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鏡に映るものは

「そうだ、二人にちょっと聞きたいことがあるのですけど」


 瑞希は何かを思い出したのか上着の内ポケットから一枚の写真を取り出した。


「この人を見かけませんでしたか」


 瑞希の差し出した写真には一人の黒色の長髪でスーツを着ている女性が笑っている姿が映っている。


「ヒトの女か。覚えはニャいねぇ」

「イエットさんの方はどうです?」

「うーん、そうねぇ……」

「無駄だよ。こいつは記憶に(ニャ)くてもまるであるかのように思い出そうとするのさ」

「そうですか」


 目を落とし少しだけシワのついた写真を内ポケットにしまうと瑞希はまたため息をつく。


「その落ち込み様だと、どうやら知り合いのようだね」

「ええ、友人でして。数日前に行方不明になってしまいましてね」

「この時間まで探してたってことかい」

「まあ、はい」


 手がかりも目撃情報もゼロでしたけどね、と瑞希は乾いた声で軽く笑う。

 そして既に緩くなっているコーヒーを彼女はコクリと飲んだ。


「小さい頃からずっと一緒だったんです。よく遊んだり喧嘩したり……へ、へ、へぶしっ」

「カッカッ、盛大なくしゃみだね……ってうわっ、鼻水飛び出てるじゃニャいか。ばっちい」


 突然鼻がむず痒くなって瑞希は手を覆って盛大にくしゃみをし、大量の鼻水が彼女の手をビチャビチャに濡らす。

 ベチャついた顔を見られたくないと手をどかすことができず目だけでイエットに助けを訴える。


「洗面所で洗ってくるといいよ。左側に進んで突き当たりを右に行けば分かるわよ」

「ず、ずびばぜん」

「ああ、ティッシュも置いてあるからね。ゴミ箱もあるから使ったらそこに捨てなさいねぇ」


 ククロが横で気を悪くする中イエットは瑞希から見て左に指差し洗面所へ鼻水ごと顔を洗うよう促す。

 恥ずかしさで顔を赤らめ瑞希は鼻水が詰まって上手く喋れずに一言言うと駆け足で洗面所へ向かって行った。

 イエットは思い出したような素振りをしてカウンターから身を乗り出し彼女の背中へ少し声を大きく放つ。

 そして彼女が見えなくなると元の姿勢へ戻し一息ついた。


「……で、お前(ニャに)か覚えがあるんだろう?」

「フフ。分かってたのね」

「どれだけ(ニャが)い付き合いだと思っているんだ」

「そうねぇ」

「それで、どうニャのかね」


 伏せたまま尻尾を身体よりも上で揺らし尋ねるククロ。

 するとイエットの顔から笑みは消え、少しだけ顔に影が差した。


「まだ何も言えないわ。でも、恐らくあの子には気の毒な事になりそうね」

「ああ、(ニャ)る程ね」


 イエットの言葉にククロは納得したかのように頷く。


「もしそうなるとしたらあの子次第ね。それに、もしかしたらあの子も……」

「ヒトがここに来るのはどうも可笑しいと思っていたんだ」


 呆れたような表情で黒猫は愚痴をいうかのように吐き捨てるのだった。




◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖◆◇❖



 一方、洗面所のドアの前に辿り着いた瑞希はレバータイプのドアノブを肘で開けた。

 中に入ると真っ先に洗面台の方に走り蛇口も肘で回そうとする。

 しかし上手く肘が蛇口に引っかからず回らないのだ。

 彼女の焦りは段々大きくなって悔しそうに唸る。


「どうしたの、お姉ちゃん」


 いきなり後ろから声が聞こえ反射的に洗面台に設置された鏡を見る。

 しかし彼女以外は誰も写っていないのだ。


「ここだよ、お姉ちゃんの後ろ」


 男のものか女のものか、聴くだけでは判断しづらいアルトの効いた声は後ろから聞こえる。

 恐る恐ると、瑞希が後ろを振り返るとそこにはマントを着けた幼い少年が雑巾をかけたバケツを手に持ち立っていた。

 微塵の温もりも感じない青白い肌に多少柔らかそうな黒い髪、血のように真っ赤な目と口からはみ出す二本の牙、頰やサスペンダーに赤いシミができている。

 不思議そうな表情をしている異様なそれに瑞希は近くの壁に後ずさり背を付ける。

 一瞬顔から手を離してしまうが鼻水が下に垂れ再び鼻付近の顔を抑える。


「顔洗いたいの?」


 どうやら瑞希の仕草で何がしたいのか読み取ったらしく、少年は首を横に傾げて尋ねる。

 彼女は口には出さず2、3回頷くだけで返答をした。

 すると彼は洗面台の方へ近づき蛇口をひねる。

 改めて鏡を見てみるが少年の姿は全く写っていない。


「はい、これで良いんでしょ?」

「あ、ありあふぉ」


 少年が洗面台から離れると瑞希はそそくさと手を洗い顔に水を被せる。

 ハンカチで濡れた手と顔を拭くと蛇口をキュッと締め彼の方へ顔を向けた。


「あ、ありがと」

「良いよ、このくらい。それよりお姉ちゃんヒトなの?」

「え、ああ、そうよ?」

「ボク、ヒトに会うの初めてなんだ!」


 バケツを手に掛け少年は瑞希の手を両手で握ってブンブンと上下に振り回す。

 少年の手に体温を感じず冷たさしかない。

 その為彼女は急に触れられた猫のようにビクッと身体を震わせる。


「ボク、ピロ。お姉ちゃんは?」

「み、瑞希よ」

「そっか、よろしくね!」


 鈍く光る白い歯を出しピロと名乗る少年は満面の笑みを浮かべた。



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