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4月、巨大かつ綺麗かつ巨大な校舎を前にして、真新しい制服に身を包んだ私は思わず声をあげた。
「大きい…」
周りを見ると校舎の巨大さに感動している生徒はあまり、というかいなかったので、おとなしく入学式が行われる講堂へ足を進める。
今日は王立貴族学園の第301回入学式。同時に早速春の『行事』、通称『春』が行われる日でもある。300年内容が変わっていないともあれば何を行うかは当然新入生全員既に知っている。新入生への挨拶とばかりに行われる初めての行事・『春』。緊張を隠せない生徒も多かった。
私はこの半年で攻略本を読み込んできた。他の新入生には申し訳ないがかなりのアドバンテージといえる。
えっそんなこと起こるの大丈夫なのと思うことも多かったが、母のメモによるとバッドエンドはないので死人が出たりましてや国が滅んだりはしないそうだ。もちろん私にとってそれらはハッピーエンドとは言いがたいものばかりだが。
ところで、私はこの学園に知人が三人しかいない。
一人目は婚約者であるこの国の王子、ルウェイン・フアバードン殿下。今年第2学年に進級、去年第1学年にして三強の一人になり名を馳せていらっしゃる。眉目秀麗と話題だが実はお会いしたことはない。婚約者なら顔合わせがあるのが普通のはずだが、父が許さなかったのだ。正確には、「王家から打診され渋々結んだ婚約なのに、なぜレベッカが王都まで出向かなければならないのか。そちらがうちの領までくるのが礼儀だ」ととんでもないことを言い出し、結果殿下はいらっしゃらなかった。
だから私は特に何の感情も持っていないのだが、1つ問題がある。
攻略本を見る限り、殿下はなぜか最初から私のことを嫌っていらっしゃるご様子だということだ。ゲームのレベッカは殿下をお慕いしていたのでそれがお嫌だったのだろうか。攻略本の人物紹介のページには、「攻略対象、三強、第2学年、第一王子で王位継承権あり、金髪碧眼、魔法に才能あり、レベッカの婚約者、幻獣は鷲、備考:無愛想、一番人気」とあった。
なるべく客観性を追求したという攻略本はとてもわかりやすい。文字のみで顔がわからないところだけは玉に瑕だが仕方がない。
ちなみに気になる私の紹介は、「悪役令嬢、第1学年、黒髪銀灰色の瞳、色っぽい美人、幻獣は白蛇、備考:殿下を慕ってどのルートでも主人公を妨害」と書かれており、「悪役令嬢」「備考:」には赤色で上から線が引かれ消されていた。
書きはするが認めずに消す、母の心境やこれいかに。色っぽいという評価については純粋に恥ずかしかった。
話が脱線したが、私がこの学園で知っている人物の二人目は実の兄であるヴァンダレイ・スルタルク。今年第3学年に進級し、こちらも去年三強に認められたそうだ。知らなかったので驚いた。王の右腕にと王都へ仕事の場を移した父について勉強するため、兄12歳、私10歳のとき離ればなれになって以来一度も会っていないのだ。10歳の私には手紙を書くという発想もなく、まさに音信不通である。しかし元気ならよかった。
攻略本には「攻略対象、三強、第3学年、茶髪の1つ結びでこげ茶の瞳、乗馬と剣に才能あり、幻獣は馬、備考:頼れる先輩枠」とあった。
そうなのだ、兄の髪と瞳は父譲りの茶色。対する私は黒、真っ黒のストレート。瞳だけは透き通った灰色だ。母譲りのそれらが自慢だったが、悪役令嬢という言葉を知った今は「悪役っぽいからかな」と手放しに喜べないでいる。
じゃなくて。
兄が『攻略対象』だと知ったときの驚きといったら!しかしシナリオのラストシーンを知ったときの驚きはその比ではなかった。主人公が誰の『ルート』に入っても、兄は主人公と共に私を断罪するのだ。断罪はつまりスルタルク公爵家の没落だというのに。その場合本人は婚約者の侯爵家に婿入りするらしい。
これには頭を殴られたかのような衝撃を受けた。ゲームの兄は私だけでなく父や公爵家まで切り捨てたというのか。主人公の魅力にとち狂ったのか?そう思わずにはいられないほど衝撃的だった。
実際の兄がどんな人間になったのか、少し怖い。五年間のブランクもあって正直あまり会いたいとは思えない。
三人目はメリンダ・キューイ子爵令嬢。彼女は私の唯一のお友達である。サバサバしたところが大好きだ。
12歳のとき、観劇でたまたま隣に座ったのが彼女だった。色男と大人気の俳優を「うーん…62点」と小声でぶった切ったのを聞いて、私が思わず笑ってしまったのだ。特等席なので貴族なのはわかっており、同い年だとわかったときは喜んだものだ。彼女はゲームには一切登場しないので安心できる相手でもある。
ここまででお察しの通り私は交友関係が狭い。それは『スルタルク公爵家の令嬢は公爵から愛されていない』という一時期流れた噂に起因する。
なんでも、父は赤子だった兄に大層泣かれた経験があり、生まれたばかりの私に近づこうとしなかった時期があったらしい。「女の子なのだから尚のこと大切にしてあげないと」と、会いに来るのを我慢しては遠くから眺めて3年というのだから呆れたものである。
公爵である上に昔からかなりの美丈夫だった父。それを射止めた母は元々嫉妬の嵐だった。母自身は気丈で苦にもしなかったが、悪意ある噂は止められなかった。母がやっとのことで父を捕まえ、私の元へ連れて行くことに成功したのが私が3歳の時だそうだ。引きずられて現れた父を、小さな私は笑顔で迎え、父は泣いて喜んで行動を改めた。
しかし一度流れた噂はそうそう消えない。私は悪意ある人間や噂に触れないよう真綿で包まれるように育てられることになった。それが私の世界を狭めることになるとわかっていても、両親はどうしても、私が可愛かったのだ。