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ある日寮の自分の部屋にて、私は石像も真っ青の硬直っぷりを披露していた。口は半開きのまま。手は洗面所のドアノブにかけたまま。
目線は、自分の部屋にいるはずのないその人物に釘付けになったまま。
順を追って説明させてほしい。
授業を終え寮に帰宅した私は、課題家事等を後回しにして先に風呂を済ませた。
風呂はそれぞれの部屋に一つ付いているので、思い切り体を伸ばせて良い。最近お気に入りの入浴剤はピーチフラワーノートといって、甘すぎない香りがちょうど良、じゃなかったそれは今どうでもいい。
ともかく、早々と風呂に入った。今日は用事があるからだった。そうでなければこんなに早く風呂に入ったりしない。
私の視線の先にいる彼も、まさか私がこの時間に風呂に入るなどとは思いもしなかったに違いない。そうでなければ彼も今私に負けず劣らずの硬直っぷりを披露してはいないだろう。美形というのは固まってしまってもやっぱり美形だ。それどころか古来から人間が美形を彫像にしてきたことからもわかるように、表情が抜け落ちることで美しさはさらに洗練さ、じゃなかったそれも今はどうでもいい。
動揺が思考にありありと表れている。
要領を得なくて大変申し訳ない。
つまりだ。風呂上がりの私。楽だからという理由で、襟ぐりの広い大きめの上に下はいわゆるホットパンツ。脚はまるっと出ている。
洗面所のドアを開けたら、なぜか殿下と目があった。ちょうど窓から私の部屋に入ってきたところだった殿下と。
うん、ちゃんと説明したら耐えきれないくらい恥ずかしくなってきた。貴族令嬢というのは家族以外の男性に膝より上を見せないものなのだ。
私の身体中の熱が全て顔に収束したのを見て、殿下は逆に落ち着きを取り戻したのだろうか。窓枠に腰掛けていた体をぐるりと回転させ背中越しに声を出した。
「悪かった。時間が空いたから驚かせてやろうと思ってつい、待て、すまない、俺が悪かったから叫ぶのはやめてくれ」
だめだ、殿下も大概平常心じゃなかった。叫びそうになっている私を勝手に想像している。ここまで動揺しているということは、先日の『風呂等は決して見ていない』という言葉は信じても良さそうだ。
それにしてもなんて不良殿下だろう。王太子が婦女子の部屋に忍び込むなんて、この国の未来は大丈夫だろうか。
とりあえず、これ以上足を見られないよう、ベッドに座り足に布団をかける。
「わかりました、それはもういいです不良殿下」
「不良殿下」
「それより今ここにいるとまずいです」
私は自分が早々に入浴した理由を思い出していた。
勝手に部屋に入ったことはもういい。でも間が悪い。
おそらく、もう来る。
「レベッカ様ぁ。エミリアです。お邪魔しまーす」
ガチャ、と音がした。死刑執行人が断頭台に上った音に聞こえた。
何を隠そう、今日はエミリアが泊まりにくる予定だったのだ。ちなみにメリンダも来る。各自風呂を済ませて私の部屋に集合の約束だ。
殿下はこちらを振り返って渋い顔をした。
「なぜ鍵が開いてる。不用心だ」
だって私がお風呂に入っている間に二人が来るかもしれなかったから。って、今それですか?
殿下は分かっているのだろうか。私の部屋にいる彼は見つかれば『三強』に並び『不良殿下』のみならず『変態殿下』の二つ名を得るかもしれないのに。
そういえばここ6階なのにどうやって入って来たの?あ、鷲か。
固まる私、余裕の表情の殿下。私たちがいる寝室の扉がエミリアによって開かれる瞬間、私は妙に冷静になって自分を見た。
私、なんでこんなに焦っているんだろう?
女子寮への男性陣の立ち入りは禁止されているわけではない。申請があれば許可が下りる。
それでも、エミリアが顔をのぞかせ、その大きな瞳に彼を映したその時。
可愛らしい顔は驚きでいっぱいになった。殿下はそれをいつもの無表情で見ていた。私は焦燥にも恐怖にも痛みにも似た気持ちでそこにいた。
そしてはっきりと理解した。
私は二人に、出会って欲しくなかった。
***
「ええと、ルウェイン殿下でしょうか…?」
「ああ」
最初に声をあげたのはエミリアだ。そして何とも言えない顔で私の方を見ている。私の微笑みは少しぎこちなくなってしまったかもしれない。
『ええと、ルウェイン殿下でしょうか…?』
『ああ』
第一王子にして一番人気の攻略対象・ルウェイン殿下とエミリアの出会いイベント。場所が『屋上』ではなく『私の部屋』であることに目を瞑れば、ここまではシナリオ通りだ。問題は次。
主人公の次の『セリフ』を『プレイヤー』は3択から選べる。『びっくりしました』・『お邪魔してしまいましたか』・『いらっしゃるとは知らなくて。失礼しますね』。
攻略本を読んだときはこれで一体何が変わるんだと思ったものだが。一つ目を選べば会話がほぼ発生せずに終わる。二つ目を選べば2.3の会話で終わる。三つ目を選ぶと、話し相手にちょうど良いと思った殿下に引き止められてお話ができ、ルウェインルートに入ることもできる。
私は知らず唾を飲み込み、エミリアの言葉を待った。
「えっと…お邪魔してしまいましたか?」
2つ目か。
そう思いかけた。しかしはたと気づいた。
状況が違うから意味が違う。屋上で一人考え事をしていた殿下にではなく、部屋に二人でいた婚約者同士に言うと意味が違う!
「ち、違います!」
違うんです、そうじゃないんです。何か色気のあることをしていたわけじゃないんです。
ああ、顔から湯気が出そうだ。あたふたと「違うの」と繰り返していたら、殿下がなんだか楽しそうに笑った。
「いや。邪魔は俺だな。失礼する」
すると殿下は私の手をとり、手首の内側に顔を寄せ―――ちゅ、と音をたててキスをした。
寄せられた唇、伏せた瞼。
あ、睫毛、長い。
間の抜けた感想が浮かんだ。あまりの状況に理解が追いつかなかったからだ。
いつの間に呼んだのやら巨大な鷲が現れ、殿下がその背に乗って姿を消した。
いつもの5割増しで笑みを深くしている殿下を惚けた顔で見送り、へなへなと座り込んだ。皮膚の薄いところに口付けられたせいでその感覚で頭がいっぱいだ。先ほどのうす暗い感情は霧散していた。何だかもうとどめを刺されたみたいな気分だ。
ガシャンと大きな音がして我に返る。エミリアだった。窓を下ろして鍵をかけたのだ。
彼女は何を思ったのかそのまま両手で窓枠を掴むと、グニャリと握りつぶした。
メキョメキョと音を立て窓枠が変形する。修理を呼ばない限りもう開かないだろう。
振り返ったエミリアは満面の笑みだった。
「これでもう変なものは入ってきませんね!」
いや私、窓使えなくなったんですけど。どこにそんな筋肉を隠し持っていたんだ。
…ルウェインルートには、入らなかったと思っていいのだろうか。
***
その後メリンダが到着した。メリンダはわざと変形した窓枠を見ないようにしていた。面倒ごとの匂いを嗅ぎ取ったのだろう。
課題を終わらせた後はおしゃべりに興じ、エミリアが言い出した『お泊り女子会』なるものはなかなか楽しいものになった。
恋愛の話になったとき、エミリアは散々考えてから「今は二人といるのが楽しい」と結論を出して笑っていた。
それでもエミリアはいつか誰かに恋をするのだ。このゲームに『ノーマルエンド』、どの攻略対象とも恋をしないルートはないのだから。
そんな風に考えた自分に驚いた。一番シナリオに囚われているのは、他ならぬ私なんだろうか?