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王立貴族学園には年に二回『テスト』がある。春夏秋冬の『行事』程ではないが称号の審査に影響する。
今年は六月終わりに行われるので、あと二週間くらいだ。
というわけで今日は殿下と二人でお勉強会である。
数日前に殿下から受け取った手紙。まさかガッドとの『事故チュー』未遂が知られているのかと肝を冷やしたが、蓋を開けてみれば一緒に勉強をしよういう誘いだった。
場所は校舎の『特別談話室』だ。ちょうど一年位前にも一度だけ殿下と使ったことがあって、懐かしさがある。
実は殿下と一緒に勉強するのは今日が初めてだ。学年が違うから授業が一緒になることもない。
だから楽しみにして来た、のだが。
「…………殿下」
「なんだ?」
「お勉強なさらないんですか……?」
殿下は教科書を広げるどころかペンも手にしていない。代わりに、勉強している私を眺めたり、私の髪を指で弄んだり、私のノートを興味深そうに読んだりしている。
おかげでさっきから教科書の内容が一つも頭に入ってこない。
「殿下、今日は二人でお勉強をしようというお話でしたよね?」
「いいや、今日勉強しに来たのはレベッカだけだ。俺はレベッカに嫌がらせをするために来ている」
「ええ!?」
ばっと顔を向けると、彼はにこりと笑う。
私といる時以外無表情の彼にしては珍しい表情だが、「かっこいい」より「あれ、まさか」が勝った。
「どこかの男とキスをしそうになった婚約者への嫌がらせだ」
――――バレてるぅ!
心の中で叫んだ。いや何でだ。エミリアには言ってしまったが、メリンダにも言っていないのに。
考えてみたら、殿下はいつも公務の合間に勉強を済ませている。わざわざ時間を取ってはしない。
今日の殿下の趣旨は、勉強する私にちょっかいをかけることだったのだ。
「……殿下、この問題を教えてくださいませんか」
「……これは――」
でも聞けばしっかり教えてくれる。綺麗な横顔を見ながら「やっぱり優しいな」という感想が浮かんだ。あとまつ毛が長い。
殿下の説明を一通り聞き終わると、お礼を言ってから教科書を閉じた。
不思議そうな顔をする彼に、鞄の中から一冊の本を取り出してみせる。表紙に『マル秘マーク』のついた、例のアレ。
攻略本である。
「殿下、今日は一緒にこれを読む日にしませんか」
「俺が読んでもいいのか?」
「もちろんです」
話はしたが見せたことはなかった。
去年の舞踏会で全て話した私を、「一人でよく頑張った」と抱きしめてくれた彼なのだ。今更見られて困るものはない。『事故チュー』のこともバレていることだし。
そこでふと思いつく。
――第一部を殿下と二人で見返したら、すっごく面白いんじゃなかろうか?
俄然わくわくしてきて、私はページをめくった。第一部の『ヴァンダレイルート』を開く。攻略本を抱え込んで殿下から隠す。
「殿下、三択クイズです! 兄さまからの好感度が一番高くなるように答えてくださいね」
それを聞いた殿下はぷはっと吹き出した。肩を震わせ下を向いて、おかしそうに笑っている。
もっと見たくて顔を覗き込んだ。こっちまでにんまりしてしまう。
「交代に出題しましょう!」
「わかったわかった、やろう」
私は楽しくなってしまって、笑いの混じる声で出題を始めた。
「第一問。入学して二日、移動教室で迷ってしまった『殿下』。第三学年の――」
「レベッカ待て」
「校舎近くに来たところ、攻略対象ヴァンダレイ・スルタルクに――」
「レベッカ、待ってくれ」
顔を上げると、殿下は笑いすぎて目尻に涙を浮かべていた。
「頼むから『あなた』か何かに置き換えてくれ。『殿下』はやめてくれ」
はい、と返事をしながら、その珍しい姿を目に焼き付けた。普段は人前で微笑んだだけで周囲がざわつくような人なのだ。
この笑顔を引き出しているのが自分である事実に不思議な気持ちになった。
「では――入学して二日、移動教室で迷ってしまっ『あなた』。第三学年の校舎近くに来たところ、攻略対象ヴァンダレイ・スルタルクに声をかけられました。どう返事をする?」
一度言葉を切った。解答は選択肢式にしようか。
「一、『もしお時間があったら道案内をお願いできませんか?』 二、『とってもかっこいい馬ですね! 乗ってもいいですか!』 三、『もしかして第一学年に妹さんがいらっしゃいますか?』」
「三だな」
殿下は間髪入れずに答えた。私は口を尖らせた。
「三は絶対だめですよ」
シナリオの私は悪役令嬢だ。兄妹仲は最悪。初対面でその話はアウトだろう。
「でも三だ」
殿下はこればかりはしょうがないと言わんばかりに頷く。クイズでも自分は曲げないらしい。
さすが第一王子である。まあ不正解だけど。
「一番いい答えは二みたいですね……」
「それはそれでどうなんだ。迷っているんじゃなかったのか」
「ええ、本当に……エミリアったら……」
親友を頭に思い浮かべた。兄さまの愛馬を前に、「良い馬ですねぇ」と唸っているところまでは容易に想像できた。
「次は俺が出そう」
殿下が私から攻略本を受け取り、ぱらぱらとめくる。一緒に覗き込んだ。
「誰のルートにするんですか?」
「俺だな。一番興味がある」
「勇敢ですね!」
殿下は問題にするところを探すべく文字に目を走らせた。
そしてぽつりと呟いた。唇から自然にこぼれ落ちたみたいな言葉だった。
「良い母上だな」
一瞬息を忘れた。胸から何かが溢れてくるような心地がして、目の奥が熱くなった。
それくらい嬉しかった。
「……そうでしょう? 私にはもったいないくらい愛をくれました」
「そんなことはない」
殿下が顔を上げる。攻略本を自分の膝に置き、代わりに私の手を取る。
「この本にはレベッカへの気持ちが詰まっている。良い娘を持って、さぞ幸せだったんだろう」
殿下の手を握り返した。温かい。ずび、と鼻をすする。
私は今クイズをしていたはずだ。なんで泣かされてるんだろう。さすが第一王子である。
「……殿下、クイズ」
「……第一問。『ルウェイン』からの好感度が一番高くなるように答えてくれ。夏季休暇に入ったら、一緒にスルタルク公爵家領に帰って、義母上のお墓参りをしないか。どう答える?」
「……三択は?」
「ないな。レベッカの好きなように答えてくれ」
本当に私に甘い人だ。
私は涙を拭って微笑み、答えた。
「母さまも、喜びますね」
殿下の手が私の髪を耳にかける。私は少しだけ首をかしげて上を向き、目を閉じた。
正解のご褒美かもしれない。
涙が乾いた頃、私はあることに気がついた。
私を後ろからぎゅうぎゅう抱きしめる殿下をそのままに、攻略本の『事故チュー』イベントのページを開く。
改めて読んでも、やはりこれは『ご褒美イベント』で、その時点で好感度が極めて高くないと発生しないと書いてある。
おかしいのは前提だったのだ。
私の肩に顎を乗せている殿下に考えを話す。
「よく考えたら、これはゲームで第二部が始まるにあたって人間関係をリセットした場合の話です。現実はそうじゃない」
私とガッドは一年間学園生活を共にした級友だ。
対して『ガッドルート』は、「この時点で極めて高い好感度」と言っても、四月から六月までの短い間ではたかが知れている。
ご褒美イベントが発生したのはこういう訳だろう。
疑問が解消して安心した。だが殿下はそうじゃなかった。
「……つまり、これから他の攻略対象との『ご褒美イベント』とやらも同じように起きると?」
私は努めて殿下の方を見ないようにした。現在進行形で殿下の機嫌が大気圏から地下みたいな急降下をしている。
すぐ横から湧き出るどす黒いオーラに気づかないふりをしつつ、攻略本をぱらぱらめくった。
「夏に兄さまのがありますが、これはまあ大丈夫です。殿下のも冬頃ありますが、あの、これもいいとして……」
うちの兄は既に学園を卒業しているが、実は第二部の隠れ攻略対象。根強い人気である。
「待て、俺とのイベントは何なんだ」
流したかったのに殿下が反応してしまった。全力で顔を背けながら呟く。
「ど、『ドキドキ密室イベント』だそうです……」
「そうか……楽しみだな」
私は急に窓から飛び降りたい衝動に駆られた。何が悲しくて恋人にそんなイベントの存在を伝えなければならないのか。あと耳元で囁くのはやめてほしい。
「あとはオズワルド・セデン様ですよね、えっと……。あっこれかあ」
「何だ?」
読むのを後回しにしていたイベントがそういえばもう一つあった。これも『事故チュー』と同じように、名前の意味が分からなかったのだ。
「えっと、『ラッキースケベイベント』――」
二人でそのページに目を通したとき、私はこの数分の自分の行動全てを後悔した。そしてこのイベントが私に起きないよう切に願った。
後日オズワルド・セデンから「最近ルウェインから突き刺さるような冷たい視線を感じるんだ」というお悩み相談の手紙が届いた。
「あなたのせいではありません。くれぐれもご自分を責めないよう」という趣旨を丁寧にしたためて返信した。
そう、悪いのは彼ではない。
最近どうしたと言いたくなる『乙女ゲーム』である。




