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 事の発端は三月始めに行われた卒業式だ。

 私の兄であるヴァンダレイ・スルタルクを始め、オリヴィエ・マーク、セクティアラ・ゾフ様といった、そうそうたるメンツが卒業を迎えた。


 卒業式の後には生徒主催の送別会が開かれるのが伝統だ。

 教員すら不在の気軽な集まりで、いわば無礼講。毎年必ず羽目を外しすぎる生徒が出る。


 そして今年度最も羽目を外しすぎたのが誰かと言えば、まず間違いなく、オリヴィエ・マークだ。


「ねえ誰か、私と飲み比べしよう!」


 酒瓶を両手に抱えて周りを見渡した彼女。白い歯と快活な笑顔が眩しい。


 フアバードン王国では十六歳から飲酒が許されていて、オリヴィエはめっぽう強い事で有名だ。強すぎてもう誰も飲み比べの相手をしてくれない。

 今夜も周りの人間は彼女と目を合わせないように努めるばかりである。


 そこで白羽の矢が立ったのが、殿下と二人で立食スペースの料理に舌鼓を打っていた私である。多分兄さまが酒に強いせいだ。


 オリヴィエが近づいてきたとき、殿下はあからさまに嫌な顔をして、私を自分の背中に隠した。


「マーク、レベッカはあまり酒を飲まない」

「そうなの? レベッカちゃん、楽しいからやってみよ! 騎士団ではよくやるんだ」


 在学中『戦闘神』の名をほしいままにしたオリヴィエは、そういえば騎士団長の娘だった。思い出しつつ口を開く。


「私でよければ、お相手いたします」


 周囲が軽くざわめく。オリヴィエは「そうこなくっちゃ」と手を叩いた。私は渋い顏の殿下を安心させるべく微笑んでから一歩踏み出した。


 ここにいるのは生徒だけだ。少しぐらいなら酔ってしまっても問題ないだろう。

 何より、『冬』でお世話になった憧れの先輩であるオリヴィエには、楽しい思い出と共に卒業してもらいたい。


 周りに野次馬が集まり始め、私とオリヴィエはそれぞれ一杯目のグラスをあおった。

 正直お酒を飲んだことは数えるほどしかないのだが、酔いそうだと思った時点で止めればいいのだから大丈夫だ。



 そして三杯目のグラスを飲み干した瞬間から記憶がない。



 ***


 ふわりと、温かい風が頬を撫でた。薄く目を開くとよく見慣れた天井が目に入った。窓から差し込んでいるのは柔らかな朝の光だ。


 私は寮の自分の部屋のベッドに寝ていた。


 横になったまま軽く伸びをし、自分の左側に目をやる。

 私の枕元で眠るのが習慣の白蛇に、いつものようにおはようを言うためだ。


「クリスティーナお、は…………」


 しかし今日は最後まで言えなかった。いつもとは違うものが視界に入ったのだ。



 ()()が私の頭の下を通って伸びている。



 白い布に包まれた細長いそれを目で追っていったら、先から出ているのは人の手だった。


 ……腕?


 不思議な気持ちで自分のを確認する。二本ともきちんと付いていた。

 じゃあ誰のだ? 寝ぼけた頭を傾げた直後、ようやく状況を理解した。


 私の右隣で誰かが寝ている。

 ついでにいえば私はその人の腕を現在進行形で枕にしている。


 静かに冷や汗をかき始めた。後ろにいるのは一体誰だ。いや誰って、彼しかありえないのだが、もし違ったらどうしよう。

 硬直している間にも背後からは規則的な寝息が聞こえている。


 ついに勇気を振り絞って振り返った瞬間、隣の誰かが同時にぐらりと動いた。そして私を盛大に巻き込んで寝返りを打った。


「……レベッカ、おはよう……」

「ひゃ!」


 私の体をほとんど押しつぶすみたいにして抱きしめたのは、やっぱり殿下だった。

 普段より幾分掠れた声が、ほとんど私の耳に口をつけるみたいにして囁いてきたものだから、あまりの声の良さに奇声を発してしまった。


「おもい、おもいです殿下……!」


 本気で呻く。殿下が少しだけ動いて、圧迫感がなくなった。

 そして彼は私が呼吸できるようになったのを確認するが早いか、


「……すう」


 再び安らかな寝息を立て始めた。


「殿下!? 人の上で二度寝ですか!?」

「冗談だ……」


 たまらず悲痛な声を上げる。殿下はやっと私の上から退き、再び私の隣で横になった。


 私は体を起こしてそんな彼をまじまじと見つめた。小さく寝息が聞こえる。なんとも堂々とした二度寝である。


 その場に座り直して勝手に寝顔を見ることにした。殿下は身じろぐ気配すらない。目と口をぴたりと閉じて胸を上下させている。

 朝に弱いんだろうか。意外な一面を知ることができて嬉しい。

 誰も見ていないのをいいことにによによと口元を緩ませていたが、ふと当然の疑問が浮かんだ。


 なぜ殿下が私のお布団にいるんだ?


 次いで昨日の記憶がないことにやっと気づいた。背筋を冷たいものが流れる。


「……もしかして私、お酒に酔って粗相を」

「いや、圧勝だったぞ」

「え?」

「圧勝だった」


 いつのまにか薄く目を開いた殿下が体を起こす。そして「オリヴィエ・マークとの飲み比べ」と言葉を続ける。


「マークがギブを言っても、レベッカは顔色ひとつ変えずにっこり笑っていた……だが少し違和感を感じて連れ出した。普通に立ち上がって歩いていたから杞憂かと思ったら、講堂を出た途端、『ところで殿下は今日四人いらっしゃるのですね』と」

「………」

「『どうしましょう、私は今日も一人しかいないんです』と」

「………」

「部屋まで送って寝台に寝かせて出て行こうとしたら、『あの、でんか、かえっちゃうんですか』、と――」

「わかりましたからもうやめてください――!」


 わっと両手で顔を覆う。誰か、頼むから昨日の私を力一杯叩いて目を覚まさせてきてほしい。

 大勢の前でこそ根性で令嬢面をしていたらしいが、肝心の殿下に思い切り迷惑をかけているではないか。


『酔いそうだと思った時点で止めれば大丈夫』とか言ったの誰だ。私だ!


「レベッカ」


 殿下が優しい声で言った。顔を覆う手から目だけ出したら、殿下が私を覗き込んでいた。


「俺の隣はそんなに居心地が良いか?」


 きょとんとした私に、殿下は愛しいものを見るような視線を送った。


「人前ではちゃんとしていたのに、俺と二人になった途端、酔っているのがわかるようになった。俺といるときは気が休まるということか」


 私は眉根を下げた。

 酔っ払いに迷惑をかけられたら、人は怒るべきなのだ。間違ってもそんな風に嬉しそうな顔をするべきではないのだ。

 もっと喜んでほしくなるではないか。


「……はい、殿下といると安心します」


 なんとなく再び顔を隠してから言うと、そのまま抱きしめてもらえた。私もその背に手を回す。

 

 しかしそのとき、はたとあることに気がついた。


「婚姻前に同じ寝台で寝るって問題じゃないですか……?」


 婚約者という関係上よろしくない。半年程前、初めて殿下に好きだと言ってもらえた日も、彼は私の部屋に一晩いないで自分の部屋に戻っているのだ。


「大丈夫だ、問題ない」


 至って落ち着いた声が返ってきた。

「そうでしょうか」と返すと、殿下は私を抱きしめたまま事もなげにこう言った。


「ああ。式を挙げてしまえばいい」

「しき?」

「結婚式だ」

「ケッコンシキ?」

「ああ。今から急ぎ準備して……夏季休暇に間に合わせよう」


 首をひねる。



 けっこん……血痕(ケッコン)……結婚式(ケッコンシキ)



「で、殿下、私たちまだ学生です!」

「問題か?」

「もちろんです! 早すぎます!」


 たまらず殿下の腕の中から抜け出た。しかしするりと両手を取られる。顔を上げれば殿下が私を見つめている。


「レベッカは俺と結婚したくないのか」

「いえっ、ちが、そんなことは」

「なあ、愛してる」

「うっ!」

「俺と結婚してくれ。一生大切にする。絶対幸せにする」

「ううっ……!」


 『こうか は ばつぐんだ!』。殿下の怒涛の愛の言葉を受け、亡き母がかつて妙に片言で言っていた言葉が頭をよぎった。


 だが流されてはいけない事態だ。よく考えながら口を開く。

 王立貴族学園在籍中に結婚する貴族はそうそういない。ましてや殿下は未来の国王。


「学生結婚は、やっぱり……。その、殿下はもう一人前でいらっしゃるかもしれませんが、私はまだまだ半人前ですから……」


 殿下は真剣な顔をした。そして少し考えるようにしてから、なるほどと呟いた。



「なら次の『春』で勝負をしよう。俺が勝ったらすぐに式を挙げよう」

「……えっ」



 よく意味がわからなかったのでもう一度お願いした。聞き間違いかと思ったが、そっくり同じ言葉が繰り返されただけだった。


「…………何でですか!?」

「ちなみに俺は本気でやる」

「勝てる気がしない!」


 大きな声を出したら、気持ちよさそうに眠っていたクリスティーナを起こしてしまったようだ。じとっと視線を感じる。でも今ピンチなのだ。許して欲しい。


 その日親友二人に事情を話した。

 エミリアは「もちろん私はレベッカ様の味方ですから! 任せてください、『春』であの男に出くわしたら背後から爆破してやりますっ!」と意気込んだ。

 メリンダはただ静かに「諦めなさい」と言った。


 諦めるなんて選択肢はない。もとはといえば私がお酒に酔ったのが悪いのだが、ここまで来るともう意地だ。


 こうして、私にとって去年にもまして気合の入る『春』が始まったのだ。

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