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体勢を崩した私を力強い身体が支えた。振り返り見上げれば、怒りを宿した群青が真っ直ぐに相手を睨みつけている。
「殿下!」
どうしてここに。
彼の張り詰めた空気がふっと緩む。怒気が霧散して、代わりに気遣うような視線が送られる。
そのとき私たちと向かい合う男が口を開いた。
「これはこれは。少々不味いな。二対一じゃあないか」
ふむ、と考え込むような顔をするその男。
彼はサジャッド・マハジャンジガ――去年五高に選ばれ、今年第三学年だ。
動きのある長髪をオールバックにしていて、背が高く体格もいい。「優秀でしかも親切だ」と、男女分け隔てなく人気があるのを知っている。
――――だが、私は前から思っていたのだが、
「ならせめて……少しくらいは抵抗してからやられるとしようか?」
この男、いつも目が笑っていない。
背筋がゾッとして思わず一歩下がった。
人の良さそうな笑みと真っ黒な瞳との対比が恐ろしくちぐはぐで、気味が悪い。
しかし。
「なんてな!」
殿下が怒りを込めて一歩前に踏み出したとき、サジャッドは出し抜けに自分の真横の窓を魔法で吹き飛ばした。
そしてひらひらと手を振りながらその窓から外へ飛び降り、姿を消した。
殿下がそれを確認してから私に向き直る。
「レベッカ、無事か」
「ええ、殿下が助けてくださいましたから……。ありがとうございます」
ほっとしてなんとか笑顔を作りつつ、心臓はまだ早鐘を打っている。
サジャッドは第二部の黒幕。攻略本によれば、彼の幻獣はバクと呼ばれる四つ足の生き物だ。
彼はその力で他人の『夢』に介入できる。
『昨日見た夢はどこで何をしたものだったか』。この情報が夢の『住所』に当たるらしい。これさえわかればその人間の夢は次の晩からサジャッドの手中だ。
恐ろしいのは、人の夢が深層意識と強い繋がりを待っていることだ。
なんとサジャッドは夢の中で、その人の大事な記憶を隠したり、壊したり、新たな思想を植え付けたりすることができる。しかもその痕跡は一切残らず証明が困難だ。
学園には『他人に好きな夢を見せられる能力』と偽っているから、たしか去年の『夏』で入賞していた。
――第二部のシナリオでは、この力で主人公エミリアがサジャッドの傀儡にされてしまう。
目当ては『三強』の権力や特権。彼の家は子爵家で、特に現子爵がその力を欲している。
サジャッドは自分の力に限界を感じ、三強である主人公を自分のものにすることを思いついた。
『俺はな、エミリアッ! お前が三強だから近づいたんだよ! そうでもなければ、お前みたいな下賎な平民などッ!』
第二部の舞踏会で主人公に悪行を暴かれた彼は、本性を剥き出しにしてこんな風に叫ぶそうだ。
好青年の皮を被った身分差別主義者――それがサジャッド・マハジャンジガの本当の姿なのだ。
現実ではエミリアが三強ではないから、順当に考えれば狙われるのは私だろう。
だがしかし、今は『春』だ。
サジャッドが私に危害を加えてもなんら問題はない。
殿下にお礼を言ったとき、私は第一部の『春』を思い出していた。デジャブである。
「殿下、もしかしてまた私を探していらっしゃいました……?」
「いいや、偶然だ」
「本当ですか?」
「ああ」
疑いをもって彼のすました顔を見つめる。『何食わぬ顔』が上手だ。十人に九人が信用するだろうが、私はあいにく残る一人である。
追及しようとしたら殿下がふと顔を上げた。
「今、新たに二人校舎に入ったらしい……この魔力は、オズワルドか。一緒にいるのは妹だな」
名前を聞いて息を呑む。
オズワルド・セデン――第三学年にして三強、燃えるような正義感を持った男だ。幻獣は土竜だっただろうか。
妹であり五高のジュディス・セデンとともにこの場所にたどり着いたらしい。
「なあ、レベッカ」
「はい」
つい目を瞬いた。殿下が楽しいことを思いついた少年みたいな顔で私を見ていたのだ。群青の瞳がいたずらっぽくきらめく。
「せっかくなら、二人で一位が取りたくないか?」
「! はい!」
「決まりだ。行こう」
殿下が私に手を差し出す。顔を輝かせてその手を取った。少しの緊張と、それを上回る興奮で胸が膨らむ。
今から始まるのは、殿下と私出会って以来初めての、共闘である。




