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 ランスロットの殺意に反応したのは殿下だけではなかった。兄さまもオリヴィエも歯を食いしばって立ち上がった。だが間に合わなかった。殿下だけが間に合ってしまった。


 兄さまは私まであと一歩だった。目の前で殿下が矢に貫かれるところを見て目を剥き、そのままランスロットに向かって体を引きずるように駆けた。

 ただ呆然としていたランスロットは、兄さまの拳を受け入れたように見えた。宙に弧を描いて吹き飛び、意識を失った。


 振り返った兄さまが声を荒げる。


「何故だ!魔力ジャックが、解除されない…!」

「っ、時限式でしょう、一定時間たたなければ、解除され、ません」


 息も絶え絶えに答えたのはキャランだ。


「何だこれは、どうなってる…!」

「嘘だろ…あれルウェイン殿下じゃないのか」

「俺たち騙されたんだ」


 敵の兵士たちが騒ぎ始めた。


 それらの全てを遠くで聞いていた。今私の世界にいるのは、私と、血塗れの殿下だけだった。


「……でん、か?で、殿下?………あ」


 愛しい人の体に触れた。何故それだけで血がつくのだ。何故この人がこんな風になっているのだ。


 私が触れたせいで、殿下の体はゆっくりと傾き、地面に崩れそうになる。必死で受け止めて抱きしめた。

 そんな私の肩に誰かの手が触れた。


「止血、を。レベッカちゃん、止血を、しなきゃ」


 真っ青な顔をしたオリヴィエはいつのまにか私の隣にいて、横になった殿下の胸に布を当てる。


 殿下のその姿を見てボロボロと涙が出た。


「エミ、リア、エミリア…っ」


 愛しい彼を助けられる唯一の人。親友の名前を呼ぶ。1秒でも惜しくて、胸のクリスタルを乱暴に取り出した。


「エミリア、エミリア、…返事してっ…」

「レベッカ様、魔力ジャック、です。クリスタル、は、使えま、せん」


 じゃあどうしたら。必死で救いを求めた。どこかにないか探した。

 エミリアは山の中に置いてきた。魔力がエネルギーである幻獣たちは魔力ジャックで軒並み横たわっている。転送魔法など使えない。


 ああ、だめだ。

 全ての可能性が潰えていく。殿下が助かる可能性が。私を守ってくれたこの人が、再び私の名前を呼んで、愛していると言ってくれる可能性が。


 とめどなく涙が流れた。殿下に縋り付いて声にならない声で彼を呼んだ。

 涙は集まり雫になる。雫が殿下の頰を濡らし、集まり、流れ落ちて地面で砕けるその瞬間、



「忠臣なら、あるいは」



 救いの声が、降ってきた。


 兄さまの落ち着いた声は何故かよく響いた。


「聞いたことが、ある。『忠臣の儀』、あれは、お互いを深い所で繋げるものだ。ずっと前、『冬』で、クリスタルを通し、主人の呼び声に応え、姿を現した忠臣がいると。転送の一種とされているが、詳しいことは、わかっていない。ただ、魔力を多大に消費する。この状況でも、相手の魔力を使って、呼び出せるやも」


 その声に弾かれるように顔を上げた。


 「でも、忠臣っていったって」。周りはそう口にした。レイを呼び出したって、フリードを呼び出したって、どうにもならない。


 でも。


「ありがとう、兄さま……っ!」


 私には、それがわかれば十分だった。

 胸のクリスタルを握りしめて声の限りに叫ぶ。


「お願い、お願い。今すぐ来て、私の忠臣――」


 この声を聞き届けて。殿下を助けて。









「エミリアッ!」



 雷が落ちたみたいな音がした。辺りが強い光に包まれ、その中心に人が現れた。銀色の少女は数瞬だけ驚きの表情を浮かべ、涙に濡れた自らの主人を見、血に濡れたその婚約者を見、即座に自分のやるべきことを理解した。


 ***


 私の部屋の戸をだれかが叩いた。11月のある夜。今日は『冬』の将軍が発表された日だった。

 選ばれたという事実に夜になっても興奮冷めやらず、眠気が来ないので母の攻略本をめくっていた。眠れない夜はこうするのが習慣だ。母の文字を眺めて夜が更ける。

 そんな真夜中に訪問。私の枕ですやすや眠っていたクリスティーナが片目を開けたが、またすぐ眠りに戻った。


 来るかもしれないと思ってはいた。


「今日はドアノブを壊さないのね」

「修理代がばかになりませんから」


 扉を開ければ、お行儀よく待っていたのはエミリアだ。招き入れたがはっきり言った。


「私は忠臣は作らないわ」

「そうだろうと思っていました。それでも来ました」


 エミリアは心得たように言う。


「私はレベッカ様が忠臣を作らないと分かっています。レベッカ様は私がそう分かっていることを分かっていらっしゃいます。そしてもう一つ」

「…」

「私が決して諦めず、結局最後はご自分が折れることになることも、本当は分かっていらっしゃるでしょう?」


 長い長い沈黙の後息を吐いた。

 あなたには敵わないわね。そう小さくいえば、エミリアはいたずらが成功した小さな子供のように笑う。


「あなたは三強になれるのに」


 呟きながら、つい机の上の攻略本に目をやった。表紙の丸い文様が見えている。


 あれの名前はなんて言ったか。


「――――レベッカ様、なんで、その字」

「え?」


 エミリアが震えた声を出したので振り返った。彼女は信じられないものを見るような顔をして立ち竦んでいる。いきなりどうしたんだろうとキョトンとした。


「……その本、なんですか?」

「ああ……ええと、そうね、母さまにいただいたものよ。母さまの故郷のことが書いてあるの」


 殿下にも言っていないことだが、エミリアに嘘はつきたくなかった。


「中を見てもいいですか…?」

「ごめんなさい。それはだめだわ」

「ちょっとだけ、でも、だめでしょうか」

「え、ええ。本当にごめんなさい」

「どうしてだめなんですか?」

「ええと、そ、その……私とエミリアは友達にはならない、とか、書いてあるの!」


 ごまかすのも嫌だったが本当のことを言うわけにもいかず、訳のわからない説明になってしまった。「何言ってんだ」と自分でも思う。エミリアはさぞ意味がわからないだろう。


「…ふふ…っ。そうですか、それはいけませんね」


 しかし、エミリアがそんな私に向けたのは笑顔だった。さっきまであんなに深刻そうな顔をしていたのにと首をひねる。


「すみません、無理に見たがって」

「いいえ、それはいいけれど…エミリア、大丈夫?」

「ええ。私にはもう関係のないことです」


 エミリアは笑った。とても可憐な彼女は限りなくいつも通りのエミリアだった。


「だって私、この世界も結構大好きですから」

「え?」

「いいえ、何でもないです。さあさあレベッカ様!忠臣の儀を!」


 強引なエミリアに(物理的に)急き立てられて、エミリアと手を繋ぎ魔法を行使した。終えるとたしかに心の中に何か温かいものを感じる。エミリアは私の忠臣になったのだ。


 これから忙しくなる。忠臣ができただけで取れる戦略の数は跳ね上がるのだ。例えば、私の『秋』である幻獣との魔力の共有。忠臣なら九尾ともできるかもしれない。

 考えを巡らせていたのだが、エミリアが自分の部屋に戻らないと駄々をこね始めて考えるのをやめた。

 最終的にエミリアを部屋に泊めることになり、メリンダまで呼ぶことになった頃、たしかにいつもこちらが折れていると気づいた。忠臣ですからと図々しいエミリアが喜ぶ様子を眺めながら、飴を減らしてムチを増やそうと心に決めた。


 ***


 エミリアの手のひらから光が溢れ出す。その輝きは絶望の淵にいた私を明るく照らした。

 殿下の手に縋り付いたまま目の前の光景をただ見ていた。私だけでなく、その場の誰もがそうしていた。


 それは、エミリアの治癒魔法の研究によって可能となった瀕死の人間の治療。

 まばゆい輝きの中で壊された細胞が蘇っていく。組織が再構築され、血が通い、皮膚に覆われていく。みるみる穴が塞がり、紡ぎ直されたのは確かな生だ。


 これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶ。


 ああやはり、彼女の研究は『誰かの大切な人』を救った。


 彼女こそ歴代最強の治癒魔法使い。ありったけの魔力を惜しげも無く注ぎ込んだエミリアは、急に光をしまって私に向き直った。

 額の汗を拭って微笑む友人の顔を見て、全てが完了したのだとわかった。それでも確認するのが怖かった。もし彼の顔に血の気が戻っていなかったら。もしあの群青が二度と私を映さなかったら。私は、私は。


「大丈夫です」


 温かな声がする。私の忠臣が、大好きな友人が、そう言ってくれている。

 少しずつ、本当に少しずつ視線をあげた。規則正しく上下する胸。赤みが懐かしいいつも通りの顔。睫毛が震えて、その下からずっと見たかった群青がのぞいたとき。私は世界の全てに感謝した。


「あ、ああ、ああ……っ!」


 ありがとう。

 ありがとう。

 ありがとう。


「ありが、とう…っ!」


 締まる喉で必死で伝える。ありとあらゆる感情が嗚咽と涙に変わって外に出て行った。

 殿下は弱々しく目を開けて、殿下の胸で泣き続ける私の頭を撫でてくれた。エミリアはそんな私をそっと抱きしめた。二人とも、私が泣き止むまでそうしていた。

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