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ゴーン、ゴーン、ゴーン。
ルウェイン・フアバードンは、『冬』が始まってすぐに転送魔法を使った。それは本来進まなければいけない道や障害をいとも簡単に飛び越えて、彼を岩の塔内部の旗の前へ連れて行ってくれる。
しかしルウェインの予想通り、旗の前で彼を待ち構えていた男がいた。
「やあ!」
その男、ヴァンダレイ・スルタルクは一体何がそんなに楽しいのか、輝かんばかりの笑顔でルウェインを出迎えた。
こうして『合戦』で相対するのは二度目だ。去年も二人は両者ともに将軍だった。
騎馬で戦場をかけるヴァンダレイはまさに一騎当千で、今年は彼を暴れさせずに済むようルウェインはこうして室内の一対一に持ち込んだのだ。一日一回しか使えない転送魔法を開始早々に使ってまで。
「参る」
「まあ待て!」
剣を引き抜いたルウェインをヴァンダレイが止めた。
ルウェインは普段通りの無表情のまま、ぴたりと動きを止めた。
「俺も今年は、貴方と決着をつけたいと思っていたんだ!去年は結局お互い討ち取れずじまいだったからな!」
「ああ」
「そこでだ!一つ提案がある!この勝負、貴方が負けたら妹はやらない!」
突如として轟音と共に床に亀裂が走った。それはピシピシとルウェインを中心に同心円状に広がっていく。室内であるにも関わらず、強い風が逆巻いてルウェインの前髪を持ち上げた。彼はそれまで同様無表情だが、それでいてまるで鬼神のようだった。実際、ルウェインが突然魔力を全開にしたのは、紛れもなく今彼が怒っているからだ。
「何故」
「その方が貴方が本気になるからな!いつも行事に真面目に取り組んでいないのはわかっているぞ!それと単純に妹を取られるのが悔しいからだ!」
「………どっちが一番の理由だ」
「うむ、後者だな!」
「……」
ルウェインは婚約者とその兄の間にある距離に気づいていた。しかし同時に、ヴァンダレイがレベッカを大切に思っていることも知っていた。窓を作ってレベッカの生活を見ていたとき、ヴァンダレイは12歳の時までレベッカとよく一緒にいたからだ。彼はいつでも愛おしい家族を見る優しい目で妹を見ていた。
その彼から妹を奪うのだから、そのくらいの試練は甘んじて受け入れる。元々勝てると思ってここに来たのだから問題もない。
そうして戦いが始まった。この年の『冬』で最も激しい戦いは実はここで起こっていた。
ルウェインの火の魔法がヴァンダレイに襲いかかる。ヴァンダレイはそれを大剣を振るった風圧で消しとばし、そのまま流れるようにルウェインに肉薄する。ルウェインはそれを剣で受け、魔法を打ち、蹴りを放って畳み掛ける。
そんなすれすれの攻防がひたすら続いた。最初両者一歩も引かないように思われたそれは、時間が経過するとともにルウェインの優勢に傾き始める。
ヴァンダレイは歴代のスルタルク公爵の中でも若くしてトップクラスの戦闘力を誇る男だ。それを押すルウェインは、間違いなくフアバードン王家史上最強であった。
しかし10分が経過した頃、ルウェインが突然猛攻をやめてクリスタルを取り出した。
『こちらメリンダ。第1偵察隊、オリヴィエの陣に到着しました。レベッカの軍とつい先程戦い始めたところのようです』
「オリヴィエ・マークはいるか」
『いいえ、見える範囲には』
「わかった。報告を続けてくれ」
『了解』
オリヴィエがいるならすぐにわかる。つまりオリヴィエは陣にはいない。おそらく自分たちの方に向かって来ている。そうルウェインは考えた。
オリヴィエはレイ・ロウに自陣の守りを任せ、自身はルウェインとヴァンダレイという二人の三強の戦いを尻目に漁夫の利を狙うのが得策だ。しかし性格的にそれはない。
彼女はきっと豹に乗って荒野を横切り、真っ直ぐにここ、自分たちの戦っている場所までやってきて―――
「やっほお二人さん!私も混ぜてよ!」
そう、自分も混ざると言う。こんな風に。
何かが猛烈な勢いで近づいてきたかと思えば、強烈な風が巻き上がり、ルウェインとヴァンダレイの元にオリヴィエが現れたのだ。
「オリヴィエ、来るだろうと思っていた!陣は大丈夫なのか?」
ヴァンダレイが言う。オリヴィエは腰から二本の剣を抜き取ると、それに答えるようにヴァンダレイに向かって突っ込んだ。
「うん、レイを残してきたからね」
「そうか!敢えて言おう、俺の妹は強いぞ!」
「はは、じゃあ早く二人を倒してレイのところに戻らなきゃ!」
二人の剣が激しくぶつかり合う。ルウェインはと言えば、片耳を塞いでクリスタルに耳を傾けていた。先程から戦場に散らした色んな部隊から報告が集まっている。ルウェインは自身の魔法でクリスタルの容量を拡張し、数十人から同時に報告を受け取れるようにしていた。
陣の防衛を任せたフリード・ネヘルは間を開けて現れるヴァンダレイ軍の遊撃隊を旗に寄せ付けず危なげなく戦っている。
レベッカの陣にやったキャラン・ゴウデスからはセクティアラの様子が報告されている。目を閉じ黙って座っている、と。戦場に蝶を展開させているのだろう。レベッカのことだから何か考えがあるはずだ。
ヴァンダレイの主力軍との戦いの報告はガッド・メイセンという男に任せていた。頭がキレるしなかなか腕もたつようで、要領を得た戦況の分析が時折聞こえてくる。
数多の報告の中でも最も重要で分量が多いのはオリヴィエの陣へやったメリンダ・キューイからの報告だ。
先程の一回目の報告から今まで絶え間無くずっと続いている。時折『殿下、いい加減にしてくださらない?これじゃあ私オリヴィエの陣じゃなくてレベッカの偵察隊なんですけど』とのぼやきも挟まる。
ルウェインは全ての報告を同時に聞き分け理解し、今後の展開を思考することに集中していた。
すぐ近くにあるヴァンダレイの旗はヴァンダレイの幻獣である馬が守っているし、そのヴァンダレイとオリヴィエは互いに戦いに熱中している。
隙があれば手を出そうと考えながら二人の戦いを眺めていた時、ルウェインは珍しく普段の仏頂面を崩して目を見開く。
それは、その直前オリヴィエがヴァンダレイと戦いながらもルウェインに向かって後ろ手に剣を投擲してきたからではない。思わぬ報告が入ったからだ。
『――――エミリアが現れた。オリヴィエの旗が取られた。』
ルウェインはオリヴィエに投げられた剣を避けなかった。剣はルウェインの体に触れそうになったその瞬間、バキンと派手な音をさせ弾かれ、地面に落ちた。
「………あちゃー」
旗を取られた将軍はつまり戦闘不能。攻撃は無効化されるしすぐに気を失う。振り返ったオリヴィエは、その言葉を最後にがくりと膝をついた。
ヴァンダレイは目の前で意識を失ったオリヴィエを支えてゆっくりと横たえた。そして楽しそうに笑う。
「やはりレベッカは強い!そして賢く優しく何より可愛い!ますます貴方にやりたくなくなったな、俺は!」
「よし剣を構えろ、その首今すぐとってやる」
ルウェインとヴァンダレイは再び対峙した。
珍しく焦ったようなメリンダの声が聞こえてきたのはそのときだ。
「…待て。妙なことが起こっているな」
「…ああ、俺にも『目』がいるのだが、これはどういうことだろう!」
レベッカの兵士が何やら反乱を起こした。追放の魔法具があること、レベッカの幻獣が封印されたことが事態の重大さを示している。
「ヴァンダレイ、転送の魔法は使えるか」
「悔しいが無理だな!あれは本来学生が扱えるような代物ではないぞ!」
ルウェインは考える。今偵察隊を助けに入らせるべきではないだろう。戦力が不十分だ。オズワルドがいると聞いてとりあえずの無事を確信した。あの男がいるなら、一時的であるにせよレベッカを守りきれないということはないだろう。
ルウェインはキャランにオリヴィエの陣に向かうように伝え、キャランの元で待機しているはずのルウェインの幻獣・グルーをこちらに向かわせるよう指示した。グルーに乗っていくのが一番早いが、それでもかなり時間がかかる。
「こうなった以上『冬』は流れるな。ヴァンダレイ、俺があちらに向かう前に俺とお前の軍の戦いを止めるぞ」
「……そう思って連絡を取っていたのだがな…今聞いたところによると、俺の軍の遊撃隊が丸々一つ、隊長に据えていた男を含め行方不明だそうだ」
「…そいつの名前は」
「ああ、」
ルウェインは胸騒ぎがして顔をしかめた。どうしても今ここでその名前を聞いておかなければならない気がした。
「ランスロット・チャリティだ」