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キャラン・ゴウデス。「五高、第2学年、魔法に才能あり、赤色の巻き髪、幻獣は子熊」。『春』は6位だったと記憶している。
彼女は学園でも有名だ。気の強さは揺るぎない努力の裏返しと評判で、「取り巻き」と揶揄されることもあるファンクラブ・『親衛隊』が存在する。
曲がった事が大嫌いという理由からシナリオではエミリアに手を貸してくれるキャラクターだった。間違ってもエミリアを誘拐するような人ではないはずなのに。軟禁されているエミリアを助けに来たとか、まさかそんなことは無いといいが。
私は比較的落ち着いていた。万が一を考え既に手は打ってある。
「チェタン、報告を求めます。エミリアはそちらに来ましたか?」
胸元から取り出したのは小さなクリスタルのネックレス。淡い水色に透き通ったそれは、持ち主の魔力を糧に、登録した人物との遠距離通信を可能にする。この国ではよく普及している物だ。
『はい、レベッカ様。15分ほど前エミリア様が赤い髪の女性に連れられ突然現れました。魔力でできた縄で縛られていらっしゃいますが特にお怪我はございません。お二人はお話しされているだけで今のところ差し迫った危険は無いかと思います。結界を張られていて声は聞こえません。突入を試みますか?』
「いいえ。何人か連れて20分以内に向かいます。到着する前に何か起きたら突入して欲しいですが、捨て身は許しません」
『承知しました』
エミリアたちがいるのはここから馬で15分ほどのところにある、今の時期は使われていない神殿。もともとレベッカが攫って連れて行くはずだった場所だ。だからここから近い。別の人間に攫われてもそこが舞台になると睨んでいたので人を置いていた。予想が当たってよかった。
しかし、あくまでも万一攫われた場合を考えて、だった。何日かかるか分からなかったこともあり、信のおける従者であるさっきの彼ともう二人くらいしかいない。
エミリアが忽然と消え、そして現れたのはほぼ間違いなく転送魔法。『春』で多用されたから慣れてしまったが、ほとんどの人間には試すことすら許されない超高難度魔法を使う相手に、3人は心許ない。
警備の騎士のうち、特に魔法を得意とする者を6人かき集め馬に飛び乗る。結局攻略対象よろしく助けに行くことになってしまった。
馬を走らせながら心の中で「冷静に」と唱える。
大丈夫。エミリアは何事もなく帰って来られる。だってあの子、ちゃんと自分の卵を持っていった。
オフシーズンの神殿は薄暗くて不気味だ。エミリアとキャランがいる礼拝堂には報告通り結界が張ってあった。
声を遮断するだけじゃない。一定年齢以下の女性しか入れないようになっているのだと、自分以外が全員結界に阻まれたとき思った。これもシナリオ通りだ。大人数でガヤガヤ突入、というわけにはいかないらしい。
騎士たちには時間がかかっても結界を無効化する努力をしてもらうことにして、私は一人礼拝堂に足を踏み入れた。途端に大きな声が聞こえてくる。
話はどこまで進んだだろう?堂々と入ったりせず体勢を低くして様子をうかがう。
礼拝堂には長椅子が同心円状にずらりと並べられていて、中心は丸く空いていた。そこにエミリアとキャランが向かい合っている。
大声を出すエミリアを見て怪我はしていないと胸を撫で下ろした。しかし縄で縛られたままだ。魔力でできてさえいなければ、縄どころか鎖でも引きちぎれたでしょうに。
エミリアの姿を確認できても、安心はできなかった。
私が入ったときちょうど、豊かな赤い髪をした女性が、両手で抱えた卵を振り下ろすように床に叩きつけようとしていた。
「やめて、やめて、だめぇっ!」
そんなに大きい声を出さなくても平気だよエミリア。だってほら。
卵が床につく直前、突き出た太い尻尾が先に殻を割ったのだ。床に叩きつけられた衝撃で一気に全容を現したその幻獣。生まれたばかりとは思えない神々しさは思わずひれ伏したくなるほどだ。ぶわりと広がるもう8本の尻尾。こがね色の体を艶めかせ、巨大な体躯と真っ赤な瞳でキャランを見下ろしていた。
「九尾……?」
エミリアが呟く。
そう、人はその獣をそう呼ぶ。エミリアの聖の魔力と神殿の聖気で覚醒し生まれた、気高き狐の女王である。
誰よりも驚いたのはエミリアだ。およそ卵に収まっていたとは思えない質量の幻獣を前に、一言呟くなりポカンとして動かなくなってしまった。
シナリオではここでレベッカが腰を抜かして、九尾がエミリアの縄を噛み砕き外してくれて、エミリアは気を持ち直して「私はあなたには負けないし、こんなことも二度としないで」と告げて出て行こうとする。 そうしたらレベッカが公爵家の金庫から持ち出した『封じの札』で九尾を一時的に抑えて食い下がったものだからエミリアは再びピンチに陥って、攻略対象の一人が結界を破り助けに来る…という流れである。
が。
私は今この隙にサッとエミリアを回収してしまおう。まさかキャランが『封じの札』を持っていても嫌だから。礼拝堂から出てしまえば安全なんだし、攻略対象とは違ってかっこよく登場しなくてもいいのだから、エミリアを連れて早くここから出てしまおう。
素早くエミリアに近づいた。乱入した私の存在にキャランが気づいた時は既に、エミリアを立ち上がらせ一緒に扉に向かって走り出していた。九尾は主人について来る。
よし、完璧だ。逃げ切れる!
目の前に人間が現れて私の行く手を塞いだのは、扉に向かって手を伸ばす直前だった。