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王宮の巨大ホールの真ん中で、一人の女性が貴族令息たちに囲まれていた。
彼女は名前をアデラ・モーティマーという。十四歳ながら次代「社交界の花」と呼び声の高い伯爵令嬢だ。
あちらこちらから勝手に集まってきた男性に囲まれながら、彼女は誰にも気付かれないようこっそりため息をついた。
(人の顔を見てみっともなく鼻の下をのばす男たちにはうんざり)
蜜蜂に群がられる花というのはこういう気分なのだろうか。アデラはもはや辟易としている気持ちを抑えるのを煩わしく思うほどだった。
(私に似合うのは、もっと――)
さりげなく周りを見渡せば、目的の人物は国王陛下と王妃殿下の隣にいた。
彼ほど美しい男は見たことがない。あの均整が取れた体躯も、王子らしい金色の髪も、ラピスラズリみたいな群青の瞳も、全てが理想的だ。
――ルウェイン・フアバードン第一王子。
彼が王族専用の場所から席を外したタイミングを狙って、アデラは男性たちをいなし、彼の元へ向かった。
「ルウェイン様、ごきげんよう」
おっとりした感じを意識して声をかければ、王子はこっちを振り向――かなかった。聞こえなかったようだ。
軽く咳払いする。王子が何一つ読み取れない表情でアデラを見下ろした。
「――初めまして」
「嫌ですわルウェイン様、先日もお会いしたばかりですのに」
声まで完璧だ。アデラは王子の冗談にくすくす笑った。
今夜の王子は夜会でしか見られないタキシード姿だ。
色は黒が一般的だが、彼はグレーのものをよく着ているのを知っている。上品でシンプル、高級感のある意匠が、彼本来の魅力を際立たせている。
「ルウェイン様――」
「悪いが時間がないので。失礼」
アデラは唇を尖らせた。相変わらずつれない王子だ。これは彼が『冷たい美貌』と評される所以だった。
しかし突き刺す氷みたいな視線も、絶対零度の態度も、彼のものなら好ましく思える。
「もう少し――」
そのときだった。王子は急にホールの入り口へ視線を走らせた。一拍置いて入り口が開く。
また一組出席者が増えた。それだけのことのはずだ。
しかし様子がおかしいのは王子だけではなかった。
巨大なホール全体に波のようにざわめきが広がっていく。男性も女性も関係なく王子と同じ方を見つめて、口々に囁き合う。
――あれは、誰だ。
――なんて美しいの。
――知っているか?
――隣にいるのは、スルタルクのせがれでは。
――そうか、なら彼女が。
――ああ、公爵が大事にしまい込んでいた――
――『スルタルクの宝石令嬢』。
アデラは一変した空気についていけず動揺した。たった今入ってきた人物によって、ホール全体の雰囲気が塗り替えられてしまったのを肌で感じた。
もう誰もアデラを見ていない。
ルウェイン様。アデラは困ってしまって、王子に声をかけた。
そして自分の目を疑った。
王子はアデラの存在などとうに忘れ、ただ一心に『スルタルクの宝石令嬢』を瞳に映していた。
笑顔なんて知らないはずの口元が緩く弧を描いている。今ならとても「冷たい美貌」なんて言われるはずがない。
『恋に落ちた瞬間の人間』というものを、アデラはそのとき初めて見た。
それも、同じ人に、何万回目かの恋だった。
絶句したアデラはやっと入り口の方を振り向いた。
まず目に入ったのは、長身のスルタルク公爵令息だ。
茶色の髪の毛を後頭部で一つにまとめ、前髪が一部後ろに流されて、普段見えない額が見えている。
文句なしの色男。半年ほど前彼が侯爵令嬢と婚約したとき、アデラはショックだった。
その陰から一人の女性が姿を現す。
身に纏っているドレスは足元が淡い水色で、上に行くにつれて深い青色になる見事なグラデーション。
さらに金色の流星のような刺繍が全体的に散りばめられている。まさにルウェイン王子の色だ。
下から目線を持ち上げていくようにして、ついにその顔を目にしたとき、アデラの心はぽっきりと音を立てて折れた。
陶器よりも滑らかな白い肌、ほんの少し赤みが差す頬、熟れた果実より魅力的な唇。
伏した瞼を長いまつ毛が飾り、そのそばに控えめな泣きぼくろが一つ。
髪は黒い真珠を思わせるほど艶やかで、両耳と首元には、アデラの家が財産の半分をはたいてやっと買えるような宝石がいくつも、当たり前のようにぶら下がっている。
彼女が顔を上げた。アデラの横にいる男を真っ直ぐに射抜く。
その瞳が透き通った灰色であることを知った瞬間、アデラは膝から崩れ落ちた。
『敗北』。その二文字がアデラの心を支配する。
しかしあろうことか、アデラの負け試合はそこで終わらなかった。
「あの、どうかされましたか? お怪我は?」
鈴を転がす声のお手本みたいなそれに顔を上げれば、目の前には件の令嬢がいて、アデラに手を差し出しているではないか。
アデラは唇を戦慄かせた。王子に向かってしずしずと歩いていたはずのその女性は、なんと王子よりも先に、その横で座り込んでいたアデラに話しかけたのだ。
しかも彼女が何故かアデラに顔を寄せ始めたから、アデラの脳内は混乱を極めた。
訳がわからずギュッと目を瞑る。「どうしよう」と「めっちゃいい匂いする」しか考えられない。
近づいてきた唇はアデラの耳元で止まった。
「わかります、コルセット苦しすぎて貧血になりますよね。立てます?」
アデラはカッと目を見開いた。それから後のことは記憶が朧げだ。
まともに思い出せるのは、「とにかくファンクラブに入らせてほしい」と強く思ったことだけである。




