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『春』が終わってからニ週間。盛りだくさんの濃い一日の記憶も薄れ始め、学園の生徒たちが授業など日々の活動に本腰を入れるようになる時期だ。
――が、私の親友二人は、未だにその結果に囚われ続けている。
「ああ、あとちょっとだったのに」
「あとちょっと……! あとちょっとだったんですぅ……!」
メリンダは本日何度目かわからないため息をつき、エミリアは悔し涙で瞳を潤ませる。両側から私の肩をぽこぽこ叩くのはやめてほしい。
私は今日の授業を全て終えて、学園内にある食料販売店で買い物をしている。学園の生徒は一人で寮に入らなければならないから、買い出しだって自分でやる。
それについて来た二人だが、さっきから『春』の結果のことばかりだ。相槌を打ちつつバターと小麦粉と卵を買い物かごに入れた。
そして数日前張り出された『春』の順位を思い返した。
十位 ブライアン・マーク
九位 フリード・ネヘル
八位 ガッド・メイセン
七位 サジャッド・マハジャンジガ
六位 キャラン・ゴウデス
四位 ジュディス・セデン
四位 オズワルド・セデン
三位 エミリア
一位 レベッカ・スルタルク
一位 ルウェイン・フアバードン
『春』『夏』『秋』『冬』の四つの『行事』は三強、五高という『称号』の獲得に大きく影響するから、私はこれ以上ないくらい良い滑り出しということだ。
メリンダは十一位だったそうだ。十位のブライアンがゴールするのを見たらしく、惜しくもトップ10入りを逃したことを残念がっている。
フィジカルではなく要領と頭の良さでこの行事をクリアするメリンダは、正直とてもすごい。
エミリアも同様に、私と殿下がゴールする背中を見たらしい。
その直後窓を突き破って入ってきたそうで、「あとちょっとで殿下を背後から爆破できた」と嘆いているのだ。物騒にもほどがある。
私は二人をなだめつつ、さらに牛乳とグラニュー糖をかごに入れた。メリンダが首をひねる。
「レベッカあなた、お菓子でも作るの?」
「ええ。二人とも今日は私の部屋によっていかない?」
「えっ! 行きます行きます!」
「いいけど、突然ね?」
いきなり元気が出たエミリアと不審そうなメリンダを連れて寮に帰る。
内心胸をなでおろした。相変わらずエミリアはちょろいしメリンダは勘がいい。
紅茶を出しおしゃべりをして三十分ほど待てば、強めのノックが聞こえた。
シナリオ通り彼女が訪ねてきたのだ。
「スルタルク様、こんにちは」
「あら、ごきげんよう」
入ってきた少女は、兄とお揃いの森の瞳で、ふわふわと柔らかそうに跳ねるセミロングを二つ結びにしている。
つい二週間前も会ったジュディス・セデンだ。
普段は活発と元気を絵に描いたような彼女だが、今日は髪をいじりながらしきりにもじもじしていた。
「あの、スルタルク様、実は……」
「同学年ですし、レベッカでいいですよ」
「じゃあ、レベッカさん。実は――」
くりくりした瞳が上目がちに私を捉えた。先を知っている私は、ごくりと唾を飲み込む。
今日は第二部初の『イベント』発生の日。
「料理を教えてもらえないかなーって……」
その名も『地獄の料理イベント』、ここに開幕。
ジュディス・セデン――攻略本第二部によれば、
「五高、第二学年、緑色の髪と瞳、幻獣は蚯蚓、オズワルド・セデンの妹、備考:料理が殺人級」
である。お分かりいただけただろうか?
そう、『料理が殺人級』である。
『三強かつ女子力が高いと評判の主人公を頼り、ジュディスが料理を教えてもらいにやってくる。選択肢を一つ間違えただけで誰かしら病院送りになる恐怖イベント。しかも何故か攻略対象たちの好感度に大きく影響する』、らしい。
やはりというか、女子力は不明だが三強ではある私に任が回ってきたようだ。
申し訳ないがここはエミリアの力を借りたい。殿下は私からこのイベントの説明を聞いて渋っていたが、エミリアの女子力はお墨付きだ。
「エミリア、メリンダ。ジュディスが料理を教えてほしいんですって。ちょうど材料はあるから、手伝ってくれると嬉しいわ」
「わぁ、楽しそうです! ジュディスさん、一緒に頑張りましょう!」
「妙に準備万端ね」
「たまたまよ」
メリンダの言葉を笑顔で受け流して四人でキッチンに立つ。
そう、買い物はこのためだったのだ。学園で取れたというリンゴが安かったので、アップルパイが作れるように買ってみた。
そしてここで『裏技』を発動する。
「ねえ、まずはエミリアがお手本を見せてあげたらどうかしら」
「了解です!」
隠れ選択肢・「私がお手本を見せるので、まずはご覧になっていてください」を選択すれば、惨事を回避できると攻略本に書いてあったのだ。本当に母上さまさまである。
エミリアが包丁を手に取ったのを見てほっと息をついた。可愛らしいピンクのエプロンがとてもよく似合っている。
「ではジュディスさん、よく見ていてくださいね」
「うん!」
エミリアはジュディスの良い返事ににっこりし――
直後、笑顔で包丁を置いた。
「まずはリンゴを粉々にします! フンッ!」
バキバキバギィ!
「皮は残ってるくらいがシャクシャクして美味しいです! ちゃんと洗えば大丈夫! 残りも同じように粉砕しましょう!」
バキャボキャッ、ボキィッ!
「次になんやかんや材料を混ぜていい感じにします! 分量とかはまあ、勘でいきましょう! オーブンもなんかいい感じに温めておきます!」
バサバサ、グシャァ! ブオオオオオオオ
「隠し味を入れます――愛情です、ふふっ! よく焼いて、はいっ! 完成です!」
棒立ちの私たち三人の前に、ことりと皿が置かれた。見れば、そこにあるのは劇物ではない。
どこからどう見ても出来立てほやほやのアップルパイである。
私は心を無にしてパチパチと手を叩いた。
「ワア、スゴイナー」
「レベッカさん!? これ食べんの!?」
「エミリア、サスガー」
「メリンダさんまで! しっかりして! こんなん食べたら死ぬって!」
真っ青になったジュディスの制止を振り切り、私とメリンダは切り分けられたアップルパイを口に運んだ。
さく、と軽い音がする。舌に残らず口の中で溶けていくパイ生地。カスタードクリームは甘すぎず程よく、りんごの酸味が唾液腺を刺激して、ああ、何これ、すっごく――――
「美味しい…………」
隣でメリンダが呻いた。彼女はなぜかちょっと泣いていた。そういう私も涙目だった。
「本当ですか! よかったですぅ!」
エミリアがぴょんぴょん跳んで喜んでいる。
あのおよそ調理とは思えない擬音語の応酬で、何故これが出来るのか? 主人公修正が働いたのか? それともこれこそが真の女子力なのか?
あともしかして、去年の今頃よく作ってきてくれたお菓子も、この筋肉ッキングで作っていたのか?
もう何もわからない。私は全ての疑問を放棄して、ただアップルパイに齧り付いた。
横でおろおろしていたジュディスは、そんな私とメリンダの反応を見、意を決してアップルパイを口に運んだ。
そして数分間放心した後、「リンゴを素手で握り潰せるようになってから出直す」と言い残して去って行った。
この学園にゴリラが一人増えるらしい。




