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 殿下は私より先に口を開いた。


「レベッカ・スルタルク。お前は誰だ?」

「………え?」

「お前は誰だと聞いている」

「で、殿下?」


 殿下は伏せていた顔を上げ――私を、睨んだ。私の大好きな群青が今だけは深海にも空にも見えない。今はまるで青い炎だ。冷静に見えて、その実私の身体を視線だけで燃やし尽くそうとしているかのように熱い。


 それを見て困惑が納得に変わった。この人は私の知るいつもの彼ではない。今はそう、激しい怒りを隠そうともしないただの一人の男だ。


「お前は、婚約者だろう、俺の」


 近づかれて、その腕に掴まれるのが怖いと思った。思わず一歩後ずさったのはよくなかった。『気に入らない』と、彼の目が言っている。

 伸びてきた腕が今度こそ私を捉えた。


「あ、わっ」


 突然景色が数段高くなって、抱き上げられたのだと気づく。次いで仰向けに寝かされるように下ろされたとき、背中を預けた先は何やら柔らかく。自分のベッドの上だと気づいた。そして漸くはっきりと身の危険を感じた。

 彼は私の両側に腕をついて私を見下ろす。


「なぜ俺に他の女を宛てがおうとする?俺のことが嫌いになったか?」


 脳内で危険信号が明滅している。つい体を起こし肘をついて後ろ向きに這いずった。


「逃げ出したいか?」


 やっとのことでとった距離は、彼が私にのしかかったことであっという間に詰められてしまう。


「俺が怖いか?」


 両手で顔を挟まれ視線を合わさせられる。鼻と鼻がくっつきそうな距離。逃げ場が無い。目の前に群青が広がってビクリと震えた。


 彼はゆっくりと、言い聞かせるように、命令した。


「俺から離れようとするのは許さない。お前が俺を嫌いになろうと、絶対に離してやらない。俺の妃になるのはお前だ。他の誰も決して認めない」


 知らず息を呑んだ。

 その声が懇願するようでもあったからだ。


 強すぎる怒りをたたえ、青い炎のごとくゆらめいているように見えた群青。そこに同時に一抹の悲しみを見た。


 首元に顔を埋められた。殿下はそうして私の身体をきつく抱きしめたまま動かなくなってしまった。本当に指くらいしか動かせないが、頭はやっと回り始めた。

 私を掴んだ腕も、ベッドに下ろしたときの動作も、頰に触れた両の手も。全て壊れ物を扱うみたいに優しかったのに、私はなぜ殿下を別人のように思って怖がってしまったのか。


「殿下は…」

「お前を大切にしようと思っていたのに」


 遮るように不穏なことを言われた。

 気を取り直してもう一度。


「殿下は、『一緒にいるなら私がいい』と、思ってくださっていますか?」

「そんな可愛いものじゃない」


 殿下は私の首元から顔を上げた。


「この感情は、そんな可愛いものじゃない」


 けど、目が合わない。


「お前に押し付けるには歪すぎるとわかっている。だが俺はお前だけいればいい。お前だけをずっと見てきた。他の誰のことも見るな、他の誰にもお前を見せるな。もしお前が他の男の元へ行こうものなら俺は」


 感情の吐露はそこで止まった。私の喉の辺りに注がれていた視線は上がって、



「愛している、レベッカ」



 溢れ出た全ての想いを収束した言葉を、全ての想いを宿した瞳で、言った。


 ずっとその言葉が聞きたかった。

 言語化できない万感の思いは僅かな涙になって目尻に浮かんだ。殿下がそれに吸い付くみたいにキスを降らせたので、言葉にできない気持ちまで受け取ってもらえたみたいで嬉しかった。


「わたしも、すきです」


 心なしか舌ったらずになってしまったのは、本格的に鼻がつんとしてきたせいだ。


 それに対する殿下の返答は口付けだった。

 呼吸の仕方がわからなくなったことにまあ何でもいいかと開き直り、上手に呼吸ができるようになって、一周回ってまたわからなくなってしまってもまだ唇が離されない、長い長い1回のキスだった。


 ***


 漸く唇が離されて、殿下の腕にすっぽり包み込まれたまま彼の顔を見上げた。彼は横になったままで私を離すそぶりが全くない。外が本格的に暗くなったせいで、元々薄暗かった室内は今真っ暗だ。殿下はこのままここで眠るつもりなんだろうか。ここは私のベッドだけど。


「殿下」

「なんだ」

「私がよく読んでいる本があるのをご存知ですか」


 閉じられていた目が薄く開かれた。群青が少し見下ろすようにして私を見る。小さい声で囁くように言った私に合わせて、いつもより低い、幾分掠れた声が返ってきた。


「…出会う半年ほど前から熱心に何かを読んでいるのを、『窓』からよく見たな」

「中身はご存知ですか?」

「いいや」

「予想はついていらっしゃいますか?」

「ああ」


 間を空けず返ってきた返事に少しだけ体を強ばらせる。


「お前は時折まるで未来を知っているかのような言動をする。幻獣が現れる前からだから龍の力ではない。あの本が関係あるかもしれないと思ってはいた。…誰かの幻獣の予知能力か何かなのか?」

「…いいえ」

「そうか」

「お聞きにならないんですか?」

「話したいのか?」

「…いいえ、話せるとは思いますが、話したいとは思いません」

「ならいい」


 殿下はそう言うとまた目を閉じてしまった。私を抱え直し、心地いい体勢を探して身じろぎする。

 完全に寝る前の人間の行動に、目をぱちくりさせたのは私だ。


「…私殿下に秘密があるんですよ?悪い女なんです」

「悪い女でも、レベッカなら好きだ」


 言葉に詰まる。『悪い』どころか『悪役』という意味だとちゃんとわかっているのだろうか。


「…本当?」


 わかっているはずない。だけど聞いた。


「本当だ。この気持ちは何があっても変わらない」


 殿下の声は低くて小さい。ここには私たち二人しかいないのに、私たちは二人だけで秘密の話をするみたいに話していた。まるで眠る前のこしょこしょ話だ。子供の頃から、そうやって教えてもらえる話は、内緒の一番本当の話と決まっている。


「もう7年程前、毎日退屈していた時があった。今思えば第一王子としての責任や周りの期待が重荷だった。当時自覚はなかったが…俺は潰れかけていた。

 一つ下の婚約者を覗き見ようと思い立ったのはそんなときだ。窓を作って見てみると、それは年の割に大人びた少女だった。可愛い子で、周りの全ての人間をその笑顔と明るさで癒していた。毎日時間をかけて綺麗な花を一輪選んで摘んでは母親に渡す優しい子だった。暇さえあれば眺めるようになった。まるで太陽を見つけたみたいな気分だった。」


 花のことは覚えていた。殿下はそれを見ていたのか。口を挟まずじっと耳を傾けた。


「3ヶ月ほど経ったある日だ。真夜中に彼女を覗いた。課題で遅くなってしまって、寝ている姿を確認したら自分もすぐ寝ようと思ったんだ。そのとき初めて知った。彼女は夜になると一人で泣いていた」

「…」

「寂しかったんだろうな。母は病気になってしまい、兄や父は忙しかった。彼女は我儘を言わず周りに迷惑をかけないようにしようと思えるほど賢かった。だが寂しくて夜泣いてしまうくらいには幼かった。

 毛布にくるまって声も出さずにぽろぽろ泣き続ける少女をいつまでも見ていた。そして決めた。俺が守ると。結婚して、もう二度と寂しい思いなどさせずに、何よりも大切にしようと」

「…」

「それが毎日を生きる理由になった。魔法も剣も、政治学も帝王学も馬も弓も、使えそうなものは全て身につけた。彼女を守るためだと思えば何も苦しくなかった。学園でも第1学年で三強になれるように努力した。一年後会えたときに、少しでも良く見られたかったんだ。初めて会える日はどうしても我慢できなくて行事を放って探しに行ったな。そして会えた。レベッカ、お前に」

「…」


 殿下は私の頰にそっと手をやる。額を合わせ、一際優しく言う。


「わかったか?愛している。きっと、この気持ちの一万分の一も、お前に伝わっていない」


 そんな風に言われても、それでも声が出せなかった。きっと一つ残らず嗚咽に変わってしまうとわかったからだ。

 本当は「そんなことはない」と言いたい。「痛いくらい伝わっている」、と。胸が、目が、喉が、心が。痛いくらいに。


 この気持ちを表す言葉が見つからなくて苦しい。この衝動は、この痛いくらいの愛しさは、あと何回「愛してる」をいえば伝わるのだろう。


『きっと、この気持ちの一万分の一も、お前に伝わっていない』。


 ああ、殿下も今こんな気持ちなのだ。似た者同士の私たちは、お互いにお互いの事が愛しくて愛しくて仕方なくて、言葉にしきれず苦しんでいる。それはまさしく、『伝わっている』ということだ。


 この先これ以上幸せな日が来るだろうか?幸せな気持ちで目を閉じてから思った。

 きっとくる。この先もこの人と一緒なら。


 ***


「エミリア!私を謀ったのですってね!」


 翌日、珍しく怒りを露わに友人を問い詰めた。


「私本気で応援しようとしたんだから!」

「すみません…。でも、でも、結果うまくいってよかったですぅ」


 エミリアはへにゃりと笑った。可愛かったので許そうかと思ったが、しかしやっぱり腹の虫が治らなかったので三日間口を利かないと宣言した。

 エミリアは一日もしないうちに音をあげ、メリンダを通し泣きついてきたので、とりあえず溜飲は下がった。

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