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殿下に送られて帰宅するとメリンダの質問攻めにあった。特に私の格好に対する殿下の反応が気になるようだ。
「もっと何かなかったの?例えば君より美しい人を僕は見たことないとか妖精も裸足で逃げ出すほどだとかこんな婚約者を持てたことを天に感謝してもしきれない、とか」
「メリンダ、それはもう殿下じゃないわ」
一般人でもないだろう。多分詩人かなにかだ。
綺麗だと初めて言われたので私は十分嬉しかったけど。メリンダは物足りないらしい。
「まあいいわ…他の詳しいことはあの子もいるときに聞くから」
唇を尖らせるメリンダ。実は5日後エミリアがキューイ邸に来ることになっている。彼女には弟妹がたくさんいるそうで、あまり長く家を空けたくないと言っていたので一泊二日だ。
『夏季休業中またお泊まり女子会がしたい』。これが先日のテストで3位をとったエミリアがねだったご褒美だ。
可愛らしいお願いに拍子抜けして本当にそれでいいのかと確認してしまった。私は彼女に似合いそうな宝石を2つ3つ譲ろうと思っていたのだ。
5日後、エミリアは馬車に乗ってやって来た。そして到着するなりほへえと声をあげていた。キューイ邸の大きさに圧倒されたらしい。
私とメリンダはといえば、そんなエミリアが小脇に抱えている別の物の大きさに圧倒されていた。
「…エミリア、その卵前見た時よりかなり大きくなってる気がするんだけど?」
そう尋ねたメリンダは顔を引きつらせている。
「卵って大きくなるの…?」
メリンダの困惑はもっともだ。エミリアの優しさと膨大な魔力を糧に幻獣が破格の成長を遂げているのだと攻略本で知っていなければ、私とて同じように顔を引きつらせた自信がある。
「そうなんですよねぇ」と笑うエミリア。
シナリオでは、幻獣祭の優勝は彼女だ。
***
夜が更けても、1つのベッドの上で身を寄せ合いお喋りを続けた。
今日はメリンダと二人でエミリアに乗馬を教えたり、創作料理大会を開催したり、小さな子供みたいに庭の芝生に寝転がってお昼寝したり、なかなか実りある1日だったといえよう。
二人は夜中瞼が下がってきても「寝ない」と言い張っていた。エミリアに至っては「お友達と『オールナイト』するの夢だったんですよぅ」とよくわからないことを言ってごねた。
しかし午前2時を過ぎると、二人仲良く夢の世界へ旅立った。私が眠くないのは昼間に芝生で熟睡をかましたせいだろう。
吐いたため息は暗い部屋に溶けて無くなった。二人の寝顔を眺めながらぼんやり考える。
例の一大イベントは8月の頭。つまり半月後に迫っている。内容はこうだ。ある日町に買い物に出かけたエミリアは、嫌がらせのついでに『夏』に参加できないようにしてやろうと目論んだ悪役令嬢レベッカに攫われ、幻獣の卵を奪われそうになる。
もちろん私はそんなことしないが、今までのことを考えれば攫うのが別の誰かになるだけだろうと踏んでいる。
重要なのは、そこで助けに来てくれる攻略対象こそ、主人公の最終的な恋のお相手ということだ。
その後上手くハッピーエンドに持っていけるかは別として、ルートはここで完全に分岐するのだ。
しかし私は自分でエミリアを助けるつもりだ。様々なイベントを軒並み私が消化している今、静観していてもしも誰も来なかったらどうする。というかできれば未然に防ぎたい。ゲームの強制力と戦って勝てるかどうか定かではないが。
そんな私にとって大変喜ばしい事実が一つある。
殿下は絶対に助けに来られないということだ。何故かといえばこれは物理的な問題だ。7月の終わりから8月の上旬にかけ、殿下はスルタルク公爵家領を訪ねることになっているのだ。殿下が婚約を続行する意向であり、私がそれを受け入れていることを確認した父の進言だった。
多忙な殿下の仕事を父が幾分肩代わりし、本来なら馬車で片道4日かかるところを2日で行く。一歳の誕生日を迎え逞しい成長を遂げたグルーだからできる強行軍である。そんな旅程なので私がついていくという話にはならなかった。
これならゲームの強制力がどれほど強かろうが、殿下は助けに来られず、シナリオ上でもエミリアと殿下が結ばれることはないと決まる。私にはこれ以上ないくらい嬉しい。
ふと考え事をやめて窓の外に目を向けた。窓から涼しい風が入って頬を撫でたからだ。部屋の中も外も暗いが、空には明るい星が煌々と瞬いている。それを見て決意を新たにした。
大丈夫、エミリア。私はきっとあなたを守ってみせる。
***
8月に入った日。私は王都の父の家にエミリアを招待していた。1日だけと呼んだが、このままずるずると滞在してもらうつもりだ。前に小さい弟妹が多くて大変だと言っていたので、エミリアの家には既に公爵家の使用人を手伝い兼報告に向かわせている。
父は今日も仕事で屋敷にいない。殿下の予定を一週間も空けるという無理を断行したためだ。
今朝も私を一度抱きしめてから「お前のためだと思えば苦でもない」と笑って出て行った。なんて素敵な父さまなんだろう。
今、この家の警備体制は普段の倍レベルに強化してある。父に迷惑をかけないよう、使用人に直接言いつけて、だ。誰が来ても入れない。エミリアが外に出たいと言っても決して出さない。
これでも誘拐されるならそのときはそのときだ。シナリオの強制力に舌を巻きつつ全力で助けに向かうのみ。これではほとんど軟禁だが、頑張って楽しませるのでエミリアには何とか我慢してほしい。
私の予想では、期間はエミリアの幻獣の卵が孵るまでが一つの目安だ。エミリアの幻獣はこのイベント中に孵り、戦局をひっくり返す役目を持つからだ。殿下は昨日出発された。万事問題はない。
少しだけ異変が起こったのはその日の夕方のことだ。
私とエミリアは本の感想を言い合いつつお茶を飲んでいた。ゲームのシナリオではもう事件が終わる頃だなと思っていると、執事長がやって来て来客を告げた。今日は客をもてなす気はないと断ろうとするも、父の恩師だったのでまさか追い返すわけにもいかず。家の代表として父の不在を伝えるべくエミリアのそばを離れた。誰が来ても会わないこと、どこにも行かないことをエミリアに約束させてから。
かなり不審だと思うのだが、エミリアは「それがレベッカ様の望みなら」と許してくれた。だから安心して来客の対応をして、戻ってきてエミリアがいなかったとき仰天した。代わりに執事が一人待っていた。
どうにも追い返せない相手が来て、今別室でエミリアと話をしていると。その人物とは五高の一人、キャラン・ゴウデス侯爵令嬢だと。しかも彼女は従者も連れず一人で来たと。
二人がいるはずの部屋はもぬけの殻だった。