第三話
さて、勢いで鍛えてやるとか言ったがどうするかな…。ガキの頃じいちゃんに色々叩き込まれたけど人になにかを教えるガラじゃない。それに正直喧嘩なんて気合いでどうにでもなる。
今まで空手や柔道、ボクシング等を習っている奴と何度も喧嘩をして、無敗の俺が言うのだから間違いない。
要は心が負けを認めなければそれは負けじゃないからだ。その時はぶっ飛ばされたとしても、最後に自分が勝つまで負けを認めなければ結果的に無敗だろう。まぁ俺は、ぶっ飛ばされた経験もないけどな。ただ、目の前に居るコイツ…根性無さそうなんだよな~。
…あれ…?俺はここで一つ、重要な事に気がついた。その重要な事とは……目の前に居る男の事を何一つ聞いていなかったのだ。
ここまで自分の居場所を知ることばかり模索していた為、聞くタイミングがなかった気がする。だけど、少しの間とは言え一緒に過ごすなら、相手の事を知らない方がおかしいだろ。
俺は目の前の男に改めて名前を聞くことにした。
「そう言えばよ、すっかり忘れてたけどお前の名前は?」
俺が尋ねると、男は心底不思議そうな顔をし、首を傾げながら一言返事をした。
「……ナマエ?」
何をそんなに不思議そうな顔をしてるのか一瞬わからなかったが、確かに今のは俺が悪い。気を取り直して俺は、再び男に話しかけた。
「わりぃわりぃ。人に名前を聞くなら、まずは自分から言うべきだよな。俺の名前は森田勇次ってんだ。気軽に勇次と呼んでくれて構わねぇからな。で、お前の名前は?」
俺は自分の名を名乗ると、再び男に尋ねてみた。流石に次は名乗ると思ったのだが、男の反応は俺の予想とは違うものだったのだ。
先程と同様に、首を傾げながら
「…モリタユージ?…ユージ?」
俺の名前を呟いている。一瞬だけだが、サッさと名乗らないことに苛っとしたが、よく見ると様子がおかしいぞ。
まさか…名前がないのか?流石にそんな奴は居ないと思ったが、先程からの様子を見るとそんな気がする…。なので、質問を変えてみることにした。
「じゃあよ、お前普段は仲間から何て呼ばれてんだ?さすがに何かあんだろ?」
「ん~、お前とか、おいとか、チビとか、弱虫ぐらいゴブ…。あと…人間からは種族名で、ゴブリンとか、雑魚モンスターって言われるぐらいゴブよ…。」
男の表情は、何故か話しながら段々と暗くなっていき、最後には俯きボソボソと言葉を発している。
それよりも、おかしな事を言わなかったか?種族名…?ゴブリン…?人間からは…?
思い返してみれば、さっきも人間は嫌いと言っていた。俺はてっきり、虐められて人間不振に陥ってるだけだと思っていたし、変わった容姿も薬か何かのせいだと考えていたけどそうじゃないのか…?
確かゴブリンってあれだよな…?ゲームとかの最初に出てくる、一番弱いモンスターだよな…?
いや~、ありえねぇだろ!じゃあ何か?本当に異世界何とかってのをしちまったのか!?まさかな…良くできた夢に決まってる…。
俺はここで一つ試してみることにした。何を試すのかと言うと…古来より伝わる【痛かったら夢じゃない】をだ!
その為には、目の前の男の協力が必要なので頼むことにした。
「とりあえず名前の事は忘れてくれ。それよりも、一つ頼みがあんだけど良いか?」
「何ゴブか?」
「ちょっとよ、俺の顔面を力一杯殴ってくれねぇか?」
「……ゴブ!?」
さすがに驚いている。普通に考えて、今日出会ったばかりの奴に、いきなり自分の顔面を殴ってくれと頼まれて嬉々として実行する奴は珍しいだろう。逆に自分が何かされるんじゃないかと警戒すると思う。
だけど、そんな事は十分理解して頼んだので、ある意味予想通りの反応だった。俺はこれ以上の言葉を発する事に意味は無いと考えて、黙って男の目を見続けたのだ。
すると男は、慌てた様子で必死に問い掛けてきた。
「ちょ、ちょっと待つゴブ!いきなり殴れとか意味がわからないゴブよ!」
「意味なんてねぇよ。ちょっと確認したいことがあるから殴ってくれって頼んでんだ。」
「……もしも、もしも殴ったとしても怒らないゴブか…?俺を殺したりしないゴブよな…?」
「ああ、絶対に怒らないし殺そうとしたりもしない。男と男の約束だ。」
ここまで言うと、男は俯き何かを考え出した。暫しの沈黙が流れて、男は顔を上げて俺を見る。どうやら覚悟を決め……る事が出来ないようで目が泳いでいた。そして、再び俺に尋ねてきたのだ。
「よ、よくわからないけど本当に怒らないゴブか?これはユージに必要なことゴブよな?」
「ああ。頼むからやってくれ。お前の力が必要なんだ。」
「俺の力が必要ゴブか…。」
そう言うと再び俯いた。しかし男は、先程とは違いすぐに顔を上げる。その瞳を見ると、どうやら覚悟を決めてくれたようだ。
その場で立ち上がると、拳を握り再三俺に確認をとる。男の言葉に俺が無言で頷くと、握った拳を構えて左の頬目掛けて打ち放ったのだ。
俺は迫り来る拳に、奥歯を噛み締めて身構える。そして、拳が直撃した瞬間…パシンと乾いた音が鳴り響き………男はその場で横にクルリと一回転して倒れ込んだのだ…。
「あっ……。」
完全に無意識だった。男の拳が、俺の頬に当たった瞬間…反射的に平手をお見舞いしていたのだ。
んー、今のは俺が悪いよな…。目の前で男は、左の頬を押さえながら踞っていた。俺が恐る恐る声をかけると、眼には涙を浮かべて頬を押さえながら捲し立ててきた。
「お~い、大丈夫か~?」
「うぅ~、酷いゴブ…痛いゴブ…怒らないって言ったのに叩いたゴブ!ユージは嘘つきゴブ!やっぱり人間は信用できないゴブよ!」
「ごめんって。いや~、今のは本当に叩くつもりはなかったんだって。なんつうか、反射的に手が動いたと言うか…。」
俺の言い分を聞く気がないようで、男は恨むような目でこちらを睨んでいる。さすがにここで怒る訳にもいかず、仕方がないので男が落ち着くまで待つことにしたのだ。
俺が無言で男を見ていると、その視線が気になるのか背を向ける。そして何かを尋ねてきたのだ。
「……ったゴブか?」
「ああん?何だって?」
「だから…試したかった事はこれで良かったゴブか!?」
やべ…すっかり忘れてたぞ。そう言えば、それが理由で殴らせたんだったな。
俺は自分の唇を指でなぞった。血は出ていないな…。口の中も切れている箇所はない…。痛みはと聞かれたら…微妙だな…。
ホンの少し…ガキに殴られた程度に痛い気はするけど、気のせいとも思える程度だ。
さすがにもう一発殴れと言ったところで、絶対にやらないだろうし…。
ん~~~~~~。
…まあいっか。
これが夢だろうが現実だろうが、俺の行動は決まっているしな。
俺が夢か現実かを確認している間も、男はジッとこちらを見ていた。そして、俺の中で答えが出たのを表情から察したのか、再び尋ねてきたのだ。
「で、どうなんだゴブ!?何か分かったゴブか!?」
「ん?あぁ~、分かったぞ。」
「何が分かったゴブか?俺にも教えてほしいゴブよ。」
「何も分からないことが分かった!とりあえずごちゃごちゃ考えるのは暫く止めにするわ。」
「なっ……。」
やっぱり考えるのは性に合わない。行き当たりばったりと言われようが、俺は俺自身で決めたこと、見たものを信じて動くしかないよな。それが分かっただけでも、殴られたことに意味はあったのだ。
だが男は、俺の言葉を聞くと一瞬驚いた顔をした。そしてすぐに肩を震わせながら俺に突っかかってきた。
「分からないことが分かったゴブ…?なんだそれゴブ!じゃあ俺は殴られ損じゃないゴブか!?やっぱり人間は理解できないゴブ!全く意味がわからないゴブよ!」
何が気にくわなかったのか、俺に怒りをぶつけてきた。でも、考えてみれば無理矢理殴れと言われて、殴ってみれば殴り返されるわ、挙げ句の果てには答えがでなかったと聞かされたらそりゃ怒るわな。
俺は少し自分の理不尽さと、目の前で怒る男を見て笑みを浮かべた。すると男は、俺の様子を見て更に怒り出したのだ。
「ぬあああ、何笑ってるゴブか!?何も可笑しな事はしてないゴブよ!分かったゴブよ!?やっぱりユージも俺をバカにするゴブね…。みんなと同じで結局俺を苛めるゴブよ…。……って俺は別に苛められてないゴブ!」
怒って凹んでまた怒ってと忙しい奴だな。しかし、少し気持ちが軽くなった今の俺には、目の前の男が愉快で仕方がなかったのだ。
とりあえずこれ以上ここでウダウダやっていても始まらない。まだ具体的な案は決まっていないが、俺は目の前の男を鍛えると約束したのだ。その為にも、まずは最初に俺が眠っていた小屋に戻ろうと思う。
「ワリイワリイ。別にお前をバカにする気も苛める気も本当にねぇよ。とりあえず、向こうに小屋があるから移動しようぜゴブ太!」
「……?」
俺が声をかけると、何やら不思議そうな顔をして首を傾げている。そして、表情はそのままで俺に尋ねてきたのだ。
「…ゴブ太って何ゴブか?」
「あぁ~、お前の名前だよ。これから暫く一緒に居るのに、名前がないと不便だし、ずっとお前って呼ぶのも素っ気ないだろ?だから俺が勝手に決めたけど、嫌だったなら他の呼び方を考えるぞ?」
「べ、別に嫌じゃないゴブ!ゴブ太で良いゴブよ!……ゴブ太……ゴブ太……へへ…。」
どうやら納得してくれた様だけど、この顔でブツブツ言いながら、時折ニヤっと笑う姿は少し不気味だ…。
とりあえず俺は、ゴブ太を連れて最初に居た小屋に戻るのだった。