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 五月に入ったある日のことだ。午前中の授業が終わり、私はエミリア、メリンダといういつもの三人で昼食をとっていた。場所は中庭のベンチ。


「あったかいわねー」

「ですねー」


 普通貴族には私たちのように「天気がいいから外でお弁当を食べよう」なんて発想はないから、ほぼ貸切だ。母はこれを『ぴくにっく』と呼んだ。


「あ、そういえば」


 光合成みたいな気持ちで目を瞑っていたら、メリンダが思い出したように言った。


「レベッカ、あなたのファンクラブが出来たわ」

「え!?」

「私はもう入りました!」


 衝撃にフォークを落としかける。サムズアップするエミリアは無視だ。


「どういうこと……発足したのは誰なの?」

「ヴァンダレイ・スルタルク様ですって」

「兄さま!?」

「多分あなたのためよ。ほら、キャラン・ゴウデスの『親衛隊』みたいに使えってこと」


 もう一ヶ月ほど顔を合わせていない兄の姿が脳裏をよぎる。記憶の中でもその笑顔は輝かんばかりだ。


「『春』のときレベッカに胸囲のことで突っかかったっていう子も入ってたわよ」

「何の話……?」


 全力で眉を寄せる。そんな記憶は一切ないのだが、別の人の話だったりしないだろうか。頼むからしてほしい。


「ああ、ハンナ・ホートンさんですね! 私お話ししましたよ! 『レベッカ様の美しさに素直に屈することにした』とおっしゃってました!」


 エミリアが笑顔で拳と手のひらをポンと合わせる。

 別の人の話であってほしいという淡い希望はあっという間に絶たれた。


 お弁当を脇に置き、立ち上がる。


「先生に廃止を求めてくるわ」

「ええっ!?」


 この世の終わりみたいな顔をしたエミリアを置いて職員棟を目指す。

 生活指導の先生が妥当だろう。てくてくてくてく歩いていって、私は『法学研究室』の扉をノックした。


「おー」

「失礼いたします」


 引き戸を開けて中に入る。本とひだまりの匂いが私を包み、奥から声が聞こえてきた。


「スルタルクかー? また授業の質問か?」

「いえ、ストーンズ先生、今日は別の理由で――あら?」


 中に入って研究室の奥を覗き込んだ私はぱちくり瞬きした。

 この部屋の主人である教師のストーンズが本に埋もれるようにして座っているのはいつものことだが、今日はもう一人いたのだ。


「あー……どうも」


 ブライアン・マークだった。『春』で少し話した、オリヴィエ・マークの弟だ。首だけで会釈されたのでこちらも一礼する。


「じゃあ俺はもう行きます」

「あっ、マーク、頑張ってな」

「はい」


 ブライアンが立ち上がり、私とすれ違って出て行く。気を遣わせてしまっただろうか。部屋を出て行く後ろ姿を見送った。何の話をしていたのだろう。


「今日はどうした?」


 ストーンズ先生が私を呼ぶ。水銀のような理知的な瞳が私を見ていた。

 背中まで届く髪がゆったりと片側でまとめられ、背が高く細身だが、決して見窄らしくはなく、むしろ気品まで感じられる。


 つまりかなりの美丈夫だ。

 それもそのはず、彼は第二部で追加された新たな攻略対象の一人なのだから。


 乙女ゲーム第二部ではいくつか変更点がある。攻略対象追加はその一つだ。


 これは余談だが、変更点の一つとして、例えば『逆ハーレム』モードが追加されたことがある。複数の攻略対象と同時に恋愛関係を築くことらしい。

 これを説明したとき殿下は「正気か……?」と呟いた。同感だ。エミリアの周りに男性が群がるなら、全員で筋トレでもしている図のほうがまだ想像できる。


 目の前のストーンズ先生も、そのルートでは逆ハーレムの一員だと思うと面白い。


「ストーンズ先生、ファンクラブを一つ廃止できませんか?」

「それ君のだろ? 無茶言うなぁ。作った人物が問題だよ」

「兄には私が話しますから……」


 ストーンズが首を振る。仕方ない。私は奥の手、『攻略本知識』を繰り出すことにした。眉を下げて独り言のように口を開く。


「そうですか……ルウェイン殿下に相談しようかしら」

「ちょ、ちょっと待て」


 ストーンズが顔色を変えた。

 実は彼、王の実の弟で殿下の叔父らしい。


 特に意味はない隠し設定だ。攻略本に言わせれば、「ストーンズ先生ルートを選んだ人が『王族なんだ、ラッキー』となるだけ」。


 私が殿下に話せば、厳しいことで有名な王、つまり自身の兄から何か言われかねないと思っているらしい。

 もちろん私は殿下に相談するつもりなどない。こんなことで多忙な彼の手を煩わせたくないからだ。


「よしわかった、なんとかするよ」


 私はにっこり笑ってお礼を言ってから部屋を辞した。


 来た道を辿って中庭を目指す。生徒たちは用がなければ職員棟に足を踏み入れない。ここは校舎に比べて閑散としている。



 だからだろうか? 私と二人になるのを狙っていたとしか思えないタイミングで、サジャッド・マハジャンジガは前から歩いてきた。



「やあ、スルタルク嬢……なんだか疲れた顔をしていないかい?」


 あなたが来たせいです、という言葉を呑み込んで向かい合う。相変わらず瞳の奥が笑っていない男だ。


「リラックスできる夢を見せて差し上げようか」

「いいえ、ご心配には及びません。お気遣いありがとうございます。では」


 私は有無を言わさぬ笑顔で会話を切った。さっさと歩き始めれば、後ろから視線を感じるものの、彼は追いかけてこない。


 ――少しだけ安心した。サジャッドの能力は発動条件さえ知っていれば怖くもなんともない。

 敵キャラである彼だが、大した脅威ではないかもしれない。第二部は案外楽に終わりそうだ。


 私は一度も振り返ることなく中庭に帰った。

 エミリアとメリンダは今も先程のベンチに座っていた。二人の姿を見れば、サジャッドのせいで心にかかった雲も吹き飛ぶ。


「おかえりレベッカ。どうにかなったの?」

「ええ、なんとかしてもらえそう」

「そんな! メンバーになんて言えば!」


 ほぞを噛むエミリアは無視だ。

 メリンダが立ち上がった。昼休憩がそろそろ終わりなのだ。


「それより二人とも、この前言った通り、サジャッド・マハジャンジガに夢の話はしてないわね?」


 渋々立ち上がったエミリアを連れ、三人で教室に向かって歩き始める。

 メリンダが「ああ」と呟いた。


「あの胡散臭い五高の人ね。ええ、この前話しかけられたけど適当に流したわ」

「私はこの前クラスの男の子と話してたら鉢合わせしたんですが、舌打ちされた気がするんですよねぇ……」


 メリンダが肩をすくめ、エミリアが首を捻る。


 エミリアを手に入れようとしない場合、サジャッドはエミリアに最初から強く当たるのか。彼の平民嫌いは相当のものらしい。


「胡散臭いけど見た目は良いわよね」

「えー、そうですかぁ?」


 外階段を登って校舎の三階から中に入った。中庭で昼食を取る人は少ないから、教室までの道のりも必然的に人が少ない。


「何でもいいけど、これからも彼には注意してね」


 念を押せば、二人はそれぞれ「はーい」と返してくる。理由は説明できないのに、二人は私がそう言うならと従ってくれているのだ。


 次の教室は全員一緒のストーンズ先生の授業だった。教室は二階だ。階段を降りなければならない。


 ひと気のない階段で、私は階段を降りようと一歩踏みだした。



 ――その瞬間、誰かが私の背中を強く押した。



 体がふわっと嫌な浮き方をした。踏み出した足が地に着かない。声を上げる暇もない。

 体が真下にガクンと落ちて、視界が回転する。何かカッとまばゆく光ったような気がした。


 私は背中を押された勢いのまま、階段を転げ落ちた。


 頭が真っ白になる。二人が何か叫んだのが遠くに聞こえた。状況を理解できないまま、ギュッとつぶっていた目をゆっくり開いた。


 目に入ったのは白い鱗だった。


「ああ……クリスティーナ」

「キュイ!」


 ポケットにいたはずの私の幻獣。そういえば何か光を見た。私が落ちた瞬間形を変えたんだろう。

 大きい龍の体はとぐろを巻くように私の体に巻き付いて、私を守ってくれていた。


「ありがとう……」


 その頭を両腕で抱え込んで顔をくっつける。クリスティーナがいなかったら、多分ただじゃ済まなかった。


「レベッカ様ぁ!」


 階段を駆け降りてきたエミリアが私に縋り付く。

 半分涙目の彼女が治癒魔法を発動して、私の右手を包み込んだのを見て初めて、擦り傷が出来ていることに気がついた。


 メリンダは私が他に怪我をしていないことを確認すると、立ち上がり、階段の上を見上げた。


「何が起きたの……? 誰も、いなかったわよね?」


 その声が震えている。メリンダ、と声をかけようとしたら、バタバタと足音が聞こえた。


「おい、今落ちたよな!?」


 振り向くと、駆け寄ってきたのはブライアン・マークだった。

 彼は息を切らして走ってくるなり私のそばでしゃがみ込んだ。手を伸ばしてくる。


「怪我は? どこか痛むか?」


 反射的にその手から距離をとった。驚いた顔と目が合う。


 私の頭を一つの疑惑が支配していた。


 ――――ブライアンは何故今ここにいるんだ。


 他には誰もいない階段に、このタイミングで。まるで図ったようではないか。それに昨日まで最後に会ったのは『春』だったのに、今日はもう二回目だ。


 なら彼がさっき会っていたストーンズ先生は? 

 二人は一体、研究室で何を話していた?


「レベッカ様……?」


 エミリアの声で我に返る。彼女は今も私の手を握っているが、もう傷は跡形もない。

 次いでブライアンの、純粋な驚きしかないその表情を見て、思考が正常に戻り始めた。


 ――落ち着け。これじゃただの疑心暗鬼だ。


 階段から落とされたという事実は思った以上に私から冷静さを欠いたようだ。根っからの貴族令嬢である私が、微笑むのを忘れるくらいには。


 固唾を呑んで事態を見守っていたメリンダに手を伸ばす。その手を借りて立ち上がった。制服の裾を軽くはたく。


「ごめんなさい、私――」


 私はやっと、にこりと微笑むことができた。


「足を、滑らせてしまって」


 選んだのは沈黙だ。


 完全にただの勘だが、どうにもこの一件にサジャッド・マハジャンジガが関わっているように思えてならない。ならばこれは学園が調査する管轄ではない。


 そもそも、階段から落ちて死ぬのは運が悪い方だ。殺さず、しかし確実に恐怖と痛みを植え付ける『階段から突き落とす』という手法は、私の中のサジャッドの像と一致する。


 気を遣ってくれるブライアンと別れ、私はその後のストーンズ先生の授業に何食わぬ顔で出席した。

 それ以上特におかしいことはなかった。


 私はその日寮に帰ると、殿下に向けて一連の出来事を記した手紙を書いた。

 伝書鳩の魔法が手紙を咥えて夜の空を飛んでいくのを、窓枠に手をついて眺める。



 シナリオに誰かが階段から突き落とされる描写などない。



 今この学園で、何かおかしなことが起こっている。

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