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耳をつんざく爆発音が降って湧いた。それは岩の塔内部で発生したものだ。内側から塔を破壊し、熱風と衝撃波を生み出す。兵たちは敵味方関係なく、みなポカンと口を開け呆けてそれを見た。
全員の視線の先で、土煙の中から一匹の幻獣が姿を現した。
黄金の毛並み。揺れる9本の尾。その背中に乗った少女は、たった今奪い取った旗を高々と掲げて、炎と煙の中それはもう可憐に笑った。
「レベッカ様ぁ、旗、取りました!」
***
私がオリヴィエに勝つには。使えるものを全て使い、利用できるものを全て利用する必要がある。だから私は私を囮として使った。
始まりと同時、私の軍は三つに分かれた。
一つ目に私が率いる主力軍。空を飛ぶクリスティーナを先頭に突撃して相手の注目をこれでもかと集める。
二つ目に防衛軍。約三分の一、200人しかいないが、それでも十分旗を守りきれる自信があった。率いるのが他でもないセクティアラ様だからだ。彼女という最強のカードを割り振られた私は本当に運が良かった。
将軍というのは今までの成績と自身や幻獣の戦闘能力を考慮され選ばれるものだ。セクティアラ様は純粋な戦闘能力こそ他に劣るが、頭がいいし幻獣が強力だ。彼女の蝶は最大100匹に分裂でき、彼女の目と耳となってありとあらゆる情報を彼女に集約することができる。戦場に散らした蝶で常に状況を把握し、エミリアの進軍に大きく貢献したのは彼女だ。
三つ目の部隊、エミリアの奇襲軍。『軍』とは名ばかりで構成人数はエミリア一人。11月中旬、私の軍に割り振られたと飛び上がって喜んだエミリアに私が任せたのはたった1人での奇襲だった。セクティアラの蝶さえいれば見張りや他の敵を避けて進むことなど造作もない。加えてクリスティーナと同じく伝説の幻獣であるエミリアの幻獣、九尾。エミリアを背に乗せて驚くべき速さで荒野を駆け、陣の後ろの山を登り、真後ろから塔に侵入した。究極の少数精鋭である。
エミリアは本来なら軍の後方で気を失った兵の治療に当たるべきだし、レイもそう踏んでいただろう。それを敢えて単独で行動させることで相手の裏をかける。
ただ、中にいたであろうハリネズミの結界を爆破で攻略したのには正直私も度肝を抜かれた。人を治すことしかしないエミリアの幻獣である九尾は、主人の弱点を補うかのように、攻撃魔法に長けていたのだ。
誰もが状況を掴めない中、その場にそぐわない無邪気な笑顔を見せるエミリア。相手の裏をかくなら味方から騙すのは基本とはいえ、一生懸命戦ってくれた味方の兵士たちには悪いことをした。
エミリアは人の隙間を縫って私に走り寄り、飛びついてきた。
「よくやってくれたわエミリア」
「お役に立てて良かったです!」
エミリアをねぎらってから、士気を下げないよう大声をあげた。
「私たちの軍は奇襲に成功しました!それもひとえにこの場を抑えてくださった皆さんのお力あってのことです!よく頑張ってくださいました。私たちは三強、オリヴィエ・マークを破ったのです!」
戦場に私の声がこだまする。それを受け、じわじわと広まっていったのは歓喜だった。
「うおおおおお!」
「エミリアだよ!背後から旗をとったんだ!」
「やったぞ、勝った!」
至る所から上がる勝利の雄叫びにほっと息をつく。そんな私に握手を求めるように手を差し出した人がいた。オズワルドだ。
「恐れ入ったよ。僕は完全に判断を誤ったな」
「いいえ、あなたを利用するような真似をして、申し訳ない限りです」
「気にしないでいいよ。人はそれを作戦と呼ぶんだ」
爽やかな笑顔が眩しい。どこまで人がいいのか。思わず感心した時だった。
視界の端にありえない光景が映った。
「キュウウウウ!」
「!? クリスティーナッ!」
一目散にそちらへ駆け出す。伸ばした手も虚しく、クリスティーナは苦しそうなうめき声をあげながら何か箱のようなものに吸い込まれていった。
あれは封印だ。やったのは一人の兵だった。
「戦いは終わりました!やめてください!」
人をかき分け、余裕なく叫ぶ。ただならぬ雰囲気に周りの視線が集まった。男の肩を掴んで振り向かせたとき、目を見開かずにはいられなかった。男の鎧の胸には、将たる私の家の家紋が入っていた。
「なぜ」
名前も知らないその男は私の軍の兵だったのだ。
彼は私の手を振り払って後ろへ下がった。そして箱を左手で持ち、右手で剣を抜いた。
わけがわからないが素早く後ずさる。そんな私を庇うように前に出たのはオズワルドだった。
「君、何をしている?」
追いかけてきてくれたらしい彼は、この状況の異常さに気づいている。
男はそれをものともせず、突然がなった。
「レベッカ・スルタルク!公爵家の立場を利用したお前の卑劣な悪事の数々は全てわかっている!王家の名のもと国外追放を言い渡す!」
…………え?
頭をよぎったのは悪役令嬢レベッカの断罪イベント。それは間違いなく、一言一句違わず、レベッカが舞踏会で言われるはずの言葉だった。
男の声に応えるように数十人の兵が私を取り囲んだ。敵兵も味方の兵も入り混じっている。これは事前に予定されていたことらしい。
そして、私を最も怖がらせたのは男が取り出した魔法具だ。つやつやと黒い筒状のそれ。間違いなく公の場で罪人が追放されるときに使われるものだ。転送魔法を充填してあるらしく、あれを罪人の首筋に当てるとそこに罪人の証が入り、一瞬で国外に飛ばされる。大変貴重なものでこの国に数本しかない。一介の生徒が持っていていいものではないのだ。あれがある時点で、この騒ぎを馬鹿馬鹿しいと無視することはできなくなった。
しかしわからない。状況がつかめない。私は何もしてないし、シナリオは変わったはずだろう。それがどうしてこんな、行事の途中で。
「繰り返す、レベッカ・スルタルク!お前を国外追放の刑に処す」
ただ、それはこの次の言葉だった。
私を水を浴びせたかのように冷静にしたのは、次の言葉だ。
「これはルウェイン殿下も承知のことである!」
―――何だって?
急にすっきりした思考で顔を上げると、エミリアがそばで私を支え、私の顔を覗き込んでいたことに気づいた。彼女は私の表情を見て安心したようだ。
エミリアから離れ、オズワルドの背中から一歩進みでる。
「賊、今すぐ発言を撤回しなさい」
至って普通の落ち着いた声が出た。ピンと伸ばした背筋はもう曲がらない。表情はいつもと同じ、『にっこり』と音がしそうな微笑みだ。
「次期王妃たる私の前でルウェイン殿下の名を弄するとは。この罪は重いわ。覚悟なさい」
柔和な笑顔で毒を吐けば、相手は怯んで一歩退く。私は令嬢。それもスルタルクの宝石令嬢で、しかも王子の婚約者だ。
そして何よりも。
『ルウェイン殿下も承知している。』
その言葉は混乱や動揺、恐怖といった感情を全て押し流して消し去るのに十分だった。
「わ、我々は上からの指示で動いている!お前はもはや次期王妃ではない!」
「困った命令を出す方もいるものですね。どこのどなたでしょう」
「答える義理はない!」
男がギリギリと歯を食いしばる。そして剣を握り直して一歩進み出た。それに合わせて、オズワルドが再び私を背中に庇った。
「セデン!これは高貴な方からのご指示なのだ。お前も剣を抜いてその女を捕らえる手伝いをしたほうが身のためだ!」
男が叫ぶ。オズワルドは少し間を置いてから剣を抜いた。隣のエミリアが私の腕を掴む。おそらくこの場を抜け出す算段を立てているのだろう。
私はといえば、一歩も引かず、オズワルドの様子をその広い背中の影から見ていた。
オズワルドが抜刀したことに満足そうな顔をした男。しかしすぐにぎょっとしてたたらを踏んだ。
オズワルドはただただ真っ直ぐ、何のためらいもぶれもなく、男に向かって剣を向けていた。
「いいか、俺には俺の正義がある。決して揺るがぬ絶対の正義だ。この人は俺の友人の大切な人だ。彼女を傷つけたいなら俺が相手になる。誰の指示だろうと、構うものか」
吐き捨てるように言ったオズワルドは、攻略対象、五高が一人。彼こそは、この学園で最も熱く、曲がったことを嫌う男だ。
「行け」
振り返ったオズワルドが短く言った。その言葉を聞いた瞬間動いたのはエミリアだ。私を軽々と引っ張り上げて九尾に飛び乗る。
あの失礼な男相手に啖呵を切ったはいいが、間違ってもあの魔法具を使われたら取り返しがつかないし、今は多勢に無勢すぎる。周りを見る限り、今この場にいるのは私を捕らえようとする者とどうすればいいか判断がつかず動けずにいる者がほとんどなのだ。
そのどちらでもないのは、私とエミリア、オズワルド、そしてもう一人。
「こっちへ!」
それは先程から崩れた塔の瓦礫に隠れて状況を窺っていたレイだった。遠くから私たちを山の中へ誘導するように手を振っている。
「どうしますか」
エミリアが問う。
彼女があちら側でないと言う確証が欲しい。息を吸い込んで叫んだ。
「忠臣である証拠を!」
その声が届くや否や、レイは胸元から何か取り出した。それは薄い水色ではなく、サファイヤのようなブルーに染まったクリスタル。色が通常より濃いのは、一般兵よりも将軍と繋がりが濃いということ。つまり、彼女がオリヴィエの忠臣だという証拠だ。
九尾が方向を転換し、レイに向かって駆け始めた。オリヴィエの人となりは知っている。そしてそれは信用するに値する。私たちはレイとオリヴィエを信じることにしたのだ。
途中でレイを引っ張り上げ、私たちはあっという間に山の中へ姿を消した。その直前振り返れば、たった一人で数十人を相手取るオズワルドの姿が見えた。彼とクリスティーナのことだけがひどく心配だった。




