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ほんの少しだけ顔を出して教室を覗き込む。
ガッド・メイセンが、一歩一歩踏みしめるようにして教室に入っていく。彼はエミリアを庇うように二人の間を割って立った。
「あと一度でもこの人を侮辱したら、俺は貴様を切り刻んで海に捨てる」
ひゅ、と喉を鳴らしたのはエミリアだ。ガッドの言葉は、ただの脅しではなく必ず実行されると思わずにいられない凄みがあった。
サジャッドも突然現れたガッドに怯んでいた。それでも、その場に現れた「貴族」であるガッドの手前、取り繕ってその場を後にする――――。
そうすると思っていた。私の予想は大きく外れた。
サジャッドは猫を被りも逃げもせず、ただ力の限り吠えた。
「騎士気取りか、立派なことだ! エミリア、男に守られるお前はやはり、汚い平民の売女だなッ!」
刹那、ガッドが腰の剣を引き抜いて、サジャッドを殺す気で振り下ろした。それがわかるくらい容赦のない一撃だった。エミリアが短く悲鳴を上げる。
しかしサジャッド・マハジャンジガも、少なくとも去年は実力で五高の称号を勝ち取った男だ。切りかかられることは予想していたのだろう。
素早くのけぞり、身を翻してかわし切った。
「俺はな、エミリアッ! お前が三強の『忠臣』だから近づいたんだよ! そうでもなければお前みたいな、下賎な平民などッ!」
血を吐くようなその叫びを聞いたとき、私の頭を疑問符が支配した。
――――どうして。
それは半年後の舞踏会で言うはずのセリフだ。
何故今出た? まだ言うはずのないセリフをサジャッドがここで口にした。この事実は何か大きな意味を持っている気がした。
「まだ言うかッ!」
ガッドの声で思考から引き戻される。その手が雷を纏い、一閃が走ってサジャッドを襲う。サジャッドは手近な机を盾にして防いだ。
その一撃の威力たるや。机が大破したのを見て戦慄した。
ガッドは今一時的に魔力が昂っている状態だ。これ以上ヒートアップすると死人が出かねない。
私が間違っても流れ弾に当たらないよう、殿下が一歩踏み出した。
このレベルの戦いを止めるなら殿下が出ざるを得ない――まずい。
しかしそんな空気を、よく通る声が打ち壊した。
「いいかマハジャンジガ、よく聞け! エミリアさんは貴族の庇護など必要としてない! ましてや貴様などいらない! 何故かわかるか!」
教室を覗く。そのときやっと気がついた。
沸騰した魔力といい容赦ない攻撃といい、ガッドは怒りに我を忘れているのだと思っていた。
でも違う。
だって、ガッドはさっきから一歩も動いていない。
エミリアを守るためサジャッドに立ちはだかった場所から、一歩たりとも。
「強い女性だからだッ! 自分の足で立てるからだッ! 生き方を決められるからだッ! 血しか取り柄のない貴様と、一緒にするなぁッ!」
ガッドが全身全霊でそう叫んだとき、エミリアは口を開けて、自分のために怒る男の後ろ姿を見ていた。
そしてそのまま力が抜けたようにかくんと膝から折れた。
「エ――」
つい親友の名前を呼びそうになる。後ろから伸びた手が私の口を塞いだ。
「レベッカ、教師が来る。行こう」
殿下が囁く。これだけ派手に戦えば誰かしら気づくとは思っていたが、教師がこの場を収めてくれるならそれが一番だ。
エミリアはまだそこにいるけれど――でも、ガッドがいるなら。
「……はい」
頷いた私を殿下が抱き上げる。音もなくその場を離れ、階段を降りていく。
たまに近くの教室に一旦入ったりしているのは、集まってくる教師をかわしているんだろう。
立ち入り禁止の校舎であのような決闘を演じては、ガッドに対する教師陣からの評価は下がるかもしれない。
でもエミリアがそのことで謝るとき、彼はそれを笑い飛ばすのだろう。きっと「あなたの役に立てたならそんなことはどうだっていい」などと言いながら。
「メイセン様、大成するでしょうね」
殿下の首にしがみついたまま呟いた。
「ああ。王宮にほしい」
「あ、いいですね。伯爵家の次男ですし。卒業したらスカウトしましょう」
本気で話し合いながら目を閉じる。ガッドが最後にサジャッドに叫び返していた言葉を反芻する。
あのとき、本当に胸がスッとした。
私と殿下が見ていたことは知られたくないから、ガッドに直接お礼を言える日は来ない。
だから代わりに心の中でお礼を言った。
エミリアのために怒ってくれてありがとう。私の代わりに言い返してくれてありがとう。サジャッドを言い負かしてくれてありがとう。
まあ欲を言えば、一発くらいサジャッドの顔面に拳を入れてくれてもよかったと思うが、それは外野のわがままである。
中庭に戻ると、第一学年の時間はまだたっぷり残っていた。教員がサジャッドを押さえている今なら楽しく回ってもいいはずだ。
私は『春』で少し話したハンナ・ホートンの白いウサギが気に入った。
白いぴょこぴょこした耳を撫でていたら、ハンナが「私もお願いできませんか」と言い出したのでそれは少し引いた。
殿下はブライアン・マークの子ライオンに興味を示していた。
「できる限り大きく育てろ」と第一王子直々に命令され、ブライアンが隠しもせずめんどくさそうな顔をしていたのが面白かった。
巨大化する能力を持ったグルーといい、殿下は大きい動物に惹かれる少年の心をお持ちである。




