15
私は兄さまのエスコートで夜会が行われているホールへ向かった。
中に入ると視線が集まる。殿下の婚約者という立場は何かと目立つのだ。このくらいは慣れたものなのでどんと来いである。
すぐ殿下を見つけた。私のことを見て、いつものように少しだけ目を細めて笑ってくれている。
そのそばに行こうとした。でも貧血でよろめいた令嬢を見かけた。
近づいてみれば可愛らしい子で、まだ学園にも入学していないような年頃に見える。
可哀想に、こんな子もコルセットで縛られるなんて。児童虐待には当たらないのだろうか。
義憤に駆られながら介抱しようとした私の肩に、誰かの手がポンと置かれた。
「レベッカ」
「兄さま?」
見たことがないほど静かな表情で、兄さまはゆっくりと首を横に振った。
「もうやめてあげなさい。『オーバーキル』だ」
あ、懐かしい、その言葉。母さまがよく使っていた。意味は確か過剰なまでに相手にダメージを与えるとかそんな感じ。
今は誰とも戦っていないので首を捻る。
「その令嬢は俺がお連れしよう。では、第一王子殿、妹をよろしく頼みますよ」
兄さまがよそ行きの顔で殿下に右手を出す。
「ああ。急な頼みを聞いていただいたこと、感謝する」
殿下が応えてその手を取った。
みし……っ! と、およそ握手とは思えない音がしたのはそのときだ。
見れば、両者手の甲に筋肉の筋が浮かび、どう考えても互いの右手を粉砕しようとしていた。私は「ひっ」と声を漏らした。
こめかみにも青筋を浮かべて、それでも笑顔を崩さなかった兄さまが、体調不良の令嬢を伴って退出した。
「殿下、右手は無事ですか?」
私は聞こえるか聞こえないか怪しいほどの小声で殿下に話しかけた。一時的に血流が止まったのか、彼の手は白くなっていた。
「ああ。ヴァンダレイと握手するときは骨を折るつもりでいくのがコツだ」
「どうして……」
「初めて会ったときの握手で実際折られたんだ。まあこちらも折り返したんだが」
「だからどうして」
家に帰ったら兄さまを問い詰めなければ、と考えていたとき、はたと気づいた。
かなり緊張して夜会に臨んだはずだが、気づけば力が抜けている自分がいる。
二人は私をリラックスさせるために一芝居打った――わけではないだろう。違うな、うん。
ともかく揃ったので国王陛下と王妃殿下に挨拶しに行って、あとはひっきりなしに話しかけてくる人たちとの歓談だ。
侯爵家、伯爵家、伯爵家、子爵家――ゴウデス侯爵もいた。キャランのお父さんだ。
途中でふと目線を上に奥にやったら、壁のそばに立っているフリード・ネヘルと目が合った。さすがの彼も今日はあの真っ黒なローブを脱いだようだ。
おそらくまた殿下から私の警護を頼まれているんだろう。
そういえばメリンダが「フリード様最近そっけない」とぼやいていた。仕事が増えて疲れているのかもしれない。
若干の申し訳なさを感じていたら、後ろから声をかけられた。
「ルウェイン殿下、スルタルク公爵令嬢、ご機嫌うるわしゅう。いやはやお二人ともまさに宝石のような美しさでいらっしゃる」
殿下が私の腰に回している手に力を入れた。私も内心警戒を強める。
そこにいたのはマハジャンジガ子爵。サジャッド・マハジャンジガの父親。実物を見るのは初めてだ。
笑顔で一礼する。だがもしも許されるのなら、私は不可解さを全面に表したいと思った。そのくらい意外だった。
――――この男が、サジャッドの父親?
彼の父親として想像されるのは、スマートで外面はよく腹は真っ黒な男だ。だが実際の子爵は、私と殿下に揉み手する小柄な男だった。ゴマスリが露骨で情けない。
そのギャップが妙に引っかかる。
だってサジャッドは父親に逆らえないから、シナリオでは主人公エミリアを洗脳し、現実では私を攻撃しているはずなのだ。
漠然とした違和感は、次にゾフ侯爵が話しかけてきたことで一旦頭の隅に追いやられた。
今はこの夜会での振る舞いを成功させることに集中しなければ。
夜会は真夜中まで続き、私は最後まで殿下の隣で婚約者としての役割を全うした。
帰り道、公爵家別邸まで馬車で私を送ってくれた殿下が、「夜会の間言えなかった分」と言って怒涛の褒め言葉をくれ大変だったのは余談である。




