表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10

7 少女の正体




 俺もあんまり焦っていたから、細かい会話までは覚えていない。もっとも、それはお前も同じだろうとは思うがな。


 お前や岩井晴のもとへ歩いていっていた坂本の母親が、転んだ。

 俺たちがいたのは、見晴らしのいい開けた場所だ。だからこそ、というより当たり前だが、お前のすぐ目の前は急坂になっていた。バランスを崩した母親の身体は、まさにその急坂に向かって倒れ込んでいった。岩井晴が手を伸ばしたのは見えていたが、とても間に合う距離と速度ではなかった。

 代わりに前に飛び出したのが、彩。お前だったな。

 母親の前に滑り込んだお前は、通せんぼをするように両腕を思いっきり広げて、母親を受け止めた。でも次の瞬間、華奢で細っちいお前の身体では支えきれなくなって、結局──お前と母親は転落した。

 お前があんなにも決死の表情を浮かべていたのを見たのは、初めてだったと思う。一瞬、茫然とした俺たちだったが、斜面に叩き付けられる重たい音が正気を取り戻してくれた。

 俺と坂本はすぐに坂を降りて、二メートルほど滑落したお前と母親のところへ駆けつけた。下敷きになったお前は気絶していて、突っ伏した母親の方もぐったりとして動かなかった。後から降りてきた岩井晴と三人で、何とか元いた場所へと引き揚げた時、呼吸がない、と坂本が真っ青な顔で言いやがった。母親はお前が受け止めたにも関わらず、落下した時に頭を石に打ち付けていたらしくてな……。

 お前が息を吹き返したのは、そのすぐあとだったか。ちょうど、横たえた母親の隣に座った岩井晴が心臓マッサージを加え、さらに人工呼吸を施そうとしているタイミングだったと思う。

 お前と母親が滑落した直後にはもう、岩井晴はR-SSCを用いて瞬間的に緊急通報を済ませていたんだと聞いた。少しして麓から救急隊が到着して、どうにか息を取り戻した坂本の母親を搬送していった。


 予想もしない形で、ピクニックは終わってしまったわけだ。

 まるで、せっかく見ていた幸せな夢を、目覚まし時計に強制終了されてしまったみたいだった。

 もちろん母親を一人で行かせるわけにはいかないだろう。救急隊に坂本も、それから岩井晴も乗って行っちまって、その場には俺とお前だけが残された。

 お前が転落したところも、倒れて動かなかったところも、俺はしっかり見ていたからな。さすがに心配になったもんだ。だから俺、聞いただろう。


 『大丈夫か。腕とか足とか、折っていないか』

 『……はい、大丈夫です』


 お前は笑顔でそう答えたよな。泥だらけの顔には、もったいないくらいの笑顔でな。


 『人肌仕様特殊硬膏合成フィルムと骨格を形成する炭素繊維強化プラスチックは、災害時にも災難救助が行えるように数トンレベルの加圧への耐久能力と自己修復能力が加えられて──』

 『いや、もういい分かった。頭が痛くなるから専門用語は使わんでくれ』


 何事も詳しく説明したがるのは、お前の──いやルームメイドの悪い癖だぞ。ロボットだから仕方ないんだろうがな……。

 俺がそう言って押し止めたら、お前、ずいぶん膨れっ面になっていたよな。こんな顔もできるのかと驚いたもんだ。比べることがいけないのかどうか分からんが、少なくとも俺から見たお前と岩井晴は俄然、違う。

 そんなことに思いを馳せていた俺を、お前は上目遣いに見つめてきた。


 『安心、しましたか?』




 ああ。安心したさ。




 その日の夜まではな。




 お前は気付かなかったと思うがな。あの夜、俺は見たんだぞ。

 あれは深夜、水を飲もうと思って台所に向かおうとした時だった。ふと目に入った廊下の先の居間が、ぼんやり光っていた。

 不審に思って見に行ったら、彩。お前がいた。


 ──廊下に背中を向けて座って、昼間に滑落した時に打ち付けていた足に湿布を貼っている、お前が。




 思えばその時にはすでに、俺の抱えていた彩に対する疑問は、とても俺の腕だけでは抱えられないほどに大きくなってきてしまっていたのかもしれん。

 急いで部屋に帰って、お前の取扱説明書を探したよ。

 もしかしたら、肌の損傷には湿布が効きますなんて書いてあるかもしれないじゃないか。だとしたらお前の行動に、何も不思議なところはないだろうが。気付けばそう願っている俺がいたよ。一縷の望みに賭けた俺は、夢中になって取扱説明書をめくった。こんなに真剣に説明書を読んだのは、きっとこれが六十二年の人生で初めてだと思った。

 だがな、現実は現実だった。

 『人肌仕様特殊硬膏合成フィルムは損傷箇所を自己修復しますので、特に対策は必要ありません』──やっと見つけた機能説明のページには、そんな無情な文字が踊っていたんだ。


 以前から感じてきた疑問。ピクニックの最中に新たに生まれた疑問。そして今、俺の目の前で行われた、辻褄の合わないお前の行動。

 いよいよわけが分からなくなって、俺はついに覚悟を決めることにした。決めざるを得ないと、ようやく思った。

 今までずっと逃げていたが、【ルームメイド】のことをもっと知らなければならない。真実を知らないまま、これ以上お前と接し続けるわけにはいかん。……そして、そのためには、今日まで縁を切ってきたつもりだった外の世界に、この場所から再び触れなければいけないだろう。

 あれは、そういう覚悟だった。




 次の日の夕方だったか。お前が夕食を作りに居間を出ていったのを見た俺は、居間の隅でほこりをかぶっていたパソコンに手を伸ばした。

 パソコンに触れていると、会社で苦しんでいた昔のことを嫌でも思い出してしまう。だから何年もの間、遠ざけていたわけだ。ほこりもひどいものだったから起動するとは思ってなかったんだが、そこは信頼の置ける日本製だった。パソコンはちゃんと起動しちまった。

 お前が台所で奏でていた鼻唄が、胸に痛かったよ。だがそれを懸命に無視して、俺はキーボードを打ち始めた。

 外は明るい真昼のはずなのに、なぜかヒグラシの鳴き声が遠く、遠く、聴こえていたような気がする。




 【ルームメイド】新規供給停止の経緯は、ネット上に残されていた記事を読み漁って簡単に得ることができた。


 ルームメイドは、その出来の良さゆえに実際の人間に極めて近い特徴を持つロボットだ。だが、それがルームメイドの不幸の元でもあった。

 ルームメイド派遣サービス運営元の東京都には、サービス開始当初から所有者によるいじめや虐待、暴行を一部のルームメイドたちが受けているという報告が相次いでいたそうだ。所詮ルームメイドはロボット、人間ではない。所有者のそういう意識が、ルームメイドへの暴行に対する心理的なブレーキの働きを抑えてしまっていたんだろう。

 当然、ルームメイドと人間との扱いの違いをどうしたらいいのか、という議論が巻き起こった。それはつまり、ルームメイドを人間として見なすことができるかどうかという解釈の衝突でもあった。人権保護を主張する市民活動家たちがルームメイドへの人権付与を訴えて、東京都庁に押し寄せたこともあったそうだ。

 挙げ句の果てには、最高機密で保護されているルームメイドのシステムを解明しようとしたロボット愛好家たちが、ルームメイドを解体しようとして警察に逮捕される事件まで発生した。破壊されて動かなくなったルームメイドの動画がインターネット上に流出して、東京都はいよいよ抜本的な対策を出さざるを得なくなった。俺もその動画を目にしたよ。……あんなもの、見なければよかった。


 そして、対応に苦慮を重ねていた東京都にとどめの一撃を加えたのが、主機関に当たる『熱排出式バイオマス発電エンジンデバイス』のトラブルだった。

 本体の小型化・高出力化のために、このエンジンは相当な無理を通して開発された。そのせいか、原因不明の発火事故が多発するようになったそうだ。

 もし万が一のことが起きたら、介護や災害救助どころではなくなってしまう。東京都はルームメイドを開発した東野重工に何度も改善を依頼したが、どんなに改良を重ねても上手くいなかった。

 そしてそうこうしているうちに、その“万が一”が起きてしまった。熱暴走したルームメイドが発火・炎上して所有者の家を全焼させ、所有者自身が焼死してしまう、悲惨な事故が発生したんだ。

 東京都は最終手段に踏み切らざるを得なかった。去年の八月十日、事態を重く見た東野重工がルームメイドの新造計画を停止して、今後は修理にのみ応じる体制を取ることとすると発表。次いで九月一日には、ついに東京都がルームメイド派遣サービスの正式な新規供給停止を発表した。


 これが、以前に坂本が口にしていたルームメイド廃止の、本当の理由だったんだ。




 知らない間にこんなことが起きていただなんて。自分が世間からどれだけ乖離した存在だったのか、改めて思い知らされたもんだな。

 だが、そんな感傷に浸ったのも少しの間だけだった。俺の目はまるで吸い込まれるみたいに、廃止の日付に釘付けになった。


 生産ラインの停止が、八月十日……?

 それじゃ、その翌日以降にはもう、新規のルームメイド供給は止まっているんじゃないのか。

 それでもってサービス停止が九月一日だ。であればこれ以降、ルームメイドが新たにどこかの家庭に着任するはずはない。

 なぁ、彩。お前がここに来たのは、去年の九月三日だっただろう。いったいどういうことだ? サービス停止の二日後に『うっかり』ルームメイドを送り込むほど、東京都の対応は手抜きだったのか?

 それとも、もし役所の手違いでないのだとしたら。


 ──お前はいったい、何なんだ?




 その時、背後で皿が落ちる音がした。

 振り返った居間の入り口に、お前が立っていたよ。

 お前がどうだったのかは分からんが、俺から見たお前はまるで無表情というか……いや、浮かべるべき表情が分からなくて呆然としているようだった。

 足元に割れて飛び散った皿の破片が、次に目に入ってな。俺、思わず叫んじまったよな。おい彩──って。


 あの瞬間のお前の目は、今でも忘れられん。


 お前は逃げた。

 それこそ脱兎のように、猛ダッシュで廊下を駆けていった。

 俺は慌てて追いかけたよ。だが、若いお前の足には敵わなかった。靴も履かずに玄関ドアから飛び出していったお前の背中は、俺が家の前の道にようやくたどり着いた時にはもう、見えなくなっていた。


 『彩! どこ行ったんだ! 彩──っ!!』


 何度も何度も、お前の名前を呼んだ。

 狂ったんじゃないかと自分でも思うくらい、叫んだ。

 最後に見えたお前の背中は、右の方へと曲がっていったような気がする。ここで右折すれば、目の前にあるのは高い山だ。こんもりとした日の出の山々にはもう夕闇色の影が忍び寄ってきていて、暗い。

 大変なことになったと、その時ようやく思い至ったよ。


 叫ぶ声を聞き付けて、二塚のかみさんが飛んできた。

 彩が行方をくらませたことを話した俺を、かみさんは怒鳴り付けた。警察を呼ぶのが先でしょ、ってな。確かにもっともだったよ。情けない話だが、あまりの衝撃に俺は完全に冷静さを失っていた。

 そこからは大変だった。山の下から駆け付けてきた五日市署の警察に、俺は事情聴取を受けた。町の安全パトロール隊が合流して、山中の捜索が始まった。狭い山の中に聞き慣れないサイレンが響き渡ったもんで、松尾集落中の連中が家から出てきて、彩の失踪はあっという間に知れ渡った。

 落ち着いた隙を見計らって、息子にも電話したよ。お前の雇用者は一応、あいつということになっているからな。

 息子の取り乱し方は、はっきり言って俺以上だった。まるで命乞いをするみたいに、彩を助けてくれ、何でもするから、なんて具合に繰り返し訴えてきた。


 そして俺が問い詰めるよりも先に、話してくれた。彩──お前の、正体をな。






 日が落ちてくると、山中っていうのはすぐに危険になる。午後七時前に、捜索はいったん中止された。

 落ち着きを取り戻した家の中は、急速に暗くなっていった。帰宅しても食欲も何も湧かなくて、ただ──ただ受けた衝撃の大きさに戸惑うばかりで、しばらく俺は玄関に立ち尽くしていた。

 廊下に飛び散った皿を片付けながら、不気味なくらいしんとした家の中が無性に恐ろしくなった。年甲斐もなく感じた恐怖を払拭したくてテレビを点けたら、元気に遊ぶガキんちょ共が画面にでかでかと映った。今、隣の部屋に向かえば、そこでお前がぶるぶる震えてるんじゃないか──そう思えて、廊下に出た。

 真っ暗な台所のコンロの上では、塩味のついた野菜炒めがまだ湯気を上げていたよ。お前、調理を終えて盛り付け用の皿を拭いている最中だったんだな。

 飯も炊けていた。魚焼き網の上では、二尾の魚が仲良く並んで焼けていた。当たり前だが、どれも二人分だった。


 彩。

 あの時、どうして逃げたんだ。

 お前は何も悪くなかった。いや、現在進行形で何も悪くない。こんなに旨そうな料理だって作ってくれるじゃないか。文句も言わず、見返りも求めず、俺がぼそっと口にするだけの誉め言葉を糧にして、頑張ってくれていたじゃないか。

 俺がいけなかったのか。あの時、俺が『おい』なんて声をかけなければ。俺が廊下から見えるような位置に、パソコンの画面を置いていなければ。

 お前を追い詰めたのは、俺だったのか?


 ……ああ、安心しろ。お前が作っていってくれたあの料理はもう、俺の胃袋にちゃんと収まっているからな。冷蔵庫で料理を保存すると味が落ちるって、お前が口癖のように言っていたのは、俺だってよく覚えていた。

 二日に分けて食ったが、旨かったよ。……ただ、普段より少しだけ、塩っぱかったけどな。






 そして、翌日。

 朝から捜索を開始してくれた警察が、尾根ひとつ向こう側の沢の中に倒れている人影を発見した。

 すぐにドクターヘリが呼ばれて、同時に俺の元へと連絡が来た。服装などの特徴が一致しているため、本人である可能性が高い。病院に搬送し容態を診ると。

 現場に駆け付けた俺が目にしたのは、倒れていたという岩の上に落ちていた食器用の布巾と、だらりと垂れた赤い液体だった。

 ここまで来てようやく俺も、現実を受け止めることができたように思う。現実っていうのは、息子に聞かされた話のことなんだが。










 息子は俺に、言ったんだ。

 彩はルームメイドじゃない、本物の人間なんだ──ってな。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ