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 『冬』から一週間。延期されていた舞踏会が開かれた。会場はいつもの講堂だ。椅子が全て片付けられ、代わりに立食スペースやオーケストラが用意される。

 学園の舞踏会は夜会などとは違い、腹の探り合いも狸同士の騙し合いもない気軽に参加できるものだ。楽しみにしてきたし、会場を目前にして突っ立っている今も早く会場に入りたい。


 舞踏会はエスコートが必須ではない。一人で来る生徒が半数近くを占める。だが婚約者がエスコートするならきちんと二人で入場するのが普通だった。だから私は殿下と会場前で待ち合わせしていたのだが。

 その殿下は会うなり私をじっと見つめたまま動かなくなってしまった。沈黙が続いて現在3分ほど経過している。…あの殿下、普通は男性の褒め言葉から会話が始まるものなんですけど。今日の私は社交辞令が言えなくなるほど変ですか?


 不安になって自分の姿を確認する。ドレスの色は淡いシャーベットグリーン。実は冬季休業中エミリアとメリンダと一緒に仕立て屋さんに行って作ったものだ。私は色を見て子供っぽくならないか不安になったのだが、二人は「色は幼く可愛く、でも形は大人っぽいドレスにしよう」と譲らなかった。

 「絶対に似合います」と拳を握りしめたのがエミリアで、「胸を強調しましょう、胸を」とデザインに口を出したのがメリンダだ。結果、本当に()()()()ドレスが出来上がって頭を抱えた。スカート部分は、腰の位置でキュッと絞られ、そのまま体の曲線に沿ってゆるい流線を描くいわゆるマーメイドライン。上半身はホルターネックで、背中ががばりと大きく開いており、肩まで露出するデザインだ。胸自体は完全に隠れているのにむしろ強調されている。

 仕立て屋さんはどうしてここまで色っぽく作ってしまったのか。果たして私に着こなせるのか。もう別のドレスで行こうか。

 そこまで考えたがしかし、エミリアが涙を浮かべてお願いしてきて例のごとく折れた。私はやはりエミリアに甘いらしい。

 ちなみにそのあとエミリアに「見る者全てを悩殺できます。学園を手中にすることができますよ」と言われたときは一度本気でドレスを引きちぎろうとした。エミリアに腕力で負けて叶わなかったが。


 もう開き直ろう、振り切ってしまおう。そう腹を括ったのは『冬』の三日ほど前のことだ。着なければいけないものは仕方がない。こういうのは変に恥ずかしがって中途半端にするのが一番恥ずかしいのだ。


 舞踏会当日、寮の自分の部屋で午後から準備を開始した。髪は緩く巻き片側に垂らした。うなじと背中を大胆にも隠さずに出すためだ。イヤリングは動きに合わせて上品に揺れる長めのもの。ネックレスはわざと飾りを後ろに回した。がばりと空いた背中に、細く繊細な鎖と宝石がシャラリとかかるようにしたかったからだ。お化粧もしっとりと濡れているかのような大人っぽさを意識してみた。


 一連の準備を振り返る。そして何も言わない殿下を見る。…うん、私は早まったのかもしれない。


「…………………………」

「殿下、もう5分は経ちました…もう中に入りませんか…」


 我ながらよくもったほうだが、ついに沈黙に耐えかねて口を開いた。さっきから横を生徒たちが通っていく。そしてじろじろ私達を見て行っている気がする。気のせいと言われればそれまでだが、「また殿下とレベッカ様がいちゃいちゃしてる」とこの耳でたしかに聞いたような気もする。


「…………………………レベッカは、俺を怒らせたいのか?」

「!? い、いいえ!」

「そうかそうか、わかった。そういうことなら仕方がない。舞踏会はやめだ。今夜は一晩中二人きりで過ごそう、俺の部屋で」

「で、殿下、舞踏会に行きましょう!三強と五高の発表が!」

「お前の部屋でもいい」

「殿下ー!」


 私は殿下の心の琴線に触れてしまったらしい。それもよくわからない琴線を、これでもかとかき鳴らしてしまったようだ。私と殿下による『行こう』『行かない』の応酬は続き、途中で私が言った「殿下、タキシード本当にお似合いです、か、かっこいいです。だから行きましょう」が裏目に出てさらに熾烈を極めた。


 さらに4.5分経過した。殿下は本気で舞踏会に行く気をなくしたらしい。これはもうテコでも会場に入りそうにない。幻獣はお留守番なのでクリスティーナの力を借りることもできない。


 …なんかもう、行かなくていいか。殿下と夜通しおしゃべりするのも楽しそうではある。


 と、私の心が折れかけたとき。私達の近くで1組の男女が足を止めた。


 それは兄さまとセクティアラ様だった。美男美女でとても絵になっている。


「やあ二人とも!殿下は舞踏会に行かないつもりなのか!それなら殿下が三強に選ばれた暁には俺の方から辞退の旨を伝えておこう!なに、礼は必要ない。ちなみにスルタルク公爵家は三強にもなれない男にレベッカはやらないがな!」


 まさしく鶴の一声だった。


 ***


 入場すると一気に会場中の視線が集まる。慣れたものだと微笑んで応えた。今日この場にいるのは生徒や教師だけではない。生徒の親を始め、卒業生や国の重鎮など。三強と五高は国内の有名人で、ゆくゆくは国の重要人物になる人材なのだから、政治色が強いのも納得だ。


 集まっていた視線が散らばり始めるとやっと肩の力を抜いた。このドレスは防御力が足りない感じがして少し不安だ。

 すると殿下が私の腰に手を回し、ぐぐっと自分に近づけた。見上げても背筋を伸ばして真っ直ぐ前を見ている。堂々たる態度だ。周りの女性の視線を一身に背負っているのに、緊張の欠片もないのだからすごい。


「レベッカ、今日は少しの間も俺から離れるな」


 いつもに増して無表情だが、声色だけは苦虫を噛み潰したかのようだ。


「はい」


 異論はないのでそう返事をすると、前方から可憐な銀色が駆け寄ってきた。着ているのはシャイニーピンクのふんわりしたドレスだ。エミリアのドレス選びは楽だった。何を着ても似合うのだ。しかしこの女の子らしい正統派のドレスが彼女ほど似合う人間が、この世にどれだけいるだろうか。

 エミリアは一人で会場に来ていた。ガッド・メイセンを始め多くの男たちがエミリアのエスコートの座を狙っていたのだが、エミリアのお気に召す殿方はいなかったようだ。


「やりましたね、レベッカ様!鼻血または発熱で10人少々退場しましたよ!」


 エミリアがいつにも増して可憐に飛び跳ねる。彼女の言葉で殿下の先ほどの行動の理由を知った。言葉を失う。え、いやだって、入場しただけで?


 ゾッとして会場を見回すと、花が咲いたように笑っているメリンダとそのエスコートのフリードを遠くに見つけた。間髪入れず躊躇ない突撃をかます。メリンダは満面の笑みを貼り付けたまま「まあフリード様!あちらに何かありそうです!あちらに、ささあちらに!」と逃走を図ったがあえなくお縄となった。


「いや『お縄となった』じゃないわよ」

「メリンダ、やっぱりそのドレスすごく似合うわ!」

「本当です!ネヘル様もさぞ褒めてくれたでしょうね!」

「ええ、まさに褒めてくださってた最中だったのよ、というわけでレベッカ、エミリア、私たちを二人に戻してもらっていいかしら?」

「メリンダが髪を結っているところは初めて見たわ。自分でやるのも上手なのね」

「ええ、それもさっき褒めてもらえたのよ、というわけで二人に」


 メリンダは髪をアップにして、小さな白いお花の髪飾りを埋め込むように散らしていた。髪色も相まって、まるで夜空に花が浮かんでいるような幻想的で可愛らしい髪型だ。ドレスは七分丈の袖とデコルテが一面白いレースで、


「レベッカ?レベッカ!聞いてる!?」


 おっほん、白いレースで、肌が透けるようなデザインだ。胸上から切り替わって重ねレースのベージュのドレスになる。好きな男性には女の子に見られたいメリンダにぴったりな、可愛らしく清楚なドレスと言えるだろう。


「ねえレベッカ!意図的に耳に入れないのやめてくれる!?」


 聴覚を遮断しつつ可愛い友人を眺めていると、柱時計が鳴り響いた。遠くの壇上に学園長が上ったのが見える。舞踏会が始まる時間になったのだ。

 フリードと言葉を交わしていた殿下が私を手招きする。彼の隣という名の定位置に収まって、今年最後の学園長のお話に耳を傾けた。すっかり聞き慣れた声が今宵も講堂に響きわたる。


「こうしてこの日を迎えられたことを喜ばしく思う。今夜は一年の終わり。仲間と語らい、好敵手と握手を交わし、無礼講を朝まで大いに楽しんでほしい。さて」


 学園長が一度言葉を区切り、再び話し始めたとき手には白い紙があった。

 あそこに、今年度三強と五高の、名前が。


 しかし私の意識は違う方に行っていた。


 シナリオでは今この、次の瞬間。「待った」の声がかかってレベッカの断罪が始まる。

 ぎゅ、と目をつぶって殿下の肩に額を押し当てた。自分の目を殿下で塞いでなにも見えないようにする。


 1秒、2秒―――3秒。


 三つまで数えたとき。背中に温かいものを感じて薄く目を開いた。


「今年度の三強と五高を発表する」


 聞こえたのはなんの変哲も無い学園長の言葉と、周りの人間の拍手だ。

 左の方で、兄さまが笑顔で拍手を送りながら、セクティアラ様に何か耳打ちをしている。右の方では、同じように拍手しつつ妹さんと話すオズワルドが見つかる。ランスロットは地下牢の中、オウカは封印されて消えてしまった。

 そして、殿下は。私の背中に手をやって私を抱き寄せている。


 この気持ちはなんだろう。嬉しいような、泣き出してしまいたいような。安心したような、途方に暮れてしまったような。


 周りでは、その場の紳士淑女、ありとあらゆる人間が拍手とともにステージを見つめている。私もそれに倣って壇上に視線を戻した。


 『終わったのだ』と、はっきり感じる。一番心強かったのは間違いなく、背中に回った手の温かさだ。今回だけでなく、今までも。考えてみればいつだって、シナリオを壊してくれたのは殿下だ。


「ありがとう…」


 本当の本当に小さい声で伝えた。たった今。たった今この瞬間を以って、私はシナリオを乗り越えたのだ。

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