鼻ちゅーは誰とする?
本作はアンリ様主催企画『キスで結ぶ冬の恋』参加作品です
「キスがしたい」
真昼の喫茶店。彼女から発せられた言葉に耳を疑う。
こんな時間から、こんな公共の場で突然何を言い出すのだ。
「だって……もう私達、付き合い始めて三年だよ? なんでキスの一つも出来ないの? 頭がおかしくなりそうなんだけど」
そんな事を言われましても。
僕は彼女に背を向け、テーブルから床へと飛び降りる。
そのまま仲間達の元へと。
「大変だな。大丈夫か? そんな疲れた顔して……可愛い顔が台無しだぞ」
そう言ってくるのは僕の親友の一人である半蔵。
今の僕と彼女のやり取りを見ていたんだろう。
確かにもう勘弁してほしい。僕は静かにマッタリ過ごせればそれでいい。
「彼女、ここんとこ毎日来てるな。お前をお持ち帰ろうという気概が染み出てる」
「そんな事……神が許しても店長が許さないでしょ。っていうか付き合いだして三年って……僕がこの店に来たのは確かに三年前だけども……」
そう、この店。
『超必殺技 猫の手』
店名から何の店か全く想像できないと思うが、ここはいわゆる猫カフェだ。
そして僕はアメリカンショートヘアーとマンチカンのハイブリット。名前は幸村。
僕と親友の半蔵は同時期にこの店へとやってきた。きっと、その時店長の中では時代劇が流行っていたのだろう。この店の猫達は皆、その時その時の店長の気分で名前が付けられている。
「おい、幸村。お前モテモテだな。あんな美人にキスを迫られるなんて。さっさと奪っちまえよ」
むむ、何奴……。
僕の頭上、アスレチックタワーの頂上から話しかけてくるのは黒猫のポルコ。
「ポルコ……またそんな高い所に上って。降りれなくなったの?」
「そんなわけないだろう。マヌケな猫どもを高見から眺めているだけさ!」
そんなポルコの足はプルプル震えている。
高い所が好きなくせに、上ったら上ったで降りれないタイプの奴だ。
ちなみにポルコと同時期に店へやってきた猫の名前はカーチス。その時の店長の流行は、超有名アニメ映画だったらしい。
「ポルコ、下ろしてやろうか?」
半蔵はメインクーンと呼ばれる大きな猫だ。下手をすると成犬よりも大きい半蔵は、猫達の兄貴的な存在である。
「い、いいでござる……拙者、修行中の身ゆえ……」
プルプル震えながら何故か時代劇のような口調で言い放つポルコ。
半蔵は溜息を吐きつつ、しばらく放っておこう、と思ったんだろう。そのままクッションに顎乗せしつつ、目を瞑る。むむ、おねむかな?
僕は半蔵の胴体へと昇り、もふもふ毛並みの上へと寝そべる。
温かい半蔵の体の上で、うとうとと寝てしまいそうに……。
「おーい……幸村君。寝ちゃった?」
その声の主は、先ほど「キスしたい」と言ってきた女性だ。
ちなみに猫ではない。人間の女性。人間は人間とキスしてればいいのに。何で猫としたがるんだろうか。
「キスしよーよ……鼻チューでいいから……」
この店では猫にセクハラ行為(抱っことか)は禁止だ。人間からキスなど以ての外である。なので、女性からキスしてくる事は無い……が、安心は出来ない。
「半蔵……このヒト……なんで僕とキスしたがるんだろう」
「お前に気があるからだろ。いいから一発してやれ、しつこいから」
うぅ、そんな事を言われても……。
猫にとっての鼻チューは信頼の証。もう一生貴方に付いていくと言ってるような物だ。
でも僕は正直、ここの店長さんに忠誠を誓っている。それはここで住む猫達は皆同じ筈。店長さんになら、僕は鼻チューを何回でも繰り出せるが……。
「お困りのようだな、俺に任せよ! とう!」
その時、元気いっぱいにテーブルの上からジャンプする猫が。
一瞬柔らかそうな腹が僕の目の前を横切る。思わず猫パンチを繰り出してしまうが、僕の短い前足では届かなかった。
「幸村、主に教えてやろう。ヒトの限界という奴をな!」
「ケンシロウ……」
ブリティッシュショートヘアのケンシロウ。
その年代の方ならもうお分かりだろう。同時期に店へとやってきた猫達の名前は、トキとラオウだ。
ケンシロウは彼女の膝の上へと飛び乗ると、そのまま鎮座しながら丸くなる。
な、なんて奴だ!
「はわわわわ……っ」
ぁ、相当利いてるわ。
彼女は微動だに出来ない! 膝の上に乗ったケンシロウを気遣うあまり、カチコチになってしまう。
むぅ、でもこれはこれで……なんかモヤっとする。
「おい、ケンシロウ。幸村の女の上に乗るな」
半蔵はゆっくり体を起こすと、僕はそのまま転げ落ちる。
だが問題ない。下はもふもふクッションだ。
「フフン、半蔵の兄貴、俺はその短足野郎に教えてやってるのさ! 猫の在り方というものを!」
短足……。
確かに僕の足は短い。だが安定性なら負けないぞ! 僕は後ろ足で立つことだって出来るんだ!
見せつけるように立ち上がる僕。
それを見て、彼女は嬉しそうに拍手しながら喜んでいる。
「それがどうした。あざとい猫ちゃんめ! 鼻チューも出来ん小僧めが!」
「なっ……で、できるもん!」
ケンシロウに対抗して言ってしまう。
本当は鼻チューはしたくない……だって僕の鼻チューは店長さんに捧げると決めているし……!
でも、だからって僕を好き好き言ってくれる彼女をケンシロウに取られるのも癪だ。
「いつまでたっても子猫ちゃんのままね。チューの一つや二つでニャンニャンと」
むむ、またしても新たな登場人物が。
どら焼きクッションの中から顔を出しつつ言い放ってくる猫。
スコティッシュフォールドのベアトリス姉さま。
同時期に来た猫の名前はガウェインにエドウィン、それにアクセルにウィスタン。
「お姫様……そんな事を言われましても……」
「何よ、見ててじれったいのよ。女に迫られてるのに男が逃げてどうするのよ」
うぅ、だからって人間みたいにキスしろと言うのか?
そ、そんなの……無理でござるよ!
皆も居るのに!
僕は、ターっと逃げてしまう。
コタツの中に潜り込み、ぬくぬくあったか空間で心を落ち着かせる僕。
「皆だって分かってる筈なのに……鼻チューは特別なんだから……そんな誰にでも出来る事じゃ……」
「ふむぅ、その通りじゃ。鼻チューは特別な行為。誰にでも出来るわけでは無い」
むむっ! 何奴……ってー! 長老!
「うむ。儂は長老じゃ」
猫達から長老と崇め奉られている猫。
ヒマラヤンのジジ。この猫カフェで一番の古株だ。
「長老は……店長と鼻チューしたの?」
「それはモチのロンじゃ。しかし幸村よ、店長に恩を感じるのは分るが、だからといって信頼を託すとは別の話だぞ」
むむ、どういうこと?
「店長には店長の都合があって、儂らはここに居るというだけじゃ。お前は店長に恩義を感じるあまり、信頼を託さなくてはと考えているのではないか?」
そりゃ……まあ、そうだ。
店長は恩人だ。僕はもう少しで処分される所だったんだから。
「ここの猫達は皆そうじゃ。皆店長には恩義を感じておる筈じゃ。儂の言いたい事が分かるか? 幸村よ」
「……皆……気持ちは一緒って事?」
「そうじゃ。皆分かっているのじゃ。鼻チューが特別な意味を持っていて、誰にしたいかなど、とっくにな」
むむ、じゃあ何で……皆僕にキスしろキスしろって……
「それはアレじゃ。幸村がいじられキャラだからじゃ」
な、なんだって。
僕、皆にいじられてたのか……。
「まあ、そうしょげるな。儂から秘伝の技を伝えよう。鼻チュー程では無いが、それなりの破壊力を持つ技じゃ」
「……それをすれば、あの人間も皆も満足する?」
うんむ、と頷く長老。
僕は長老から、その秘伝の技を教わる。
ゴニョゴニョと耳元で教えられた技……それは身も凍るような恐ろしい技だった。
※
「お、戻ってきた。コタツの中で温かくなってきたようだな」
コタツの中から帰還した僕へと、暖を取ろうとくっついてくる猫達。
もふもふの森に閉じ込められたかのような……これはこれで快適だ。
猫毛布の中で再び眠りそうになってしまう。
「……って、あれ? あのヒトは?」
「もう帰ったぞ。お前がコタツの中に逃げるから、嫌われたのかと落ち込んでたな」
そ、そうなんだ。
せっかく長老から教わった秘伝の技を繰り出そうとしたのに。
「あー……どうしよう……」
その時、エプロン姿の店長が困り果てた顔をしていた。
むむ、どうしたんだろう。
店長が困った顔をしていると、猫達はゾロゾロと集まりだす。
『店長どうしたの?』
皆、そんな思いを瞳に乗せて店長を見つめる。
「ふんぐ……皆……いい子達やでぇ……」
店長大丈夫だろうか。鼻から血がボッタボタ垂れているが……。
「実は……今帰ったお客さんが携帯電話を忘れていっちゃって……。取りに戻って来てくれるかなぁ。でもあの人ちょっと抜けてるしなぁ……」
なんてこと言うんだ、店長。
まあ少し分からなくも無いが。
それから数分後、悩みに悩んだあげく店長は携帯を届ける事にしたようだ。
そして何故か僕も連れていかれる事に。毛布に包まれ、サンタ帽子を被せられた状態で店長のカバンの中へIN。
「じゃあちょっと行ってくるわ。よろしくね、バイト君」
「いってらっす。店長」
いざ外の世界へ。
ところで、あの人の家とか分かるんだろうか。
「えーっと……」
店長は猫カフェの会員名簿らしきものを取り出し眺めていた。
成程、それで住所がわかるわけですな。
猫カフェは駅前のビルに入っている。
ビルの外へ出ると、そこは白銀の世界。つまり雪が積もりまくっている。
鞄の中から顔だけ少し出して、外の世界を眺める僕。
ヒトが沢山歩いていて、少し怖い。こんな所に一人で放り出されたら……恐らく僕は数分も持たないだろう。野生の猫達はどうやって生きているんだろうか。
「ふむふむ。そんなに遠く無いな……」
それから店長は僕の頭とチョンチョンつついてくる。
むむ、中に入れという事だろうか。大人しく店長のカバンの中へと入る僕。
すると、同時になにやら良い香りが! むむ、この香りは!
「大人しくしててねー、バス乗るからねー」
鞄の中に放り込まれるオヤツ!
焼カツオのビスケットだ! いただきます!
店長のカバンの中でオヤツをペロペロと舐めまくる僕。
美味しい……美味しいけど……
なんだかだんだん不安になってくる。
そもそも、僕は何で連れてこられたんだ?
まさか……このまま、僕はあのヒトの所に捨てられるんじゃ……。
途端に寂しくなってくる。
嫌だ、それは嫌だ……店長、僕を捨てないで……!
僕は店長や皆と一緒に居たいのに……
『ニィー……ニィーッ……』
「ふぉっ、ど、どうしたの? いきなり鳴きだして……」
鞄を開けてくれる店長。
僕はそのまま、鞄の中から飛び出て店長の胸にしがみついた。
捨てないで……捨てないで店長……っ
「おー、よしよし。大丈夫、大丈夫。なんとなく考えてる事分かるからオチツケ。っていうかバス乗れないな……歩いていくか……」
再び毛布にくるまれ、今度は店長のコートの中に守られるように。
鞄の中より暖かい。店長に抱かれる心地良さに、思わず眠ってしまいそう……
ぁ、ダメだ。なんだか気持ちい。
本当に……眠く……
※
目が覚めると、知らない部屋に居た。
ここはどこ……? 猫カフェじゃない……。
「おはよー、幸村くん……」
……ん?
ふぉぁ! 目の前にキスを迫ってくる、あのヒトが!
あ、あれ? 店長? 店長は?!
『ニィー! ニィー! ニィー!』
「え、え? どうしたの? 幸村くん……そんな鳴きだして……」
「ぁー、ごめんごめん。その子寂しがりやの甘えんぼだから。おいでー、幸村-」
ふぉぉぉ! 店長居た!
店長ーっ!
そのまま店長の膝の上にダイブし、ゴロゴロと甘えまくる僕。
うぅ、やっぱり店長がいいよ……いい匂い……。
「いいなぁ……私も幸村くんに甘えられたい……」
「いやぁ、結構ガツガツ行ってるでしょ。猫は向こうから来た時に撫でてやらないと」
むふぅ、何の話をしているか分からないが、店長が僕のおなかを撫でてくれる。
思わずその指を前足で捕まえ、甘噛みする僕。
「私も猫飼いたいんですけどねぇ……このアパートじゃ飼えないから……」
「ここんとこ毎日来るもんね、キミ。猫好きなのは分かるけど……お金とか大丈夫? まだ学生でしょ?」
「いやぁ、生活費削ってます……」
はぐはぐと店長の指を甘噛みしまくる僕。
店長にお腹をムニムニされ、悶えながら引き続き甘えまくる。
「……前から気になってたんだけど……彼氏とか居るの?」
「え? いませんけども……ぁ、強いて言うなら幸村君……」
なんだろう。
背筋が一瞬寒くなった。
むむ? なんとなくだが、店長の雰囲気がいつもと違う。
なんかこう……緊張してる?
「……その、なんだ、えっと……いやだったら別にいいんだけども……今度、食事とか……」
「……え?」
食事?
んぅ? なんか二人の雰囲気が……というか、匂いからして分かる。
店長……発情期?
「いや、その……無理に誘ってるわけじゃないから……」
「……キスしてくれたら……いいですよ……」
……?
店長の顔が真っ赤だ。
コッチの彼女も真っ赤だ。
むむ、これはもしかして……
「するよ……好きだから……」
「はい……どうぞ……」
なんだなんだ、どうなってんだ、この展開。
よくわからんが、店長が追い詰められてる気がする。
僕の店長がピンチだ……!
ここは……長老が教えてくれた秘伝の技を繰り出すしかない!
店長の膝から傍にあった机の上へ。
そこから勢いよく、僕は店長と向かいあって顔を真っ赤にしている彼女の肩へと飛び乗った。
「え、え? 幸村君?」
くらえ……! 長老から教わった秘伝の技……!
みみたぶ甘噛み!
「ゴッフォ! 幸村君が……ふぁああ!」
「……ゆ、幸村……お前ってやつぁ……」
僕の店長をいじめる奴は許さない!
そのままハムハムと耳たぶを甘噛みしまくる僕。
長老の言う通り、凄まじい威力だ。彼女は床に倒れ、よだれを垂らしながら悶絶している。
「……うぅ……気を引くために幸村連れてきたっていうのに……」
店長? どうしたの? 僕、やったよ!
再び店長の膝の上へと飛び乗る僕。
店長はどこか引きつった笑顔で、僕のおなかを撫でてくれた。
☆
それから数か月後。
猫カフェに新しい仲間が増えた。
しかし猫ではない。あのキスを迫ってくる彼女だ。
お揃いのエプロンを着用する二人。
「今日もよろしくおねがいします」
二人そろって猫達……僕達に挨拶をしてくる。
幸せそうな……笑顔で