8 後悔
宮本彩。
自称、最新鋭モデルの高性能多目的人型ロボット【ルームメイド】。
だが、その正体は今年で十五歳になる、小平市出身の女の子だ。違うか?
もともとお前は、ここ日の出町とは縁のない小平市内の、ごく普通の家庭で生まれた子だった。
同居しているばあさんが高齢だったことを考慮して、当時まだサービスが開始されたばかりだった初期タイプのルームメイドが家には導入されていたそうだな。真面目で頑張り屋なルームメイドを、宮本家は大切にしていたと聞いたよ。俺には推測することしかできんが、それこそ東京都に寄せられていた苦情とは無縁の、幸せな日々だったんだろう。
だが、全ては火の中へ、跡形もなく崩れ落ちた……。
俺が調べたルームメイド廃止の経緯の中で、東京都の決断を促す決定打になったのはルームメイドの起こした火災事故と書いてあった。あの事故は他でもない、お前の家で起きたことだったんだな。熱排出式バイオマス発電エンジンデバイスの熱暴走によってルームメイドから発生した炎が、木造二階建ての家屋に延焼──。ルームメイドと家族は燃え落ちた家の中へ消えて、たった独り、お前だけが生き延びた。
引き取ってくれる親戚はいなかったそうだな。施設入りも検討されたが、お前はそれを拒否したと聞く。一瞬にして家族を失ってしまった、大切な人を失うのはもう嫌だ、もう誰とも関わって生きていきたくない──そう泣き叫んで抵抗したと、息子から聞かされたよ。小平市役所の福祉課に勤める俺のバカ息子は当時、何もかもを失ったばかりのお前を担当していたんだとな。
大切な人を失いたくないのなら、大切に感じる人がいなければいい。それなら、誰かの家族になるのではなくて、その家族の被雇用者になればいい。単なる労働力であればいい。家族に対する思い入れなんぞ、執事には必要ない──。
結果的に家族を殺してしまったルームメイドに対して、少なからず否定的な思いもあったんだろう。お前はそう呟いたそうだな。その言葉が、間もなくサービスが停止する予定のルームメイドに化けてどこかの家に派遣させるという奇策を、息子に思い付かせたわけだ。
当時、急にルームメイドのサービス停止が決まった都庁内では、押し寄せていた導入の要望のキャンセル作業が相次いでいた。要望の数だけ設定されていた個体識別登録番号は、当然ながら全て余ってしまった。その余り番号にお前をこっそり登録してしまえばいい。都庁に勤務していた友人と手を結んだ息子は、そんな提案をした。お前はその時、ほとんど二つ返事で了承したそうだな。
派遣先に選ばれたのが俺だったのも、首謀者の中に息子がいたとなれば納得がいくもんだ。息子は俺が世間を嫌って隠遁したのを知っていたからな。ルームメイドのサービス停止のことも知らないだろうし、お前が派遣されたタイミングがおかしいことにも気付かないだろうと思ったに違いない。ついでにメーカーから渡される保証書が存在しないことも、身内の俺が相手なら何とかなると考えたんだろう。
そうして、ルームメイドの起こした炎の中で一度“焼け死んだ”お前は、偽装ルームメイドとして再びこの世へと甦った────。
うちを飛び出したお前がどこへ行こうとしていたのか、俺に知る術はない。だが、とにかく人目のない場所へ逃げようとしたんじゃないかと、俺は思ってる。
そしてお前は、前日に怪我をした足を庇い切ることができなかったんだろう。途中で足を滑らせ、沢へと転落した。
岩の上で俺が目にした血の跡は、その時にお前が木の枝で斬った足の傷だった。
打ち所が良かったんだな。十メートル近くも滑落したのに、お前は全身打撲と脳震盪だけで済んでいたそうだぞ。奇蹟にしか思えないと医者も目を丸くしていたよ。
ただ……あれから一週間が経った今でも、お前は昏睡状態が続いている。
お前がこうしてここにいるのはな、俺が頼み込んだからなんだ。打撲の経過も悪くないから特別にってな。公立あきる野医療センターとか言ったか、あの病院はずいぶん気前がいいな。今回の一件で気に入った。
お前は、ここで寝ていた方がいい。
……ここなら、万が一お前がもう二度と目を醒ますことがなくても、俺の責任だって言い切れるからな。
何もかもを白状した息子は、俺の前で土下座をした。恥もプライドも捨てて、泣きながら俺に詫びてきたよ。
新宿の東京都庁からは、謝罪の一行がやって来た。ルームメイドの一件で頭を下げて回っている、本当に申し訳なかったと言いながら、都知事は俺を前に深々と頭を垂れていった。
お前が病院に着いてすぐに、村中の連中がやって来た。坂本たちも見舞いに来てな、実は岩井晴も俺に謝っていったんだ。彩が人間であることに私は気付いていました、あなたにきちんと話せばよかった──ってな。
R-SSCは本来、スイッチを入れたり切ったりできるものではないらしい。だが、あの場の雰囲気が悪化するのを畏れた岩井晴は、真実を口にすることができなかったそうだ。
俺は昔からけっこう怒りっぽい質でな。以前の俺だったら、激情に任せて一人残らず怒鳴り付けていただろう。でもな、あんなに腹が立っていたはずの息子にも、結果的に俺を騙した都の役人にも、俺は怒りを覚えなかった。覚えられなかった、という方が近いかもしれん。
どうしてなんだろうな……。お前がルームメイドではなく生身の人間であることに気付けなかった自分の方が、何倍も腹立たしくて、悔しくて、情けなくて、仕方ないんだ……。
子供を怖がっていたのは、大切な弟を火事で亡くしているから。火を怖がった理由は、今さら明らかにするまでもない。
ルームメイドのくせに風呂を好んでいたのも、患部に湿布を貼っていたのも、岩井晴にできることが『整備不良』でできなかったのも、中身はただの人間だから。
ルームメイドらしい振る舞いに長けていたのは、間近で本物のルームメイドと接していたから。家事全般の腕がいいのは、大好きだったルームメイドの家事を見よう見真似で手伝っていたから──これは後で息子に聞いたことだ。
な。お前の行動も能力も、そうやって考えれば説明がつくだろう。俺なりに頭を捻って考えてみた。
だから今度は、お前が教えてくれ。
あんなに楽しそうに働いていたのも、近所の連中と仲良くやっていこうとしていたのも、そうやってきちんと説明できるのか?
俺はな、これでもこの一年、お前と楽しくやってこられたと思っている。だが、お前は家族への思い入れをなくしてしまいたくて、ルームメイドになったのだと聞いた。もしそれが正しいのなら、あの日までのお前の笑顔も、嬉しそうな表情も、何もかもが演技だったのか?
お前にとって俺は、ただの自分の雇用者で、労働力を与えてやるだけの相手だったっていうのか?
そんなの、寂しすぎるだろうが……。
なぁ、彩。
お前が眠りについたあの日から、うちの中が変にがらんどうに感じるんだ。
何気なく暮らしていたはずなのに、どうしてたった一年でこんなにお前の姿がまぶたに焼き付いちまったんだろう。そう考えるようになって、初めて気付いた。
お前、思い返せばいつも、俺より少し前を歩いていたよな。玄関には俺より一足早く踏み込んで、後から入ってきた俺に必ず言っていたよな。お帰りなさい、って。
今になって気付いたんだ。あれは決して被介護者の俺を孤独にしないようにと、お前が考えてやっていたことだったんだな。──まるで、人と関わることが怖くなって、つらくなって、それで人里離れた山の暮らしに逃げ込むように就いた俺のことを、初めから知っていたみたいに。いや、お前は間違いなく、知っていたはずだ。
それだけじゃない。出迎えてくれる人がいることの幸せや温かさを知っていなきゃ、お前にそんなことはできないはずだ。常に俺の視界に入るように立ち回っていたのは、孤独の寂しさや不安な気持ちを身をもって知っているからだろう。
彩──お前、本当は諦めたくなかったんじゃないのか。或いは俺と暮らす中で、諦めきれなくなったんじゃないのか。以前のようにまた、俺を含めた他の人間と前向きに関わって生きていくことを、お前は望んでいたんじゃないのか。
そんな願いを、想いを、俺は何も知らなかった。何も知らないまま、“真実を知る”ことこそがお前のためになると盲信して、その通りに振る舞った。今だから言える。あれはお前のためなんかじゃない、俺自身のためだった。俺は自分を欺いていたんだ。
そして、それが結局のところ、お前を追い詰めてしまった……。
季節の巡りっていうのは、早いもんだな。
もう、九月だ。
去年の九月といえば、まだお前はこの町に来たばかりで何も知らなかっただろうがな。ここ日の出町は九月頃になると、平井地区の方でさつまいもの収穫が始まるんだ。十月からは芋掘り体験農園も開園する。あれを煮ると大層旨くてな、いつか芋掘りのイベントに参加してみたいと実は思っていたんだよ。
独りで行く勇気はさすがに出ん。だが、今年はお前がいる。今年こそは芋煮にありつけるかと、夏の頃から楽しみにしていたんだぞ。
もう少し季節が進めば、じきに紅葉の綺麗な時期になるだろう。日の出町は山だらけだからな。あの暗い山々が色彩も豊かに萌えているのを眺めていると、都心の夜景よりもずっと心が落ち着くもんだ。
かつて中曽根康弘の別荘として使われていた日の出山荘には、その紅葉を間近に楽しめる絶景の庭園があると聞く。どうだ、入園料は取られるらしいが行ってみんか。お前は知らないかもしれんが、あそこは昔アメリカの大統領との首脳会談にも利用されたんだぞ。要人になった気持ちで眺める紅葉というのも、なかなか趣があって面白いだろう。
九月末になれば春日神社の祭礼で、無形民俗文化財の“鳳凰の舞”が今年も行われる。町を練り歩く神輿や山車、いつかお前も見たいと言っていたよな。もう俺も町へ下りる抵抗感がさほどないからな、今年はその夢を叶えてやれるぞ。
十一月になれば、この地区でのイルミネーションも始まる。
日の出町の秋はまだ、始まったばかりだ。
もうトマトの季節ではなくなってしまったが、直売所の店頭には並ばなくてもイオンモールへ行けば手に入る。
最近は農作業も手につかなくてな……。スーパーの食材で飯を作っている有り様だ。もっともそのおかげで、季節外れのトマトも食えるんだがな。
これで、お前がいつ目を醒ましても、好物を食わせてやれる。トマトもチョコレートも、冷蔵庫の中でお前のことを待ってるぞ。
待ってるのは、俺だって同じだ。
もっと伝えてやればよかった。お前への感謝、お前の努力への誉め言葉、恐れずにちゃんと口にしてやればよかった。
お前が人間でもルームメイドでも、俺にとってのお前は何も変わりはないんだ。人々の間で生きていくことに怯えていた俺を、お前は明るい日の下へと連れ出してくれた。
その事実を、感謝を、俺は忘れん。何があっても絶対にな。
お前が目を醒ましてくれるということは、こんな俺にもやり直しの機会を誰かが与えてくれたということになるんだろう。今度はもう、与えられた機会を無駄にはしない。素直な気持ちもちゃんとお前に伝えて、他愛ない話のできる以前のような関係を取り戻そう。この家を、この町を、拠り所のない俺たちに優しい“居場所”にしよう。
だからお前もどうか、目を醒ましてくれ。もう手遅れだなんて言わないでくれ。
会社員だった頃の俺にはどんなに手を伸ばしても手に入らなかった、やり直すチャンスを、俺にくれ……。
お前の好きなタイミングで構わないんだ……。
だから、いつか必ず……な……。




