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『冬』の準備はもう始まっている。『秋』が終わってすぐに学園長からの説明があって、きたる『合戦』に向けてそれぞれに動き出した。
だが11月の終わりといえばもう一つやらなければならないことがある。半月後、冬季休業の直前にある試験に向け、また勉強開始である。私は今回もエミリアに勉強を教えるつもりだ。自分が抜かされないよう気を引き締めて臨む。
「今回は私もベスト3入りを目指すわよ」
そう意気込んだのはメリンダだ。どういう心境の変化かと思ったら、
「もしあなたたちが三強に選ばれたとき、私が何でもなかったら格好悪いじゃない」
とのことだ。
なるほど、たしかにメリンダは五高が射程圏内だ。『春』は20位、『夏』は12位だったと言っていた。ゲームでは名前が出て来なかったが、それは先日9位だった『秋』がオウカの襲撃で流れたせいだろう。
というわけで放課後は3人で勉強する。ある日そこにランスロットがやって来た。スキップしそうな勢いだが、何か良いことでもあったのだろうか。爽やか元放蕩の彼は最近宰相である父親の仕事をよく手伝っていると評判だ。
彼はひょこひょこ近づいてくるなり、私の手をとって跪いた。満面の笑みである。
「レベッカ嬢!僕にも勉強を教えてもらえませんか?」
そしてまた変なことを言い出した。手にキスされそうだったのでぴしゃりと叩く。
前から思っていたが、彼のこの活力はどこから湧いてくるのだろう。メリンダもため息をついている。エミリアの威嚇がものともされていない。慣れてしまったのだろう。するとエミリアは何を思ったか遠くで遊んでいた九尾を呼んだ。その最終手段はランスロットの命に関わるのではないだろうか。
そのとき向こうから殿下が歩いて来た。
嬉しくなって自然と笑顔を向けたのだが、彼が唇の動きだけで伝えて来たのはこんな言葉だった。
オシオキ。
―――監禁。
うふふ、一刻も早くランスロットから距離を取るとしよう。
心配しなくてもランスロットは殿下に気づくとさっさと逃げていったので助かった。殿下は私の隣に腰を下ろした。
「レベッカ、賭けをしないか」
ランスロットのことはさして気にしていないようで、胸を撫で下ろす。
「賭け、ですか?」
「ああ。今回の試験で俺が第2学年の一位になるか否か、俺は前者に賭ける。俺が勝ったらレベッカに俺の言うことを何でも一つ聞いて欲しい」
…『何でも一つ』?
ぱちくりと瞬きする。私に何かしてほしいことがあるなら普通に言ってくれればいいと思う。―――けど。
「殿下が負けたら?」
「君の言うことを何でも一つ聞こう」
「のった!」
正直殿下が一位を取れないところは想像できないが、なかなか魅力的な条件だ。乗らないわけにはいくまい。特に何かお願いがあるわけでもないけど。
「そうこなくてはな」
間髪入れずに了承した私を見て、殿下は楽しそうに笑った。
***
12月も半分が過ぎた頃、先日の試験の結果が発表され、殿下は見事第二学年の一位に輝いた。
三学年の結果は以下の通りだ。
第1学年
3位 ガッド・メイセン
3位 エミリア
2位 メリンダ・キューイ
1位 レベッカ・スルタルク
第2学年
3位 オズワルド・セデン
2位 キャラン・ゴウデス
1位 ルウェイン・フアバードン
第3学年
3位 レイ・ロウ
2位 セクティアラ・ゾフ
1位 ヴァンダレイ・スルタルク
見た瞬間、3人で手を取り合って喜んだ。
「すごいです!」
「頑張ったわね私たち!」
「ええ、嬉しいわ」
中庭には張り出された結果を見るためたくさんの生徒が集まっていた。お互いに抱きついて喜び合っていると、がやがやしていた周りが急に静かになった。
「あ、レベッカ様!」
「え?」
生徒たちの視線はたった一人の男に吸い寄せられている。人だかりを割るようにして歩み近づいてくるのは、私の一番大好きな人だ。
彼は私たちから少し離れたところで足を止めた。
「レベッカ、賭けのことを覚えているか」
周囲は固唾を飲んでこちらに注目している。殿下がわざわざ目立とうとしていることはわかるが、状況が掴みきれない。私はエミリアとメリンダがそっと離れたことにも気づけず、彼のことだけを見ていた。
やっとのことでこくりと頷くと、殿下はゆっくり膝をつき、甘いマスクで微笑んだ。その手には一輪の薔薇があった。
――――王子さま。
当たり前の単語が脳裏に浮かんだ。
「俺と一緒に舞踏会に行ってくれ」
この瞬間私の胸を満たした感情は筆舌に尽くしがたい。あえて一言で言うなら、紛れもない歓喜と、そして途方も無い安堵だ。
『冬』のあとには舞踏会がある。男性が薔薇の花を渡してそのお誘いをするのは、「愛している」という意思表示。それも学校・家公認の関係にしか許されない。いわば公開プロポーズだ。
そして私にとってはもう一つ意味がある。主人公と攻略対象はこの舞踏会で結ばれる。ゲームのエンディング、最終ゴールだ。
婚約者だから共に舞踏会に行くのは当たり前だ。しかし今私は、明確な愛の告白と共に、まるで主人公にでもなったように舞踏会に誘ってもらえたのだ。
周りがざわざわと騒がしさを取り戻した。私が感動のあまり涙をにじませているせいだろう。だが周りなんてどうだっていい。大好きな彼が、私を心底愛しいものを見る目で見つめてくれている限りは。
「はい、喜んで…っ」
手を取られ、髪に薔薇を差してもらった。殿下は私を連れてすぐにその場をあとにする。後ろを振り返ればメリンダとエミリアが手を振って見送ってくれている。笑顔で振り返した。
ああ、私は今日も幸せだ。
***
中庭の喧騒から抜け出すと殿下に大事な話をされた。全て聞き終わった後、自分の部屋に戻り一人考え事をした。
話はオウカのことだった。学園および王家は、遂に彼の正体を突き止めるに至ったのだ。
『あの男、オウカは19年前王立貴族学園に在籍していた生徒だ。悪しき魔法に手を染め禁忌を犯そうとしたため学園長により封印された。封印を歪めて度々精神体として活動していたようだが、先日王家直属の魔法使いにより封印はかけ直された。もう姿を現すことはないだろう』
話の間ずっと手を握られていた。何度か接触して怖い思いをしたから心配してくれていたのだろう。
部屋で一人目を閉じて、オウカのあの、娘を見る父親のような目を思い出す。
そうか、彼は封印し直されたか。『秋』に現れずシナリオ通り肉体を復活させなかったのだから当然といえば当然の帰結だ。王家と学園はずっと彼を追っていたのだから。
オウカのやりたかったことが私にはもうわからない。シナリオを復活させるのではなかったのか。『冬』は彼が登場するはずだったのに。
もうすぐ冬季休業が始まる。冬季休業は長期休業の中で唯一生徒たちが実家に帰らない。『冬』の準備をするためだ。
シナリオでは、『冬』は本格的にオウカが介入するため混乱を極める。もはや行事どころではなくオウカとの最終決戦が攻略対象と主人公総出で行われる。
だが現実では、オウカが現れない上、もろもろシナリオとの食い違いが大きすぎて攻略本は参考にならない。この『冬』は完全な実力勝負になるのだ。
私にとって学園入学以来初めての、本当の勝負が始まる。




