☆4☆ 家庭教師は意地悪王子
シュッシュッという紙のこすれる音が部屋に響く。
夕食も終わって、本当ならリラックスタイムのあたしの部屋はスパルタ塾が開かれていた。
勉強机の椅子に座ったままの状態であたしの視線はひとつに注がれる。
部屋の中央に置かれたお気に入りの白いテーブル。
買ったばかりのカラーペンを握り締める細くて大きな手。
スッと整った横顔を見せながらユキが無言でプリントの添削をしていた。
お行儀よく正座が妙に微笑ましい光景ではあるのだけど。
数年のブランクがあったからか、ユキの姿は浮いて見えた。
律儀にやってくるとはね〜。
逃げちゃえばいいのに。
そーいうところは変わってないんだな〜。
あたしは椅子をクルリと回すと、真っ直ぐ勉強机にむかい頬杖をついた。
それより、ビックリだよね〜。
アラシがあたしの事をね〜……。
なるほどね〜。
部屋に漂う異様な緊張感なんかそっちのけで、机に置かれたサイコロを指でつつく。
ふいにアラシの顔が思い浮かぶと顔は自然とニヤけてしまう。
対面にあるカーテンを引かれた窓ガラスに反射した間抜け顔のあたしがうつると、ハッとして顔をひきしめた。
ダメダメ。
今は受験が一番じゃん。
それに、高校だって同じになる予定なんだから焦らなくたってね〜。
あたしとアラシは仲がいいし。
2年生からのクラスメイトだし、なんとなく話も合う。
頭の方も同じくらいでお互いにバカにしあうくらいが丁度いい。
まあ、彼氏とか彼女とかってのは良くは知らないけど。
アラシとなら――……。
「楽しそう……」
あたしは無意識にそう言っていた。
そんなあたしの独り言を聞かないフリなんかしてくれるほどウチの家庭教師は甘くない。
「何が楽しいって?」
いつの間にかユキが隣に立っていた。
机に置かれた腕が目の端に見えて、あたしは頬杖をついたまま視線をあげる。
たった今、添削の終わったプリントを目の前にバサッと置きながら軽蔑するような眼差しで見据えるキラキラ王子。
「あ、えっと〜……、お勉強、楽しいな〜って。あ、終わった? あたしがんばったでしょ〜? あは、あはは」
自然に言っているつもりでも、ワザとらしく顔がひきつってしまう。
「がんばった……ねえ。で、楽しいんだ」
少し考え込んでから、ニッコリと微笑みかけてくるユキに、つられて微笑んでみせた。
んなわけあるか!
そうは思いつつも笑顔は崩さない。
「た、楽しいよ。だってユキだよ? と、友達に言ったらみんなに羨ましがられちゃう。ユキってほら、学校で王子とかって言われてるし、こんな状態がバレたら学校中の女子の標的かな〜なんてね」
あたしはうんうん、と頷きながら力説する。
ユキの影が動くと、あたしの肩にそっと手をおく。
「じゃあ、もっと楽しもうか」
少しだけ高いユキの声が低音に変わって耳元をくすぐる。
あたしの右耳から身体の奥にジーンっと染みわたるような声に一瞬、身体がくにゃりと溶け出しそうになる。
やっ!
ち、力がはいらない……。
慌てて耳を押さえるけど、微かにかかった吐息の感触が耳たぶに残ってジンジンした。
「なにするのよ!」
精一杯の反撃は目に力をいれて睨むことだけ。
睨みつけた先には勝ち誇った笑みを浮かべて鼻で笑う王子の嫌な顔。
「それはこっちのセリフ。どうせ、遊ぶことばっか考えてるんだろ」
「なっ!」
うそ〜っ!?
バレてんじゃんか!
あたしは口をパクパクさせた。
「ま、楽しいって言ったんだから覚悟しろよ」
「え?」
「さっそく、楽しんでもらおうかな。特に数学」
「数学……」
笑顔の王子様はあたしの頭をコンコンとドアをノックするように小突く。
あたしは机に置かれた添削済みのプリントをおそるおそるめくる。
「しっかし、どうやったらこんな回答ができるんだよ。バカか!」
ユキは信じられないとばかりに大きくため息をつく。
めくられた数学のプリントには丸はほとんどなく、はじかれたようなレ点がたくさんついていた。
「基本だろ? アホすぎ! バカすぎ! 脳みそないんじゃない?」
たたみ掛けるようなユキの言葉が降り注ぐ。
「な、何よ……そこまで言うことないでしょ……今日なんてサイコロとどれだけ戦ったと思ってるの! ユキがこんなむちゃくちゃな宿題だしたから!」
「へ〜、泣き言? 情けないヤツ。自分でやるって言ったんだろ? 脳みそだけじゃなくて根性もないの?」
ユキの冷たい一言に言葉が出なくなる。
「サイコロと戦ってこれ? 信じられないな。」
「どうせ、ユキとは脳みそのつくりが違うよ。それに……」
「あーっ! うるさい! じゃあ問題! 6がでる確率はいくつだよ」
ユキの声は脅すように迫ってくる。
「6がでる確率……」
突然の出題とユキの荒い声にビクつきながら肩を縮める。
6のでる確率。
サイコロは全部で6面だから……。
昼間、何度も繰り返してやった確立の問題だ。
しかも、この問題は基礎で、ユキは決して意地悪をしているわけじゃない。
だけど、あたしの頭の中は6と聞いて麻衣の言葉を思い出す。
6は好きで、1は嫌い。
その確率は……。
アホーッ!
そんな事、考えてる場合じゃない!
今、まさに、あたしはヘビに睨まれたカエル。
この問題を解かないと何を言われるかわからないんだから。
「えっと、サイコロは1から6までで、つまり、えーっと……」
指を折りながら考え込むあたしにユキは更にため息をつく。
悔しいことに、そんな姿さえも見惚れてしまう。
不機嫌な顔をしていても整ってるんだから、きっと笑ったらもっといい感じなのかもしれない。
って、何考えてんのよ!
また余計だっつーの!
本当にあたしの頭って雑念の塊だよ。
顔の中心に向けて皺をつくり、ギュッと目をつむる。
「時間切れ! 基礎が足りなすぎるんだよ。ったく、がんばるところが検討違いすぎなんだよな……」
怒るわけでもなく、困ったように額に手を当てて、諦めたような声を出すユキにあたしは懐かしさがこみあげた。
な〜んだ、ちっとも変わってないじゃん。
意地悪なんかじゃない。
ユキはこんなだった。
勉強が苦手だったあたしの手を引くように根気強く教えてくれた。
九九をおぼえる時もずっと隣で呆れながらも待っててくれたよね。
『バカなんかじゃないよ! おばさん! チョコちゃんはがんばってるんだよ!』
小さなユキはいつだってあたしをかばってくれて、いつも優しかったね。
目の奥に映るユキと目の前のユキが重なると、あたしはブツブツと文句を言うユキを遮って口を開く。
「6分の1の確率でしょ」
まるで最初からわかっていたかのように言う。
その答えにユキは驚いたようにあたしを見つめる。
「わかるよ。そのくらいならね。ちょっと、どんな反応するか見てみたかったから」
それは嘘。
ただ、ほんの数秒前に思い出しただけ。
「そういうの時間の無駄って言うんだよ」
悪態をつくユキは小さなユキとはまったくの別人だったけど、あたしには小さなユキが今も応援してくれているような気がした。
「はいはい、がんばりまーす」
「ふざけんな!」
頭を軽く叩かれながらも、あたしは笑った。
そんなあたしにムッとしながらユキは腕組みをすると口の端だけを少し吊り上げる。
「ふ〜ん、余裕だね。じゃあ、間違えたところ直せるよね」
バサリと音をたてて丸のない問題集が目の前に広がる。
ユキの細い指が苛立たしげに1問目を指でつつく。
「え……、これ全部直すの?」
「あたりまえ」
「うそ……無理だし……。あ、ほら! 宿題にしてくれてもいいよ」
名案とばかりに目を輝かせてお願いするように「ねっ」とユキを見つめた。
これは子供の頃は有効だったユキを思い通りに動かす方法だった。
数年のブランクなんかなかったみたいに普通にできるあたし自身に少し驚いたけど。
「チョコちゃ……」
悪態をついていたユキも懐かしそうに目を細める。
ほらほら。
ユキはこれに弱いんだから。
やっぱ、幼馴染って不滅なのかな。
なんにしても、偉そうな態度のユキをなんとかしないとムカつくんだよね。
ここんとこ、ビシッといかなきゃね。
「じゃ、今日はここまででいいよね」
あたしがそう言って広げられた問題集を閉じて片づけようとすると、その手を掴まれた。
つかまれた大きな手から細い指があたしの手を包むと持ち上げる。
「ユキ?」
「バカだね。もう子供じゃないんだからな。――――そんな手にのるか!」
持ち上げられたあたしの手が投げられるように放されると、ユキは左手に持っていた紙の束をヒラヒラさせた。
「な、なにそれ……」
恐る恐る問いかけるあたしにユキはニヤリと笑う。
「宿題」
「うそ……」
また……あんなに……。
お前はどこぞの塾の鬼講師かっての!
「さ〜て、じゃ、間違えたとこ早く直せよ」
絶句するあたしをよそに、ユキは『明日までの宿題』であたしの頭を撫でるとうしろで読書を始めた。
くそ〜〜〜〜っ!
おぼえてろよ!
唇を噛みながら背後で本を読んでいるユキを睨む。
やっぱ、ユキは最悪だ!
な〜にが王子だ!
意地悪王子の間違いだっての!
バーカ! バーカ! バーカ!
声には出さずに、唇だけで毒を吐く。
子供じみた反発のしかただけど、こうでもしなきゃ苛立ちはおさまらなかった。
「何やってんだよ! 時間がないんだからな! 時計みろよ!」
視線を感じたのか、殺気を感じたのか。
ユキは本から視線をはずしてあたしを睨みつけてきた。
「わかってるよ!」
あたしはペンを握ると、問題集と向き合う。
前方には丸のない問題集。
後方にはキラキラ王子改め意地悪王子が見張っていた。
もーっ、やだ!
こんな事なら塾の方がまだマシだっての!
こんなことなら、ずっと離れてたほうが良かった!
あたしは問い1を読みながらペンを握る手に力をこめた。
※下にあとがきと次回予告がひっそりとあります。
(あとがきパスな方用に見えないようにしています。
◆†あとがきという名の懺悔†◆
ご来場ありがとうございました!
信じられないくらいに更新されてなかったですね。
もう見捨てちゃった方も多いのかな……。
いろいろあって更新が厳しい精神状態です。
ラブコメなんかちっとも笑えないし、気持ちは沈むし。
ダークなお話なら書けたのかもですが。
それでも別の場所で書いている短編もあって
試作的なこのお話はストップしてたんですが
毎日、葛藤しながらなんとか書きはじめました。
だいぶ間があいてしまったので、どんなキャラだったかが
微妙値です。
また、書いていけたらな〜と思いつつ。
精一杯、がんばります!
さて次回♪ ☆5☆ キラキラ王子と噂の女
あらすじノートではコレになってました。
ただ、ずいぶん時間がたったので
変更も考えているので(仮)ということで。
次の更新は早ければ今週中にでも。
遅いと……それはもう、怖くて言えないです。