下が私の前にメニューを広げた。
「何が食べたい?」
「あっえっと……。こっちか、それかこっちにします」
「両方頼んで半分にするか」
「いいんですか!」
目を輝かせて店員さんを呼ぶ。
試しに殿下は何がお好きですかと聞いたら、レベッカの作るお菓子が一番美味しいと、至って普通の顔で言われた。さすがは真の王子だ。
甘いもののあと出された紅茶についついほっこりしていたら、気づけばエミリアとガッドが店を出たところで、慌てて店を後にした。
次は観劇。エミリアはわざと前の方の席を取ってくれたのだろう。安心してその少し後ろに座る。
二人が入った劇場に入っただけなので、席に着くまで題名を知らなかった。垂れ幕に書かれているそれを見て絶句する。
私の様子に気づいた殿下が、垂れ幕に視線をやったのがわかった。
「『スプラッター殺人鬼vs首締め幽霊3』……」
「……エミリア……」
なんてものを選んでるんだ。確実に初デートで見る代物ではない。
シナリオで主人公エミリアはハートフル冒険活劇『ポチのフアバードン一周』を見たいというはずなのに、どういう心境の変化なんだろう。いや、それはそれであまり面白そうではないが。
逃げようかと思ったがもう席を立つことができない。
私は一時間半の大部分を、殿下の腕に顔を埋めて過ごす羽目になった。
途中、殿下が耳打ちしてくる。
「レベッカ、ガッドは怖い物好きらしい。明らかに楽しんでる」
「エミリアと相性ばっちりですね……」
殿下は決して劇を見ようとしない私を哀れに思ったようだ。優しく話しかけてくる。
「そんなに怖がらなくて大丈夫だ。赤いのは血糊だし、演じているのはただの人だし、死体はきっと布製だ」
「……」
「なあレベッカ、今の場面は怖くないから顔を上げてみないか」
恐る恐る顔を上げる。ちょうど、首締め幽霊に締め上げられた人が爆裂死するシーンであった。
何も言わず定位置に戻る。笑いをこらえきれず震えている殿下の腕を割と本気で叩く。
「バカ、バカ………」
「悪かった」
ついにくすくす笑いだした殿下は、多分周りの人からすれば、ホラーを鑑賞して笑っているヤバいイケメンだ。
体感三時間の一時間半を終えて劇場を出る。体力を削られたのは四人中私だけらしい。エミリアとガッドなんてむしろツヤツヤしている。
エミリアは『肝試し』のとき失神していたが、キャーキャーいうのが好きなタイプなんだろう。
疲れ切った私の代わりに殿下がエミリアとガッドのことを目で追ってくれていた。繋がれた手に引かれ、のろのろと足を動かす。
「二人が店に入った」
「えっ!」
それは次の分岐点だ。
ここまで順調に好感度を上げることができている場合、可愛いアクセサリーを見ているだけのエミリアに、ガッドが何か買おうとする。
しかしそれは固辞しなければならない。ちゃんと断ると、デートの最後でサプライズプレゼントを貰えるからだ。
「さすがにお店に入るとメイセン様にバレちゃいますよね。殿下、集音できそうですか?」
「いや、ガラスが厚い上に人通りが多い。難しいな」
「わかりました。外で待ちましょう」
殿下が買ってくれた冷たい飲み物を二人で飲んで、首締め幽霊の正体について話し合いつつ待つこと十分。
「あっ殿下、出てきまし――」
スキップするように店を出てきたエミリアの右手に目が吸い寄せられた。
どう見ても、お店の紙袋である。
「か、買ってる!」
「買ってるな」
殿下が集音の魔法を再開した。店を出て歩いて行く二人の会話に聞き耳を立てる。エミリアの機嫌のいい声が聞こえた。
『ふぅ、いい買い物しましたー! 次はどこに行きましょうか?』
「しかも自分で買ってる!」
私は慌てた。好感度を維持しないとデート最後の告白に響いてしまうはずだ。でも自分で買うならいいんだろうか。別にガッドに迷惑はかけてない。
今日一日で初めてはらはらしながら、暗くなってきた道を進む二人を追いかける。
時間帯的にもデートコース的にも、次の場所が最後で間違いない。
着いたのはロマンチックなのに人がいなくて穴場らしい、教会前広場だ。
ベンチに座った二人に合わせ、こちらも離れたところのベンチに座る。
『今日、すっごく楽しかったよ』
『私もです!』
笑い合う二人。
殿下と攻略本を広げた。この後ちょっとしたハプニングが起きるようだ。小さな羽虫がエミリアにぶつかりそうになるという。
驚いたエミリアは「きゃっ」とガッドにくっつく。それをきっかけに良い雰囲気になって、ガッドが告白してくれる。糖度120%である。
ガッドの告白は「前から、言いたかったんだけど」から始まるらしい。
これが聞こえたら盗み聞きはやめて、先に学園に帰ろう。
そう思った矢先。
『あ、虫――』
ガッドの声で顔を上げた。殿下もそちらに視線をやったのがわかった。
私たちの視線の先でエミリアが、飛来した小さな羽虫に驚く――――
ことはなかった。
『あ、ほんとですねぇ』
その右手が素早く宙を切る。
彼女は平然と、虫を素手で捕まえた。
そしてゆっくり手を開くと、穏やかな微笑みを浮かべ、ふわりと空へ送り出した。
『さ……腐海へおかえり』
私は口をぽっかり開けた。我慢できなかったらしく、隣で殿下が吹き出した。
今なにが起きたんだ? エミリアは何のモノマネしたんだ?
私同様呆気に取られていたガッドが、一足先に我に返る。
『む、虫平気なんだね』
『ええ。都会って虫が苦手な方多いですよね。あんなんでどうやって生きているのかよく不思議になったものです。私は地方育ちだったもので』
頭を抱えた。あの子は何を言ってるんだ。生まれも育ちも王都だとこの前言っていなかったか。
いてもたってもいられなくなって立ち上がった。しかし耳に飛び込んできたのは、ガッドの思いも寄らない言葉だった。
『……そういうところも好きだなぁ。前から、言いたかったんだけど――』
こ、告白始まった!
エミリアから全力疾走で遠ざかっていった正規ルートが、ものすごい強引さで引きずり戻された。
開いた口が塞がらない私の手を殿下が引いて立ち上がった。
未だに笑いが治らないらしい彼は適当に道なりに沿って進んでいって、最初に見つけたベンチに改めて腰を下ろした。
「っふ……くく……」
「殿下、笑いすぎですよ……」
「レベッカの百面相が……っ、ふ、」
まさかの私のことで笑っていた。
恥ずかしまぎれにじとりと睨む。殿下は悪かったとばかりに両手を挙げ、人が少ないのをいいことに私を抱き寄せた。上機嫌である。
「今日、楽しかったな」
その口ぶりで、一日思っていたことを尋ねる気になった。
「殿下、もしかして今日はエミリアとメイセン様のデートを見に来たんじゃなくて、私とデートしに来たんですか?」
「もちろんだ」
即答である。思わず笑ってしまった。
「私も楽しかったです。次は普通の劇を見ましょう」
私は殿下に手を引かれて立ち上がり、ガッドとエミリアも帰る頃かなと思いながら学園へ帰った。
寮の自分の部屋に帰って少しすると、部屋に誰かがやってきた。ドアを開けた瞬間銀色が飛び込んでくる。
「レベッカ様、ガッドと恋人になりました!」
「そうでしょうね、よかったわ」
一時はどうなるかと思ったけど。その言葉を飲み込んだ私にエミリアが何かを差し出した。
まじまじと見つめて驚く。輝くような笑顔と一緒に渡されたのは、エミリアが途中で買っていた紙袋だった。
開けてくださいと言う無言の圧力に押されて開けると、中にはラベンダー色に銀色の刺繍が可愛いハンカチが入っていた。
「今日はついてきてくださってありがとうございます! レベッカ様大好きですっ!」
抱きついてきたエミリアを受け止めてから、やっと私へのプレゼントだと気付いた。
「私も大好きよ」
珍しくエミリアに負けず劣らずの力で抱きしめ返す。良い親友を持ったものだ。




