不思議なデコボコ兄弟の物語
この世界には数えきれないほどの竜がいる。
今いる場所しか安全な所はない――それが人類にとっての常識だった。
今日は、週に二度か三度ある戦闘演習の小試験の日だった。
ここドラゴンハンター育成機関「カルデラ」では、授業の一環としての試験であろうと、本物の竜を使って演習が行われている。
ハンター稼業に危険はあっても、命の保証はない。
試験は団体としての戦闘を予想した四人一組のパーティーを組んで行われる。
メンバーはくじ引きで選ばれるので、強い仲間と組めるかは運による。
「カインくん、そんな薄着で大丈夫なの?」
闘技室の入口で出番を待っている二班の女学生が、同じ班の背が高い男子――カインに話しかけた。
これから竜と殺し合いをするというのに、彼は黒い長袖のシャツにジーンズを身につけている。
「・・・大丈夫だ。」
そう答えるカインの、ぼぉ~っとした締まりのない表情を見ていると、この男は真面目に試験を受ける気がないのかと思ってしまう。
「・・・・・貧弱な装備で、ボーナス得点をもらう作戦ね……」
レザーアーマーで装備を固めた女子が、カインの軽装を評価し呟く。
彼女も二班である。
「そ、そうなのか?初めて知った。」
カインがハッと気づいた顔になる。
何という天然だ。
二班の班員達が恐ろしいものを見るような目になる。
「・・・まぁ、カインの腕力はお墨付きだからな。自分の攻撃で武器が壊れる心配をした方がいいな。その装備で大丈夫だ。この前、いっそ下着で挑んでもいいって言ってたしな。」
呆れたような声を発した、鎧姿のメガネ男子は、前回もカインと同じ班だった。
下着!?女子陣の二人の目つきが変わった。
イケメン男子の半裸が見たくない女はどこにいるのだろうか?
いや、いないとは言いきれないがいないはず。
この事実は、独断の判断で進めてさせてもらおう。
「なんだ?別に下着でもいいぞ。」
カインの気の抜けた発言で、二人の女子(腐女子?)はいっそう目を輝かせる。
「ダメだろうがッ!重要なのは、防具としての性能じゃない!紳士にとって下着姿を見せるのは恥だぞ!!」
メガネ男子学生は色めき立つ二人の女子を牽制すべく、カインに言ってきかせた。
「・・・別に俺は紳士じゃないんだが……」
カインは重い鉄製クレイモアを、ペンを振り回す要領でクルクルと振り回し始めた。
あまり真面目に注意を聞いているようには見えない。
メガネ男子学生が半分キレぎみで力説する。
「お前、絶対わかってないぞ!気づいたら女に食われ」
「安心しろ、殺られる前に殺る。」
前回の小試験で、クレイモアで風穴を空けられた飛竜の無残な姿が、メガネ男子学生の脳裏をよぎった。
カインが穢れることより女子生徒(腐女子?)達の命を心配するべきかもしれない。
カインら二班が和気あいあい話していた頃、彼らの前にある、直径50メートルほどの円状の部屋――第一闘技室では、訓練用の竜が解き放たれていた。
竜の種名は岩竜。
戦闘演習のために南にしかいないこの竜を捕獲してきたもので、総合戦闘力の高さは折り紙つき。
頭以外の体は翼はないが分厚い岩に被われていて、額の一角は鋼鉄に風穴を空けれるほどの威力を持つ。
闘技室内にいた戦闘学部の学生・一班の四人は、獰猛な岩竜の荒々しい息づかいを聞いただけで、身体中の筋肉が萎縮し、動きが鈍った。
――恐ろしい
竜と向き合った四人の頭の中を支配したのは、補食される動物が抱く本能的な畏怖だった。
ドラゴンハンターは捕食者にも、間違えれば食われる方にも成りうる。
竜を狩ってドラゴンハンターとして生計を立てている者もいれば、未熟さ故に竜に食われ命を落とす者もいる。
この場にいる学生達は、ハンターになるため戦闘訓練を受けていたが、まだ竜特有の権能から抜けきれていなかった。
一班の学生は、全員が壁にベッタリと張りつき、咆哮をあげて突進してくる竜から距離を取った。
ワラワラと壁にそって逃げ惑う姿は、傍から見るとかなり情けない。
『誰でもいいから助けてくれ!』そんな思いが見え隠れする幼い視線を、逃げ惑う四人の中の一人が出入り口の上に向けて飛ばした。
そこには、観客席がある。
観客席から鋭い視線で高見の見物をしているのは、戦闘学部の授業を受け持っている現役バリバリハンター教官だ。
その隣には、背筋をピンと伸ばして立っている若い女教官補佐の姿もある。
「貴様ら、逃げてばかりじゃ評価は与えないぞ!」
視線に気づいた教官は、学生の甘い期待を叩き折り、代わりに厳しい言葉を投げかけた。
「残り時間、二分一秒です。」
教官の隣で大人しく控えていた女教官補佐が、腕時計を見て淡々と告げた。
闘技室の高い壁に張りついたまま、何もできずにいる学生達は、女教官補佐の言葉を聞いて焦り始めた。
カルデラでの成績が悪いと、都会支部での所属が難しくなる。
ドラゴンハンターギルドを支えている支部長に言わせてもらえば、実力のないハンターに所属されると、足手まといで迷惑だからだ。
前線の極東支部でなくても都会の支部に所属したければ、好成績を納めるしかない。
「仕方がない。一班全員、評価はDだ。」
Dというのは、ヤられて戦闘不能のEを除けば、最低評価である。
別名、生きてるからよかったなこの落ちこぼれ賞。
実に不名誉な評価だ。
「俺がなんとかしてやる!!」
「そんなこと言ってアナタ、竜とは逆方向に走ってるわよ!!」
「死にたくないよ~!」
ギャアギャアわめいている試験中の四人に目を向けることもなく、女教官補佐は手元にあるボタンを押した。
室内に終わりを示すブザーの音が響きわたる。
「時間です。」
女教官補佐の事務的な声を聞いて「ウワァ~」、と学生達はうなだれた。
結局、制限時間いっぱい、竜から逃げ回っただけで終わってしまった。
もっと命懸けの無茶をすればよかった、と一班の学生達は思った。
次に活かしたことのない、反省。
「さあ、立ち去れ。」
教官に言われるまでもなく、一班の学生達は早足に闘技室から出た。
竜は暴れ続けている。
一班の学生達と交代する形で、室外に控えていた一人の現役ハンターが闘技室に入り、竜を檻に押しやった。
教官は手にした紙に、逃げ回るだけで試験時間を終えてしまった一班の評価と戦闘内容をメモに記した。
当たり前のD判定だ。
「次、二班。」
「行くか。」
黒髪をはためかせ、カインが闘技室に入場した。
檻を挟んで向こう側にいる、既に怒りで口から湯気を吹いている岩竜を見るなり、カインの口が歪む。
「岩竜か………♪」
「「「うわっ……」」」
カインとは対照的に、続いておそるおそる入ってきたその他の二班の学生達は、竜を見てテンションを大幅に下げていた。
あんなゴツイのに体当たりされたら、骨が折れるどころではすまないだろう。
あれは自分達の手に負える相手ではない。
カインに任せた方がよさそうだ。
と三人は悟った。
「ち、俺達じゃダメだな。カイン、頼む。」
状況を早くは判断したメガネ男子が、そっとカインに耳打ちした。
再び檻が開かれ、入口付近で密集していた二班パーティーへと竜が突撃した。
力強い鉤爪が地面を削り、土煙を巻き上げる。
カインを除いた三人の学生は、竜の迫力に圧されるように散開する。
三人は(特にメガネ男子)は、消極的に見られて評価を下げられないよう反撃の機会を窺うフリをしつつ、竜から必要以上に距離を取った。
「こい!」
カインは一人センターに残り、クレイモアを振りかぶる。
剣術を習うまでもなく、誰にでもできる平凡なひと振り。
それが、クレイモアでデタラメなパワーとスピードで繰り出される。
「ハァァァッ!」
クレイモアの刃が岩竜の一角を切り飛ばし、そのまま竜の顔面を捉えた。
竜の額に刃がめり込み、どす黒い血が噴き出す。
だが、それでも竜の突進は止まらなかった。
クレイモアの刃の腹が竜の頭蓋骨まで届いたにもかかわらずだ。
巨体な重圧が、軽装のカインの体に襲いかかる。
カインは歯をくいしばって、受け止める。
クレイモアの刃は後は振りきるだけなのだが、岩竜の硬い骨格に引っかかって両断できない。
気づけば、カインは竜の生暖かい鼻息がかかる距離まで接近していた。
「臭い。」
カインがクレイモアの柄から手を放し、拳を握り竜の横面を殴り飛ばした。
竜は、吹き飛び闘技室の壁に激突していた。
震動が伝わって、室内全体が揺れる。
鋼色の壁面に、大きな亀裂が入っていた。
――怪我はないな。髪に反り血がついただけか。
クレイモアの刃が半分頭に埋め込まれたまま竜は、既に思考力を失っていた。
残っているのは闘争本能と運動神経だけだった。
クレイモアが気になるのか、竜は壁に何度も頭を打ちつける。
しかし、それで頭の違和感が消えることはなかった。
違和感を消し去りたい固めに繰り返された頭突きが、壁の亀裂を広げていき、ついには壁を崩壊させた。
このままでは竜が闘技室から出てしまう。
「やばい!」
慌てて教官は観客席を飛び降りて、竜を捕獲しようとしたが、教官が着地する頃には、既に竜は壁に空いた穴を通り抜け、闘技室から外へ出ていた。
竜を檻に入れ直す役割を任せられているハンターが室内にやって来たが、これまた一歩遅かった。
「逃がすか!」
カインは疾風の如く猛スピードで竜を追いかけていった。
カイン以外の二班の学生達は、呆然として竜を追いかけるカインを見送っていた。
「・・・・・・。」
破壊された壁を見て、教官は腕を組む。
少し古ぼけた校舎だったが、闘技室は用途が用途なので、定期的に修繕している。
そのため壁が脆くなっていたとは考えにくい。
竜の潜在能力を甘く見ていたことは認めるしかない。
「急いで竜を処分しろ。」
女教官補佐とハンターは引き締まった声で「「はい」」と返答しつつ、闘技室から出ていった。
――あっちは確か、寮だったな。
二班のメガネ男子は、寮で待機中の学生達を案じた。
寮では今頃、カインの兄が授業を終えて寮に帰っているはずだった。
――カインの本気、見れるかも知れないな。大惨事にならなきゃいいが……
カインには、彼とは顔以外対照的な容姿を持つ双子の兄がいた。
そのパッと見、将来イケメンになる可愛い男の子にしか見えない弟と見紛う兄――レインは、同じカルデラの後方支援学科に属しており、今日も遠距離武器の訓練を終え、寮のロビーで習慣づいた授業後の紅茶を飲んでいた。
レインは右手に持ったマグカップに入った紅茶を味わって飲む。
「美味しい。」
口の中に広がる紅茶の味を楽しみながら、目線を前に向ける。
するとティーポットを持った男子がいてレインのカップに紅茶を足すのであった。
「おかわりでございます。」
レインの机の横に立っているティーポット(男子学生)は、黒いスーツを好んで着用することで有名で、今日もスーツに懐中時計という執事風の格好でレインに付き従っていた。
ティーポットを持っていたのは、彼のスタイルの一つらしい。
ここカルデラでは、学生の服装を指定しておらず、完全自由。
なので、彼の執事姿を咎める者はいなかった。
問題は、なぜか彼が非常に高い確率でレインに執事として世話をするということだった。
さしてレインと仲がいいわけでもない彼が、こうも毎回毎回、気づいたら近くに立っていることにレインは違和感を禁じ得なかった。
「・・・・・。」
なんであれ、毎日付き従われる身にもなってほしい。
確かに世話をしてもらうのは悪くはないのだが、レインは自分の世話は自分でする主義なので、余計なお世話なのである。
――・・・・イライラするな。
レインは感情を出さない眼で、ピシッと着込まれた燕尾服姿の男子学生を見ていた。
そこにいて当たり前というような存在感に、主人への忠誠を誓うような顔。
何か見ていてイライラしていたら、無意識のうちにカップを傾けていた。
中の紅茶が、テーブルの上を跳ねてレインの袖についた。
レインは眉をしかめ、カップをテーブルに置き袖についた紅茶のあとを見る。
寮で、私服ではなく授業用に羽織っていた黒いガウンでよかった。
紅茶の染みが目立たない。
「レイン様、ガウンが汚れてしまったので洗わせていただきます。」
そう言って、レインの了解を待たずに、いつのまに来たのか、寮生の一人(これまたメイドみたいな姿な女子学生)がレインのガウンを脱がしていた。
レインはウンザリな顔をした。
「いい、自分で洗う。」
「ダメです。洗わせていただきます!」
女子学生はレインの言葉を意に介さず、手馴れた早さでガウンを脱がし、立ち去った。
一連の行為が、レインには新手のテロのように感じられた。
去っていく女子学生が、レインのガウンに顔を押しつけてうっとりしている姿を見なかったことにして、レインは自分の時間に浸ることにした。
「お元気かね?」
自分の時間に浸ろうとしたレインに声をかけたのは、この寮で寮監を担当している教官だった。
「お陰さまでくつろいでいます。」
正直、くつろいでない。
この寮にいる人間達が変人だからだ。
が、それを指摘するほどの元気はレインにはなかった。
それに、変人の中には、この教官もしっかり含まれている。
「それは良かった。で、今夜のディナーにどうかな?」
優しく親切にお誘いしてくれる、いい教官なのだが、多分この食事のお誘いに娘でも紹介する魂胆なのだろう。
そんなに世話をやきたくなるように自分が見えるのだろうか。
確かに弟より身長は低いし似ている顔だって、弟より幼く見えるが……
――まさかね……。
「すみません。今晩はどうしてもやらないことがありますので。」
「そうか、忙しいのならしょうがない。では、いつか。」
教官は残念そうな顔をして離れていった。
その教官と入れ替わるようにしてやって来たのは、メイド服を着てなぜか猫耳をつけている女子学生だった。
毎日、違う色の猫耳をつけている彼女は、沢山の本を抱えて歩いていた。
フラフラと歩いている女子学生の姿を捉えたレインは、経験からくる嫌な予感を抱いて、反射神経を研ぎ澄ませていた。
「オットットニャッ!」
彼女は何も躓くものがないところで足を滑らせて、レインに向かって抱えていた本を全てぶちまけてきた。
しかし、レインは飛んでくる本を、カップを持ったまま溢さずかわす。
――ふぅ、危ないあぶない。
目を離さなくて正解だった。
また紅茶が服について脱衣させられるところだった。
ここ最近ではないが、猫耳メイドに近づかれるだけで危険を感じるようになってしまったが、その嫌なクセのおかげで助かった。
レインは足を滑らせた女子学生に、非難を込めた視線を送る。
「ごめんなさい!ここ、よく滑るんですよ!!」
これで何度目になるかわからない彼女は滑ってコケている。
滑りすぎだ。
注意力散漫で片づけらるレベルじゃない。
ドジっ子だからって許さないぞ。
どうすればそんなに滑るのか逆に教えてほしいものだ。
――く、……頭が痛くなる。
入学前はこんな雰囲気は無かったのだが……
気づいたらお坊っちゃま扱い。
――俺はガキじゃないっ!!
レインが憂いに沈んだ顔をして、この環境を心の中で嘆いていた。
轟――――ッ!
という音とともに、頭の半分にクレイモアが埋め込まれた岩に身を包まれた竜が寮門の扉をぶち抜いて敷地内に飛び込んできたのは、そんな時のことだった。
「ウワァァァァッ!?」
突然目の前に竜が現れた。
学生達が反射的に身を低くして後ずさる。
慌てて立ち上がったはいいが、腰を抜かして大げさに尻餅をついたり、テーブルにぶつかってしまう者もいた。
寮の手入れされた敷地に、ポタポタと血を滴ながら、竜は寮の建物ごと、混乱している学生達を蹂躙していく。
「皆さん、落ち着きなさいッ!!」
先ほどレインに紅茶を入れてくれた紳士風の学生が、大声で寮生に呼びかける。
「私達は何のためにこのカルデラに通っているのです!今こそ成果を見せるときですよ!!」
「そうか、そうだな!」
「私たちならなんとかなりますわよね!」
この学生達、とにかく運はよかった。
彼らがいのは隅の方で、竜の視界に入りにくく、比較的安全だった。
それは角度のレインにも当てはまった。
――このまま竜が過ぎるまでじっとしてくか……
レインは考えていたが、あることに気づいた。
――ん、これは……
このテーブルは寮生に包囲されている。
いつの間にか部屋の角に溜まる埃のように、レインの周りには寮生が群がっていた。
「レイン様、大丈夫ですよ。執事である私が守ります。」
「わたくしが守りますわ」
「べ、別にお前のタメじゃ」
「アタシが守りますニャ~」
「ウチが」
「わたくしめが」
「なんか、もうウザいな!?」
――・・・っ、そんなことより、こんなに固まったら……
竜がこちらに狙いを定めて突進してくる。
レインの懸念が現実になった。
一人の、あの執事風の男子学生が前に出て、レインを振り返り、凛々しい笑顔を見せて、言った。
「マスターのためなら私は死ねます。」
――ドサクサに紛れてなに言ってんだこいつ。
「さぁ、見てください貴方の執事の力を!」
――忠実心が怖いってか、別にお前は俺の執事じゃないよ!?
「いざっ!!」
執事風の男子学生はレインの前に立ちはだかり、銀のケーキナイフをフェイシングのように構え、竜の体当たりを受けた。
執事風男子学生は力尽きた。
「ええぇっ、弱ッ!?」
瞬殺とはこのことか、とレインは呆れたが、それでも彼が犠牲になってくれたおかげで、自分の身が守られたのは確かだった。
「あのバカ……前衛じゃないのに前に出て……」
「カッコいいじゃないか、自分の得物じゃないのに!」
「よし、私たちもマスターの壁になるんだ!」
「ワーッ!」
「ウオーッ!」
「ニャーッ!」
「ウオォォォォォォッ!!」
レインの前に学生達が集まっていき、スーツとメイド服、白黒の障壁が顕現した。
主人の思う力が発揮されていた。
彼らのレインを守りたいという思いは本物だった。
別に主人じゃないのにと思う代わりに、レインは一時的な安心を得ることができた。
『すごいな、こいつら。』
唐突に、男性の壮年さを思わせる、低い声が響いた。
レインが横に目をやると、ツバつきの黒い帽子を被った男が胡座をかいていた。
しかも、宙に浮いている。
若者ようにも老人のようにも見える不思議な顔に、黒いコートを身につけた痩身。
その姿は謎めいているとしか言い表しようがないように思われた。
『人気だな、少年。』
男はいかにも面白いとでもいうように、笑みを浮かべた。
――ゼロ、黙ってろ。
この男はレインにしか見えていなかった。
入学前、物心がつく前から、レインは毎日のように男の幻覚を見るようになった。
『俺は何でも無い、ゼロなのだよ少年。』
と意味不明なことを言うので、レインは暫定的に「ゼロ」と呼んでいる。
精神科が言うには、あまり意識しない方がいいらしいので、レインは自然体で幻覚と接するようにした。
『つれないな少年。』
レインが不機嫌そうにしているのを察したのか、ゼロは地面に沈み消えた。
賢い幻覚で助かった。
「・・・・・クッ、もたないわ!」
「もう無理だニャ!限界だニャ!」
「あとは任せました……ッ!」
学生達は竜に吹っ飛ばされたり轢かれたりたりされ、一方的に虐殺されていった。
白黒の壁は薄くなっていく一方。
そろそろ遮蔽物としての機能を失いつつある。
「こうなったら、これしかありませんわ!」
メイドの女子学生はレインに抱きつき、その身を盾にした。
「抱きつくなぁぁぁッ!」
包容される形になったレインは叫んだ。
だって、なんか恥ずかしいから。
「あぁ、レイン様の!レイン様の温もり!愛おしい、愛おしいですわ!!」
「怖ァァァァッ!?」
そう叫んでいる間に、竜の足音が近づいてきていたのだ。
「誰かッ、誰でもいい誰かぁぁッ!!」
レインは青空に向かって手を伸ばしたが、寮の敷地内は死屍累々の状況になっており、レインを助けられる人はいなかった。
この時より、一瞬前までは。
「・・・俺の兄さんに、なにしてんだコラァァァァ!!」
竜よりも速くレインに駆け寄ったカインは、レインに抱きつく女子学生を引き剥がし、投げ飛ばした。
力技の一本背負い投げ。
投げ飛ばされた女子学生は寮の窓を突き破り、部屋の壁にめり込んだ。
しかし、一瞬の隙を作らず竜の体当たりがカインを襲った。
「ふん!」
咄嗟に振り返ったカインが竜を受け止めた。
「ハァァァァァァァァァッ!!」
カインの全身の筋肉が膨張。
足の縫工筋から下腿三頭筋、大腿四頭筋、大臀筋に中臀筋が、
胴の外腹斜筋と腹直筋、前鋸筋と大胸筋が、
背中の大菱形筋、広背筋、僧帽筋が、
両肩の三角筋、腕の上腕三頭筋、上腕二頭筋が、
全身の約四百種、650もの筋肉が限界まで膨張。
超人となったカインの全身が生む剛力が束ねられ、竜を押し返す。
押し返しながらクレイモアの柄を掴み、振り抜いた。
埋め込まれていた刃が脳を破壊し、さらに虚空へと走り抜ける。
岩竜の頭が吹っ飛んだ。
血が派手に噴き出て、カインの服を汚した。
寮の敷地に血の雨が降った。
頭が無くなった竜は体を傾き、ズゥゥゥン、と低い音を立てて倒れた。
竜が立ち上がる気配はない。
「・・・カイン。助かったよ、あり……グホッ」
カインはフラフラと立ち上がるレインに飛びつき、強く抱き締めた。
「兄さん、無事で良かった!」
ミシ、ミシミシ……
「おおお、あ肋が!」
カインに抱き締められ、万力の如く締められているレインだったが、彼の表情に浮かんだものは、怒りや悲しみではなく、安堵だった。
「そ、そろそろ放してくれないか?」
――身長と筋力は俺より倍も上だけど……カインは俺を必要としている。
この痛みが、弟のカインとの絆が感じられる。
「兄さんは前衛じゃないのに前で戦おうとしないでよ。」
――・・・別に好きで前に出てはないが……
「まぁ、ともかく……ありがとなカイン。助かった。」
なんとかカインの拘束から抜け出し、後事にしか見えない乱れた衣服を整えつつ、レインはカインに感謝の気持ちを伝えた。
「俺と兄さんの関係だから、いいってことだ。」
「そうだな……しかし、少しやり過ぎたみたいだな。」
レインは先ほどカインに寮内に投げ飛ばされた、今は力なく壁にもたれかかっている女子学生を見て言った。
別に同情してはいないが、死んではいないかと不安になる。
が、女子学生の手にレインのガウンが握られているのを見てしまったのでほっとくことにした。
「しかしなぁ……ん?お、おっと!」
レインが視線を女子学生から放すとほぼ同じタイミングで、寮の壁がガラガラと音を立てて崩壊した。
闘技室と違って、寮の壁は強度なんて全然なかった。
岩竜とカインが投げた女子学生の衝突で、壁は一気に寿命を削り取られてしまったようだ。
「・・・・・どうすんだ、これ。」
一部が崩れた寮に太陽の光が照っている。
この世界では旧文明から引き継がれる「飛行機」やらの機械がありハンター達はそれで各ドラゴンハンター支部へと移動してる。
空に、黒い影が映っていた。
初め小さな点だった影は、徐々に大きくなり、流線型の形状へと変化した。
何かが飛んでくる。
レインは空を見上げた。
後光が射していた。
太陽を背負っているのだから当たり前なのだが、なぜか酷く神秘的に感じられた。
それは、レインにとって始めて見るものだったからかもしれない。
流線型の戦闘機、黒いボディ、不思議な蝶のステッカー。
砂埃をはらんだ風が、流れるように着地した戦闘機からレインに向かって吹いてきた。
顔を背けたくなるほどの風を浴びても、レインは黒い戦闘機から目を離せなかった。
黒い戦闘機、蝶のステッカー。
レインは戦闘機について何もわからないが、どこの支部に所属しているのは知っている。
黒い戦闘機のハッチが開き乗っていたハンターが姿を現した。
茶色い革のコートに頭に飛行眼鏡を乗せた。
ボサボサ頭の若い男だった。
服装や顔つきから、まさにドラゴンハンターな雰囲気を醸すその男は、場違いな格好をしているはずはないのに、執事やメイドの服を着た学生が多い寮の風景に馴染んでいなかった。
そう言えば、レインとカインの姿も場違いだ。
男は煙草をくわえながら颯爽と戦闘機から飛び降りると、レインのいる方に向かって歩いてきた。
歩幅が広いためか、あっという間に男はレインの目の前に着く。
男は周りを……至るところに崩れたりしている寮とその敷地を見ていた。
「この寮の設備、なっていないようだな。エルモア・カイン・ラツィオ。」
男はレインを見て言った。
傲慢な態度ではなかったが、やけに冷徹な物言いだった。
そのせいか、台詞から感情が読めない。
…
「すみませんが、カインは俺じゃなくて横のデカイ奴が弟のです。」
とりあえずレインは訂正した。
男はあっさりと理解を示した。
彼はカインに双子の兄がいることを知っていたようだ。
「お前が小さき兄か。」
レインは見ず知らずの男に「小さき兄」呼ばわりされて、非常に腹が立ったが我慢する。
「あ、貴方は?」
「戦闘機を見てもわからないのかバカめ。前戦で竜と戦うハンター支部から来たハンターだ。バカめ。」
とても腹が立つハンターだ。
「兄さん、どうしたの?」
まだ意識のあった学生何人かを引き連れ、血ミドロのカインがやって来て言う。
レインの後ろに現れたカインを見て、ハンターは「丁度いい。」と呟いた。
ハンターらカインに殴りかかったが、拳はカインの顔、一㎜手前で制止した。
ゴォォォッ!
爆風が発生し、カインの髪がオールバックになる。
「確かに、報告書通りのガキだな。」
「え?なにこの展開!?」
戸惑うレインをよそに、確認が取れて、ハンターは心なしか満足げだった。
「・・・この人は?」
髪を戻すカイン。
「カインの知り合いじゃないのか?」
ハンターはカインについて書かれた報告書の顔写真を確認しただけで、直接の面識はなかった。
「俺は、お前を迎えに来た。」
カインの前に立って、ハンターは用件を述べた。
「・・・未開地の探検の件ですね?それなら、お断りしたはずだが?」
未開地の探検と聞いて、学生達がざわめいた。
最前戦のさらに向こうにある竜の世界、竜が現れる昔はユーラシアと呼ばれた大地。
未だ人類には到底太刀打ちできない神龍クラスの化け物達の生息域と伝えられた世界。
これまでに何人かのドラゴンハンターが行ったが、すぐに引き返してきた者を除いて、ある人物以外一人も帰ってきていない。
竜の現れた後に産まれた世代には、最前戦から先には、竜に破壊され海しかないやら砂漠しかないと思っている。
レインとカインもその世代に産まれた。
でも、もしかしたら……最前戦から先にも、生き残った人類がいて、ドラゴンハンターとして竜と戦っているかも知れない。
それを確かめるためか、最前戦で戦う支部を率いる支部長であり、ドラゴンハンターの発案者であり、未開地の最深部まで足を運んだ
「ケチ」が、全ドラゴンハンター支部から優秀なハンターを募った。
「お前は、兄が参加しないことを理由に、未開地の探索の参加を断ったそうだな。」
「・・・いけないのか?」
「フン、別にいけなくはない。ただな、お前の参加を推薦する声も多いのも事実だ。そこでだ、俺達はお前の兄に、特別に探検への参加権を与えてやることになった。」
「俺に!?」
「そうだ。」
ハンターはその鋭い瞳で、品定めするような目でレインを見た。
レインはこの場に居づらく感じ、モゾモゾしていた。
「・・・・戦闘力……のゴミか。」
「ゴ………………ッ!?」
レインの能力値は、どれもカインより貧弱だった。
パワーだけだぞ。
「お前ら、本当に兄弟か?」
「もちろんだ……見てわかるだろ?」
「・・・兄弟だとしても、兄と弟が逆だと思うんだが……」
確かに、顔を見た感じの似ている。
だが、双子としてこの身体の成長が違うものなのだろうか?
「・・・まぁ、いい。これでお前が参加しない理由はなくなった。」
ハンターはカインを見て言った。
「・・・・兄さん、どうする?」
カインはレインを見て言った。
「カインはどうしたいんだ?」
レインはカインを見返して言った。
「・・・どっちでもいい。兄さんが決めて。」
「おいおい、決めてって言われてもな……」
カインにとっても、重要な選択だ。
――それを俺が決めていいのか?
「探索の参加を拒否した者は、お前の弟ぐらいなものだったぞ。」
カルデラに通っている者の多くは、未開地の探検に憧れを抱いている。
遠い昔に奪われた地平線を求めている。
そういった者が、探索に参加することを拒む理由がない。
「期間は約一年間を予定してる。参加者には各々が所属している支部またはカルデラの一年分の働きと単位を付与する。まぁ、留学みたいなものだな。かかる費用は、一切をドラゴンハンターギルド連盟が負担する。参加者が支払う金額は0。タダだ。」
こう言われると、裏があることを疑いたくなるくらい、うまい話に聞こえた。
「タダといっても、参加する学生は、いろいろな係りに就いてもらい、それぞれ仕事をしてもらう。そこは、持ちつ持たれつだ。」
ハンターは簡単な説明を終え、返答を待つ姿勢は「さぁ、早く言え。」という、返答をせかすかすかな声なき声が、レインには聞こえた。
「父と話し合わせてもらえませんか?」
レインはあまり乗り気ではなさそうだ。
――変わった学生も、いやコレが普通の人間の考えかもな。
とハンターは思った。
「・・・お前の親父には、もう既に話をつけてきた。お前の意思で決めろ……いや、お前の意思で決めるべきじゃないか?お前はもう、それなりの年齢だからな。」
それは、十代後半という、子供と大人の境界線にある少年の心をくすぐる言葉だった。
「・・・わかりました。参加さしていただきます。」
断れる雰囲気ではなかった。
粘るのが面倒くさくなってきて、レインは微かにうなずいてみせた。
「それでいい……さぁ、乗れ。」
間近で見る戦闘機は、まさに鉄の怪鳥といった感じだった。
「・・・・とうっ!」
カインが一人で先に梯子を使わないで戦闘機に飛び乗った。
「はん。元気がいいな。」
続いて、ハンターがカインの前に腰を下ろした。
「・・・あの~、俺はどこに乗ればいいのでしょうか?」
戦闘機の操縦席は二人がせいぜいで、三人乗るには無理があった。
「お前はここに入れ。」
ハンターが指差した場所にレインが目をやると、戦闘機の腹の部分が開いていた。
「・・・・・。」
もしかとは思うが、あそこは本来、爆撃のために爆弾やミサイルやらを入れている所ではないだろうか。
「今日は積んでないから、中は空いている。そこに入れ。」
――無茶言うなよ!
確かに、レインはカインに比べて小柄だが……なんか悲しくなったレインであった。
「準備できたか?」
「いや、ちょっと待って、閉めないでください!」
――やるしかない。
と決意を固め、レインは戦闘機の中に入った。
戦闘機のミサイルやら爆弾を格納するスペースは暗くて狭い。
――・・・・・まるで、棺桶の中に入れられた気分だ。
『おい聞こえるか?ちょうどお前の頭の所に小型無線機が貼りつけられているだろ?これで話すことを話す。』
確かに、無線機が天井にガムテープで貼りつけられていた。
「すいません。ここ、なんか寒いんですけど。」
『そりゃ、隙間が空いてるからな。』
「えッ!?」
『安心しろ、勝手に開きはしない。そこの隙間から外でも見とけ。』
ハンターは戦闘機にエンジンをかけて、離陸するために走らせ始めた。
「うわ、ちょ………痛ッ!?」
当然、シートベルトもしていないレインは中で頭やら腰やらをしこまた打っていた。
気づくと、戦闘機は地を離れ、空へと舞い上がっていた。
「・・・オオッ!」
戦闘機の中でカインが感激の声を漏らし
「痛ぇぇぇぇッ!」
戦闘機の腹の中でレインが体をぶつけて、悲鳴を漏らした。
・・・・・こうして、愉快なデコボコ兄弟の長い冒険が始まった。