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その後のメリンダの報告はさらに続き、レベッカはオリヴィエの陣裏手の山に身を隠したと聞いた。メリンダに合流するよう伝える。
戦場で両軍に『冬』の中止を伝えた。大半が訳がわからないといった顔だ。彼らは一人残らずここにとどめなければならない。混乱に乗じて敵側につく兵がさらに出るかもしれないからだ。するとヴァンダレイが一人の兵士を呼び出した。
その女子生徒は深い緑色の髪で、ルウェインに「ジュディス・セデンです」と名乗った。
「オズワルドの妹か」
「はい。レベッカ・スルタルク様のことはわかんないですけど、兄が守るために戦ってるって聞きました。なら私も全力で協力します」
活発そうな少女。真っ直ぐな瞳がどうしようもなく兄を思わせた。オズワルドの妹なら信用できると考え、ルウェインはその場を後にした。『夏』で見事10位を獲得した少女の幻獣は大人数の見張りに向いているらしい。
(…遅い)
先程からルウェインが待ち望んでいるのは相棒たるグルーの到着だ。相手に見つからないよう巨大化しないで進んでいるとは言っても、そろそろこちらに到着していておかしくないはずの時間だが、来る気配がない。
『ああもう、やっと会えたわ、疲れた。あなたたち無事?』
クリスタルにそんな声が入ったのはそのときだ。メリンダは常に通信を切らないでいる。レベッカと合流したようだ。セクティアラの蝶がいるから何とかなりそうだと聞いていたが、山だけあって思ったより時間がかかった。メリンダによるこれまでの経緯の説明(と若干の愚痴)のあと、ルウェインは愛しい婚約者と話すことができた。
よくやった。
ルウェインが一番伝えたかったのはそれだ。思うに、彼の婚約者は肝心なところで彼を信じようとしない。今までそれが嫌で仕方がなかった。
それが今回はどうだろう。レベッカは自分の名前が出た途端自信を取り戻したというではないか。ルウェインの重く大きい気持ちの一部がやっとレベッカに伝わった。ルウェインはそれが嬉しかった。
ルウェインのそんな気持ちを知ってか知らずか、レベッカは『大好きだ』などという。さらに伝わることを願って「愛している」と伝えた。
しかしその直後、レベッカたちが敵に襲われた。
『レベッカ!待ってよ!』
メリンダの言葉が聞こえ、ルウェインは何が起きたのかを理解した。
「キューイ、レベッカはどの方向へ向かった」
『…っ、はい、おそらくオリヴィエの陣に戻るつもりです!解除魔法を使うと言っていましたから』
「わかった。ロウの結界でやり過ごせ。また指示するまでそこから出るな」
『了解しました』
会話の中でセクティアラの蝶がいなくなったのだろうとわかった。レベッカの陣の偵察隊であるキャランは引き上げるよう指示したのでルウェインには何があったかを確かめる術がない。そしてその第2偵察隊から一向に連絡が来ない。
ルウェインは考える。不測の事態があったらしい。早急に次の案が必要だ。
転送魔法は使えない。グルーは来ない。レベッカはメリンダと離れ連絡が取れない。
操られているかもしれない兵士たち、気配を消す魔法、音信不通の第2偵察隊、セクティアラの戦線離脱。―――セクティアラ、か。
「ヴァンダレイ!」
「ん?」
ルウェインは遠くに見える茶髪の男を呼んだ。その男は未だ動かずここに留まっていた。彼の愛馬でこの演習場を横断するより、巨大化したグルーに乗っていくほうが早いはずだったからだ。
「『目』がいると言っていたな。どこにいる?」
「まだオリヴィエの陣近くにいる。馬鹿共が集まっているそうだ!」
「見つからないギリギリまで近づくよう言え」
ヴァンダレイは表情と態度こそいつもと変わらないが、おそらくかなり苛立っている。今この男をレベッカの元へ送れば、確実にしばらくの間黙々と敵を排除し続けるだろう。それでいいと思った。
「転送魔法でその『目』のところへ行けないか。普通の転送魔法ではなく、クリスタルを使うんだ」
ヴァンダレイははっと気づいたように声をあげた。
「セクティアラの『秋』か!」
「そうだ」
セクティアラの『秋』、それはクリスタルを利用した転送魔法の易化だ。発表の時点ではまだ実用化されていなかったから難易度は高いままだが、ヴァンダレイの魔力と才能なら可能性があるとルウェインは踏んだ。
「可能性があるな、セクティアラにかなり細かく理論を聞いたことがある!」
ヴァンダレイはそこで、いつもと同じ笑顔で楽しそうに笑った。
「レベッカが俺に素晴らしい婚約者を見つけてくれたおかげでな」
転送魔法が使えるのは一日一度が限度。つまりチャンスは一回きりだ。もう一つまた別の案を考えておくべきだろう。ルウェインがその場を離れようとしたとき、
「…『目』から連絡だ!レベッカがあと少しで陣に到着するのが見えると!」
「もうか。まずいな」
「やるしかあるまい!」
ヴァンダレイは馬に飛び乗り、目を閉じて集中し始めた。魔力が高まってゆるく風を作る。
しかし時間が足りない。レベッカにそこにとどまるよう言いたいが連絡は取れない。レベッカとて敵に追いかけられている状況ではヴァンダレイが到着するのを待ってはいられないだろう。
(あともう一つ、何か)
何かないか。
そのとき。待ち望んでいたものが来た。
『こちらキャラン・ゴウデス。殿下、申し訳ございません。第2偵察隊がわたくしを残しあちら側につきました』
「お前は無事か?グルーはどうした」
『はい、グルーは『封印の箱』で捕らえられましたが――』
「すまないが時間がない、後で聞く。今どこにいる」
『オリヴィエの陣です』
「幻獣は」
『おりますわ、『叫び』も一回までなら何とか』
「十分だ。指示を出す」
勝負を分ける最後の一手。こうも運任せなのは自分が未熟な証だとルウェインは自嘲気味に笑った。
それでもいい。己の婚約者が無事でさえあれば。
キャランに何をしてほしいか伝え、レベッカが来たとの報告を聞いた。キャランの幻獣の力で欲しかった十数秒が手に入る。その間にヴァンダレイは姿を消し、キャランの声で見事転送魔法を成功させたことを知った。
安堵に顔を上げたルウェインの目があるものを捉えた。
「…遅かったな」
遠くの空から1羽の鳥が飛んでくる。『封印の箱』で捕らえられたと聞いたが、恐らくキャランが既に逃していたのだろう。近づいてくるにつれ、部屋一個分の大きさはありそうだと気づいて、随分急いで来てくれたようだと内心苦笑した。
そのとき、別方向からけたたましい音を立てて何かが近づいてきた。
「目を覚ましたか」
「おはよ殿下!これどういう状況?よくわからないけど私も行っていい?」
「ああ」
オリヴィエは既に豹に跨っていた。そして猛烈な勢いで走り出す。彼女を起こすのは最終手段だった。ルウェインの『秋』の研究成果を使えば意識を取り戻させることが可能だったかもしれないが、ルウェインの魔力をどれだけ必要とするかわかったものではなかったからだ。
自力で起きてくれてよかったと思いつつ、すでに豆粒のようなオリヴィエの後を追ってグルーに乗った。
戦いが行われている場所に近付くにつれグルーの大きさを小さくし、レベッカの姿を確認できた時点で見えるところに身を潜めた。
ヴァンダレイとオリヴィエだけで戦力的には十分だ。ルウェインの考え過ぎかもしれないが、念には念を入れ、何か不測の事態があった時のために敵に近づきすぎずに待機するべきだった。
そしてその『不測の事態』は起きた。魔力ジャックはルウェインがいるところにも届き、魔力が誰よりも多い彼を身体中に穴が空いたかのような痛みが襲う。
それでもルウェインは動いた。愛しい唯一無二を死なせないためなら何でも出来た。
本当に、何でも。
自分の命と、引き換えでも。